第76話
望みを口に出すと、冬喜の姿や雰囲気が一変した。
全身から黒い靄のようなものがふらふらと湧き出てくる。
四肢には真っ黒な騎士の甲冑が装備され、制服の上からはバサリと風で靡く実体のない長い外套が羽織られる。
そして冬喜の右手には、見ていると思わず吸い込まれそうなほど黒いスナイパーライフルが握られていた。
これがテンジの要望した、幻獣『シャドースナイパー』に進化した姿である。
冬喜曰く、シャドースナイパーの真の姿は巨大な
あまりにも高校三年生には痛々しい姿のため、普段は使いたがらない冬喜であった。
「ひゅーっ、カッコいいぞ!」
「漆黒ぅ!」
そんな冬喜を早速面白がって茶化し始める二人であった。
その様子を見て困った表情を浮かべた冬喜は、無言でテンジの傍へと歩み寄り、笑顔を崩さずに片手で頭を鷲掴みにする。
「今……なんて言ったのかな?」
いつもは優しい冬喜なのだが、この時ばかりは黒い笑みをこれ見よがしに見せる。
その怖さに思わずテンジはしゅんと縮こまり、千郷も見てみぬふりを始めるのであった。
「もう、これだから人前では使いたくないんだよ」
はぁ、と小さくため息を吐く。
それでも仕事はしてくれるようだ。
反省の色を見せた二人に再度じろりと鋭い眼光を向け、すぐにモンスターのいる方向へと視線を切り替えた。
それと同時に両手でスナイパーライフルを構え、じっと先を見つめる。
冬喜が狙いを定めたように引き金を引くと、音もなく真っ黒な靄を纏った銃弾が放たれた。
その銃弾はすぐ近くにあった木のど真ん中を何事もなくすぅっと通り抜け、遠くの方から「キシャァッ!?」とモンスターの声が聞こえてきた。
幻獣『シャドースナイパー』にはいくつもの能力があり、障害物を透かして見る「透視瞳」、望遠鏡のようにズームが自在な「望遠瞳」、動きの一つ一つから音をすべて失くす「無音体」などいくつもの狙撃に順応したものがある。
(とはいっても、これらは冬喜くんの切り札じゃないんだよな。一度だけ見せてもらったことあるけど、冬喜くんの本気は次元が違う)
まだまだ生易しいと断言できる冬喜の狙撃攻撃を見て、テンジはいつかは自分もこのレベルの探索師になれるのだろうかと考える。
「もうこの辺でいいかな? いいよね?」
千郷は歩き疲れたのか、近くの切り株にぺたんと座り込んだ。
彼女自身の体力はまだまだあるのだろうが、この一、二年はずっとニートのようにゲームばかりしていたからなのか、忍耐力というものが欠如し始めていた。
そんな千郷を見て、生徒二人もこの辺りで十分いいかと思っていた。
「今日も補助はいらないでしょ? テンジくん」
「うん、大丈夫だよ。いつも通り軽く運動するだけにしておくよ。本番は午後からだからね」
「それじゃあ、俺もあっちの方で軽く準備運動してくるよ」
冬喜は右側の方を指さして言った。
それなら、と。テンジは左側の方を指さす。
「じゃあ、僕はあっち側で始めるよ」
「了解。また一時間半後、ここに集合で」
その言葉を残して、冬喜はこの場所から右側の森の中へと歩き出した。
テンジも千郷に「行ってくる」と言い残して、左側の森へと進んでいくのであった。
千郷はこのままこの場で少しの間休憩という名の、職務放棄を実行するらしい。まぁ、この階層レベルで千郷の手が必要になることはないからこそできる、自由の謳歌である。
† † †
――黒鵜冬喜。
「さて、俺の方も頑張りますか」
冬喜は歩きながらゆっくりと背伸びをして、集中力を一層高めていく。
そしてとある幻獣をその身に降ろすべく、シャドースナイパーの進化を解くのであった。
「――幻獣王が望む、『ジンスカイドラゴン』よ」
冬喜の姿が再び変わっていく。
腕と首筋の一部にめりめりとブルーサファイアの鱗が生え、手の先には透き通った水色の鋭い爪が現れる。
髪も栗色から白と青が混ざったような色へと変わり、若干髪の毛も伸び出す。
龍人族なる種族がいれば、まさに今の冬喜の姿はそれと間違えられるだろう。
「よーし、そろそろ調整できるようにならないと……このままだとテンジくんにすぐ抜かされちゃいそうだな」
体の変化に慣れるためにも、冬喜は足や手を柔軟するように伸ばしながら歩き続ける。
彼が天職に目覚めたのは高校一年生のときであり、すでに二年間近くもこの天職と共に人生を歩んできたことになる。
それでもこの『ジンスカイドラゴン』は、最近扱えるようになったばかりの比較的新しい幻獣であり、いまだに思うように使いこなせないでいた。その理由は、今までとは比べられないほどに急成長する化け物じみた身体能力の向上にあった。
