第72話
マジョルカエスクエーラ。
元スペイン領であったマヨルカ島が『マジョルカアイランド共和国』として国名変更し、独自の国家体制を築き上げている。そのマジョルカアイランドのダンジョン内にあり、世界でも唯一無二の国営総合学園が、このマジョルカエスクエーラである。
一学年の許容生徒数は45名であり、一クラス15人で運営されている。
五年制学校を謳う、少数精鋭の天才たちを集める学校としても有名である。
ここに入学または留学するには『枠』が必要不可欠であり、満枠が埋まっても最大で225名しか在籍できない。そう、五学年で225枠しか存在しない狭き門なのだ。
ここに入学を希望する者が殺到する理由は、国が保証する好待遇にあった。
学園自体が、マジョルカリゾートダンジョンの第三階層中央にあるトュレースセントラルパブロに位置するため、ダンジョンへの出入りがひどく自由である。
また、通常の観光客や住人では立ち入ることのできない第六階層以下のダンジョンにも、マジョルカエスクエーラの生徒たちは自由な行き来が許可されている。
要するに――日本とはまるで違って、16歳から20歳までの学生でも制限なく自由にダンジョンで己を鍛えることができる場所がこの学園なのである。
これは世界を見渡しても、マジョルカだけがこのような制度を設けている。
もちろんその他にも好待遇な面はいくつも存在する。
この学園の教師は全員が元英雄探索師と呼ばれる、第一期ダンジョン時代において無類の活躍をし続けた有名なプロ探索師であり、教師の質が世界を見渡しても圧倒的に高い。
さらに講義の内容も特殊で、世界中からその世代のトップを争う人材が集まってくるので、自然と世界最高レベルのカリキュラムで学べることでも有名だ。
また、一部の生徒には学園から給与や報酬が支払われるなど、生徒の力量に応じた好待遇が数多存在する。
テンジが耳につけているオレリアの贈呈もその一つである。
そして生徒の枠に上限がある一番の理由は――。
ダンジョンの壁が壊せないのと同じく、このダンジョンに人が立ち入る前より元々存在した街は、どんな手段を用いても改築やリフォームすることができず、街の大きさにも上限があるので住める人数に限りがある。
だからこそ数少ない入学枠に対して、多くの入学希望者が殺到するのである。
運、伝手、才能、向上心、全てを持つ者しかここには入学できない。
† † †
「おはよう、テンジ!」
「あぁ、おはよう、パイン!」
テンジがちょうど校門すぐの場所にある駐輪場にマウンテンバイクを停めていると、背後からはつらつで元気な女性の声が聞こえてきた。
自転車の鍵を閉めてすぐに振り向くと、そこには人懐っこい笑みを浮かべながらテンジの顔を覗き込むパインの姿があった。
モハメット・パイン。
テンジと同じ16歳の一年生であり、セネガルから単身で留学に来ているアフリカ特有のパッション溢れる女性だ。
たまたまテンジと同じ日に留学してきて、席が隣になることも多く、住む家も近くであったため自然と二人は仲良くなっていた。ちなみにパインは一人暮らしである。
パインの肌は褐色で、黒髪を短く外ハネでまとめている。たまに寝坊して学校にくることもあり、そんな日は癖毛が爆発した芸術的な頭髪で登校してくる。
服装はテンジと同じくマジョルカエスクエーラから支給される、赤に緑色をあしらった派手な物であり、その派手色が彼女をさらに明るく見せていた。
「今日も自転車で来たの? 結構、あそこからは距離あるよね」
「うん、ちょうどいい運動になるからね。パインは通学バスだよね?」
「そうだよ~。私って朝が苦手なんだよねぇ。あっ、チャイムなりそうだ! 一緒に行こっか!」
パインはふと腕時計を見ると、慌ててテンジの腕を取り駆け出した。
慌ててレモネードを溢さないようにしながら、その慌ただしい行動にテンジは思わず微笑んだ。
