第74話
「今日はどうする予定? 千郷ちゃん」
街の端に設置されている階層間移動に使われる転移ゲートに向かう三人の面々。
その道中で、冬喜が徐に千郷へと尋ねた。千郷は自然に片手を顎へと添え、うーん、と唸り始める。どうやらあの後に二度寝でもして、あまり考えていなかったようだ。
テンジはこの一週間で、千郷が朝に弱いと薄々気が付いていたので、思わず内心で笑ってしまう。
「ん~、八層と九層は混みそうだから、十一層辺りに行ってみる? その方が二人とも気楽に戦えるでしょ?」
「俺はその方がありがたいかな。まだ自分の能力も上手くコントロールできないし」
「僕もそれで大丈夫です! 人目の付かない場所の方がいいので」
「じゃあ、そういうことで~。あっ、八層と九層のモンスターはもう大丈夫だよね? テンジくんはもう散々この一週間で戦ったし。冬喜くんも何の問題もないでしょ?」
「俺は無問題」
「僕もだよ。さすがにシャドーモンキーもツリーリザードも飽きたかな、弱いし」
「はいはい、そんなこと言える学生は日本では君たちだけですよ~だ」
千郷は苦笑しながら、頼もしい二人の学生を見つめる。
テンジはこの一週間で、15階層までのモンスターと一通り戦ってきた。その中にはテンジを苦戦させるようなモンスターはおらず、そもそもテンジ本人が戦う必要すらなかった。
地獄獣の小鬼たちだけで十分だったのだ。
冬喜もすでに55階層までは一人の力で到達しているので、上層部のダンジョンはもはや遊び感覚で散歩できるほどである。
とはいってもみんなの輪から外れて一気に下層に行くわけにもいかずに、この講義中だけは11階層で演習を行うことにしたのだ。
そうして彼らは歩き続け、街の端にある小さな噴水広場へと到着する。
そこでは円形状の通りにお店が沿って広がっており、中央には大きな彫刻の施された噴水とゲートが存在する。
ゲートは噴水の中に組み込まれており、近くに行き、頭で行きたい階層を念じることで階層間の移動を行うことができる。このダンジョンでは上下階層に移動するのに階段や抜け穴などはなく、この転移ゲートを使用しての移動が基本だ。
本人がすでに辿り着いたことのある階層ならば一気に階層を飛ばして転移移動が可能で、未到達領域の場合は一階層ごとの移動しかできない代物である。
これについての研究はしばしば行われているのだが、未だに転移の仕組みについての解明には至っていない。ちなみに第五階層までは何をしなくとも、誰でも転移可能になっている。
噴水広場にはぞくぞくと他の班も集まっており、最終の打ち合わせや準備運動などを済ませてから、続々と転移ゲートを潜っていく。
転移ゲートを使用するには、近くまで移動し、一緒に転移する者同士で手をつなぎ行きたい階層の数字を言葉に発するだけでいい。
そうすると自然と体が発光し、気が付いた時には目的の階層に視界が移り変わっている。
この転移移動手段が生活の一部にくっついて回るのも、ここが異世界だと比喩される理由の一つでもあった。
移動一つ一つに転移という慣れない移動手段を用い、それが当たり前の世界だからこそなのだろう。
探索師として日々ダンジョンゲートを潜らない一般人から見れば、未だに転移やモンスターなんてのは非日常と考える人が多いのだ。
二人はすでに準備運動を終えていたので、テンジもその場で軽く最後の準備運動を行った。
その間に、千郷はふらふらと近くの屋台や雑貨屋に入っていき、物色して暇をつぶしていた。冬喜は少しでも筋肉を付けようと、テンジの隣で体幹のプランク筋トレを始める。
そんな冬喜がテンジへと徐に話しかけ始めた。
彼は先輩として、昔からの知り合いとして、何かとテンジを気にかけてくれる優しいお兄さんなのである。
「どう? もうマジョルカには慣れてきた?」
「うん、だいぶ自然環境には慣れてきたかな。まだクラスのみんなとはあんまり話せてないんだけどね」
「まぁ、テンジくんは仕方ないか。その天職じゃあ、碌に会話もしてくれないよね。よくも悪くも、外国人の人たちは実力主義の風潮が日本よりも強いからね」
「そうだね。でも冬喜くんも、パインも、千郷ちゃんも傍にいてくれるからあんまり寂しいとは思ってないよ。僕の近くには、僕のことを知ってくれている人がいるだけで少し気持ちが楽なんだ」
冬喜は、テンジのすべてを知る数少ない一人である。
今、テンジの異質さについて詳しく知っているのはたったの七人。千郷にリオン、海童のギルド【暇人】に所属する三人。そして学生は冬喜、累、愛佳の三人だけ。あとはチャリオットの九条団長だけである。