首をゴキゴキと鳴らすと、冬喜はドカッとその場を蹴り上げた。
慣れない身体能力で加減ができず、蹴り上げた地面には小さなクレーターができ、周囲には地割れのようにヒビが入っていく。
その光景を見て、自分はまだまだだと反省する。
そして――。
「おっ、ちょうどいいの発見」
遠くにモンスターを発見した。
この階層では珍しく、三等級モンスターの『グリザムリン』だ。
グリザムリンとは、中学生男子ほどの身長を持つ人型のモンスターであり、真っ赤な肌を持つゴブリンのような容姿をすることで知られている。
強さで言えば三等級の中でも平均的で、少し知能が高いのが特徴である。その他には鋭い爪やギザギザな二本の牙を持ち、力も一般男性より十何倍も強い。
その怪力と知能の高さを活かして、遠くから石や尖った武器を投擲する攻撃を得意とする。
と、それはあくまで格下の探索師や同レベルの探索師と戦うときだけである。
冬喜ほどの強さを持つ探索師の前では、そんな攻撃は意味をなさない。
というか、その存在にすら気が付かないものなのだ。
「――よっと」
目にも止まらぬ速さで接近した冬喜は、こちらに気が付いていないグリザムリンの右腕に鋭い爪先を立てて振りぬいた。
まるで豆腐でも斬っているかのように、すぅっと爪先が体内へと入っていき、赤色の血飛沫を断面から噴き出させる。
「グリィィィィィィイッ!?」
気が付いた時には右腕が無くなり、痛みが全身に駆け巡っていたグリザムリンは苦痛の雄叫びを上げた。そして痛みのあまり、その場に両膝をついてしまう。
その怒声で近くの木々はざわざわと一層騒がしくなり、近くにいたモンスターたちに危険を知らせることとなる。
「うーん、やっぱり難しいな。もっと鋭く振りぬけばこんなにも血飛沫を被らなくて済むと思うんだよね。こうかな? こう……スパパァンって。いや、シュシュシュッって感じかな?」
冬喜の想像では遅れて血が噴き出すような、そんな攻撃をイメージしていた。それも、他の幻獣を使えばそんな攻撃が容易くできるからだ。
しかし想像とはかけ離れた、血飛沫を浴びてしまう温い攻撃をしてしまったことに首を傾げる。
視界の端でグリザムリンを捉えながらも、何度も腕を振りぬく練習をする。
「ググッ……グリィィィィイッ!」
自分の腕を斬った人物を見つけたグリザムリンは、怒り状態へと陥った。
モンスターは過度の恐怖や苦痛を味わうと、怒り状態という限界突破した状態になることが知られている。
怒り状態のモンスターは、おおよそ120%の実力を発揮すると言われている。
そんな怒り状態のグリザムリンが青い瞳を血走らせ、口から多量の唾を吐き出し、明らかな興奮状態へとなった。
鋭い牙をむき出しにして、必死の形相で冬喜へと襲い掛かる。
「なるほど……次はこうシュルンッって感じでやってみよう」
それでもなお、冬喜は目の前のグリザムリンに一度も目の焦点を合わせなかった。
そして近づいてきたグリザムリンの残っている左腕に、鞭のようにしなった爪攻撃を加える。
「グッ……グッ!?」
「おぉ、いいね! 今の感じだ! それじゃあ忘れないうちに、っと」
両腕を失い体のバランスを崩して地面に顔面から倒れたグリザムリンの首裏に、シュルンッと冬喜は腕を振るった。
コトン、と首が胴体から離れると一秒ほど遅れて断面からじんわりと血が滲み出てきて、それから血飛沫が吹いた。
その様子を見て、喜ぶように冬喜は笑った。
「うん、だいぶコツがわかってきたな。シュルンッって感じか、シュルンッ、シュルンッと」
そのまま忘れないうちに何度も今の腕の振り方を反復練習する。
優しくて賢そうな好青年のくせに、冬喜は思いのほか直感型であった。
正直、彼の呟きを傍から聞いていれば脳筋に見えてしまうのだが、実際は賢いのだから色々と矛盾した青年だ。
冬喜自身は気が付いていないが、彼の今のレベルはまだ13である。
そのステータスは一級探索師に類似しており、まだまだ彼の伸びしろは計り知れない。
レベルがカンストし、その能力が彼の直感によって100%以上発揮されたその時、冬喜は真の意味で零級探索師と肩を並べることができるのだ。
未来の五人目の零級探索師として期待されている青年、黒鵜冬喜。
彼は再び、歩み始めた。
「次は、スキル『青の咆哮』でも試してみようかな」
いつの日か、あの人に想いを告げるため。
冬喜は自分の能力と感覚を、死に物狂いで磨いていくのであった。