パインはいつも元気で、スキンシップの激しい女性だ。会った最初の頃は少し変なドキドキを覚えたテンジであったが、一週間も経てば次第にその行動には慣れてきていた。
そもそも外国人はスキンシップが過度な人も多く、あいさつで頬にキスを普通にしてくる人もいるくらいだ。その甲斐あってか、テンジは徐々にこの異文化が混ざり合うマジョルカアイランドになじみ始めていた。
学校の玄関には日本の学校のように靴箱はなく、そのまま外靴で教室の中へと入っていく。
テンジとパインが入っていったのは『1-A』と書かれたクラスで、そこにはすでに他13名の生徒たちが楽しそうに会話をしていたり、熱心に教科書を読み込んでいた。
テンジは慣れた足取りで窓際の後ろから二番目の席に座る。とはいっても教室はそこそこ狭く、三列五行の構成で机が設置されている。一行には三席しかないので、テンジの席は真ん中よりと言えるだろう。
そのすぐ隣にはパインが座り、マジョルカエスクエーラ1-Aクラスの生徒が誰一人遅刻することなく朝のホームルームに間に合った。
テンジはバッグから一台の超薄型タブレット端末を取り出す。これは教科書やノートやら講義の全てが集約されているものだ。生徒一人一人に三台づつ配布されており、五年次まで学ぶ内容のすべての資料がここに集約されている。
ここには敷地面積の関係で図書館などの資料室も存在せず、図書館の本や講義用の動画などのすべてが電子化されているらしい。
その他にも色々な機能がこのタブレットには組み込まれているのだが、テンジたち一年生にはまだまだその性能を一から百まで理解できてはいなかった。
さすがはマジョルカというべき最先端の教育端末である。
「テンジ、またそのレモネード?」
不意に、パインが机の上に置いてあったレモネードを見つめながら聞いてきた。
その問いに対し、テンジはバッグからついでに貰ったサンドウィッチを取り出す。
「うん、完全にハマっちゃったよ。今日はおじさんの機嫌がよくて、サンドウィッチもおまけしてくれたんだ。これ美味しいよ、食べる?」
「え~、私も一週間そこのドリンク買ってるのに一度もおまけなんてしてくれてないよ~。それどころか目も合わせてくれないんだよ? マジョルカ人は日本人よりもシャイなんじゃないかって思ってたよ。あっ、ちょっとちょうだい!」
「あはは~、確かにあのおじさんってシャイだよね。はい、全部食べないでね?」
「食べないよ~。まぁ、テンジも十分シャイなんだけどね。やっぱり日本人ってみんなシャイなの?」
「シャイなのかな? 僕は割と普通の部類だと思うけど、パインがそう思うなら日本人はシャイなのかもね」
パインはおじさん特製のサンドウィッチを一口食べると、美味しそうに頬を緩ませて、テンジへと包み紙ごと返した。
彼女は見たことないものに臆するような性格ではなく、全てを面白そうに楽しもうとするきらいがあった。だから、あまり食べたことのないサンドウィッチもこうやって気軽に口に運んでしまうのだ。
その後、パインは時間が余ると別の生徒に向かって積極的に話を始める。
テンジは日本人特有のシャイを全力で発揮し、あまり積極的な会話を未だにできないでいた。サンドウィッチをむしゃむしゃと食べながら、レモネードを挟みつつ、講義が始まるその時間まで講義資料を読みながら待機する。
「はーい、始めるよ~」
そうして待つこと五分ほどのこと。
クラスの扉が開かれると、1-A担任の教師であるミーガン・ピュー先生が長い金髪を靡かせながら入室してきた。
すらっと背の高いアメリカ人女性であり、元一級探索師として世界中で名を馳せた偉大な英雄探索師である。現在は子供を授かったことで、一線を退いてこの学校で若い世代の教育に熱を注いでいるらしい。
そうして教卓の前に立つと、ざっと生徒の顔を確認する。
「今日も欠席者はなし、と。本日はマジョルカモンスター学の講義と実技演習の講義が午前中にあるからね。まぁ、そろそろ学校も始まって三週間が経つからなんとなくわかるか……転入、留学組はわからなければ周りにちゃんと聞いてね。それじゃあ、私はビリーのおむつ変えてこなきゃ」