彼らにはすでに天職についての一部のことを話しており、秘密として取り扱ってくれている。チャリオットの入団試験にはほかのギルドのスカウトもいたらしいのだが、その多くはチャリオットよりも下位のギルドであり、九条団長と海童に天職の一部の秘密話をすることを約束に、半強制的に自分のギルドの団長にすら内緒ということで話が進んだらしい。
要するに賄賂を払って、口にチャックをしてもらったのだ。
だけどテンジの本当のすべてを知っているのは、千郷と冬喜の二人だけだ。
他の五人は、一部の真実だけしか知らずテンジのすべてを知っているわけではない。
冬喜に話した理由は、元々小さな頃からの知り合いで抵抗が少なかったということもあるが、一番の理由はほぼ毎日一緒にダンジョンに潜っているからでもある。
常にいるのだからわざわざ隠す必要もなく、むしろ隠していると動きづらいので冬喜にはすべてを話しているのだ。
これも全ては、テンジが一級探索師以上の力を手に入れるまでの辛抱だ。
そう、リオンと約束をしたのだから。
それがいつになるのかまでは、まだわかっていない。
「冬喜くんも僕や千郷ちゃんと一緒で良かったの? 前は別の先生と一緒に実技演習を受けていたんでしょ?」
「前の先生? もちろんそうだけど、俺は望んでいいのならば、やっぱり千郷ちゃんから学びたいと思ってるよ。初めて会ったときは若い人だなぁって印象だったけど、模擬戦闘をして気が付いたんだよね。俺はこの人のすべてを盗みたいって」
千郷が最初にここの教師になった頃、無名故にあまり生徒からは人気がなかった。
持っている講義でも、受けたいと志願する生徒が少なく最初はナイーブになっていたくらいだ。
しかし、ある日を境にそれは一変した。
「あぁ、あの日の模擬戦闘は凄かったよね。冬喜くんは普通にステータスの恩恵ありで戦ってたんでしょ?」
「そうそう、全開だったよね。だけど、千郷ちゃんはスキルの糸は使ってもステータスの恩恵を一切発動してなかった。……なのに、俺が指先すら触れられなかったんだよ? そりゃあ、嫉妬しちゃうよ。歳も二つしか変わらないはずなのに、この差はなんなんだよってね。これでも日本ではかなり才能に恵まれている方だと自負していたんだけどなぁ~」
「……本当に千郷ちゃんはおかしいよ。あれは天才とかのレベルじゃない、怪物とか化け物とかそういったレベルの人だよ」
「言い得て妙な言葉だね」
マジョルカに来て、三日目のことだ。
冬喜と千郷が講義内で模擬戦闘をしたのだ。
千郷の才能あふれる戦闘スタイルと、世界的にも有名な黒鵜冬喜を天職の恩恵なしで圧倒してしまったその実力を知って、生徒たちから爆発的に人気を得た。
その可愛らしい容姿と、純白という目を引く髪色に男子生徒たちはすぐに視線を引き寄せられていくこととなったのだ。
それからは千郷を無名の教師として扱う人はいなくなり、異次元の才能を持つ化け物として知られるようになった。
しかし、普段は普通の可愛らしい19歳の女の子だ。
そのギャップにやれらた生徒も少なくはないだろう。
「まぁ、テンジくんも十分化け物なんだけどね」
「いやいや、それを言うなら冬喜くんの方でしょう。日本の至宝、黒鵜冬喜だよ? ほぼ毎日ネットニュースに乗ってる有名人が隣にいるってのも、少し不思議な感覚だよね」
「あはははっ、日本だと本当に報道されてるんだ。こっちにはあんまりそういう話って流れてこないから、よくわかんないんだよね」
「その点、僕は無名で……たぶんマジョルカエスクエーラに入学したのにニュースにすらなってないんだよ?」
「そりゃあ、表向きは《剣士》だからね。マスコミもうまみが少ないと思ったのか、そもそもリオンさんたちが情報を統制してるんじゃないかな? 周さんとかならさらっとやっちゃいそうだよね」
「海童さんってそんな凄い人なの?」
「えっ? 知らない? あの人の人脈は凄いからね。俺が初めて会ったときなんて、『ちょっと電話してくる』って言ってアメリカの大統領と電話してたよ? あの時の驚きは今でも忘れられないよ」
さらっと聞かされた衝撃の事実に、テンジは海童の凄さを改めて知るのであった。
今日まで何度か自分がニュースになんていないか、人生で初めてのエゴサーチをしてみたテンジだが、一度も自分の名前が出てきたことはなかった。
(本当に情報が制御されているんだね。ちょっと悲しいような、ありがたいような……)
そんなことを思っていると、なにやら大量のマフィンを紙袋いっぱいに買ってきたホクホク顔の千郷が近づいてきた。
片手には美味しそうなドリンクも握られており、それは千郷の大好物であるミルクを使った飲み物だと分かった。
たぶん、牛乳から得られる栄養はすべてあの胸に行っているのだろう。
そう思わずにはいられなかった、思春期男子の二人であった。