基本的にこの学校は自由だ。
別に生徒は講義への強制的な参加を強要されているわけでもなく、出席も取らないため、しっかりと勉強をしてテストで点数さえとればなんの問題もない。
教師も元英雄探索師という肩書を持つ人が多く招聘されているため、好待遇でもあり、自由な勤務が認められている。
1-Aの担任であるミーガン先生も子育ての合間を縫って、朝や午後のホームルームに出勤し、自分の受け持っている治癒系天職の講義のときだけ学校に来る。
だからなのか、先生の空いている時間を見計らって、意識の高い生徒たちは質問しに雪崩のように襲い掛かる。自然と生徒と教師の距離感は近くなり、自分の将来についてや戦い方についても親身に教えてくれるのだ。
生徒と教師の関係が近いのも、マジョルカエスクエーラに入学希望者が殺到する理由の一つであろう。
ミーガン先生がクラスを出ていくと、ほとんど間を置かずに次の講義をするレオン・シュルツ先生が入室してきた。
金髪の髪をかっこよくジェルで固めており、イケメンとして名の通っているドイツ人の人気教師である。笑顔も爽やかで、嫌みな要素が見当たらない。
いつもはおしゃれな私服を着てくる教師だが、今日はどこかに用事があるのかしっかりとオーダースーツを着用してきていた。
「今日のマジョルカモンスター学基礎を始めるぞ」
シュルツ先生が担当するのは、マジョルカモンスター学というちょっと特殊な分野である。
彼は十年以上もこのマジョルカリゾートダンジョンで探索師として最前線で活動しており、ここのモンスター生態について誰よりも詳しいのだ。
「ほぅ、やはりここのクラスは真面目な生徒が多いな。今日も欠席者なしか。隣のクラスとは大違いだ。まぁ、いいか。それじゃあ、マジョルカリゾートダンジョンのモンスター生態について、第2章45ページから講義を始めるぞ」
シュルツ先生の言葉で、タブレットのページが勝手に切り替わる。
このタブレットは教師の音声を自動で検出し、自動で目的のページへと切り替わるようになっているのだ。
しかし、ここにいる全員がすでに予習を済ませているため、みんなタブレットに注視することはなく常にシュルツ先生の言動に注目している。
「まずはざっと1章の復習だ。このマジョルカリゾートダンジョンでは他の46か所のダンジョンとは全く異なるモンスター生態を形成している。だからこそ、ここで戦うにはここのモンスターについて詳しく知らねばならない。1章では第1層から第5層までの表層フィールドで出現する基本的なモンスターについて講義をした」
軽やかに髪をかき上げ、生徒の理解度を確認する。
生徒は全員が首を傾げることなく、真面目に頷いた。
「さすがは優等生たちだ。この第2章からは、第6層以降の基本モンスターについて取り扱っている。で、今日講義するのは第8層で頻繁に出現する『シャドーモンキー』についての生態と、第9層、第10層で頻繁に出現する『ツリーリザード』についてだ。まぁ、お前らなら予習をしているだろうから、さっさと進めて質問時間を長めにとるぞ」
シャドーモンキーとは、第八階層の森林エリアによく出没するモンスターであり、木陰や色々な闇に隠れて奇襲攻撃をしてくる四等級モンスターである。
さほど強くはなく、奇襲と攻撃力に優れた存在として知られている。
ツリーリザードは、木に擬態するトカゲ型モンスターである。
奇襲で足首や首元に噛みついて離れなくなることで知られており、これも四等級モンスターである。
これらのモンスターの生態、つまり、より詳しい倒し方や習性についてこれから先生の実体験や戦い方を聞いて学ぶのである。
その中で役割ごとの立ち回りも教えてくれる。
「――では、まずはシャドーモンキーから始めるぞ」
シュルツ先生による講義が始まった。