第38話
テンジと海童はMP原子測定珠を覗き込むと、一様に首を傾げた。
本来であればそこには『インナースーツ(上)、五等級』というように、アイテム名と等級が文字として表示されるのだが、テンジの赤鬼刀はどこかが違った。
『鯱ケ$”=>G+、9-*K?』
完全に文字化けしていたのだ。
日本語ではない何か、意味をなさない文字列は明らかに測定不能だということを示していた。その結果に、テンジは思わず肩を落としていた。
(やっぱり地獄獣やこの赤鬼刀も等級という概念自体が合致していないんだな。そもそもおかしいとは思っていたけど、これではっきりしたよ。地獄では、等級の概念が違う。……まだまだわからないことが多い天職だな)
小鬼の明らかに五等級を逸脱した、巨木さえ持ち上げてしまうほどの怪力。
熟練した技術を有していないテンジでも、巨木の太い枝をいともたやすく斬ってしまう明らかな業物の赤鬼刀。
これらはこの時代にとって当たり前の”等級”を測るアイテム、『MP原子測定珠』では測れない要素なんだとテンジは理解する。要するに、テンジらの知っている等級と地獄の等級は決してイコールではないということだ。
天職について解明しようと行動したが、結果はさらに謎を深めるばかりになってしまう。
「何だろうね、これ。僕もこれが文字化けしたところなんて初めて見たよ」
「本当に何なんでしょうね。また不思議が増えてしまいました。やはり僕の天職は少し歪な存在みたいです」
テンジと海童はお互いにやれやれというような空気を出し、骨折れ損な結果に思わずソファにぼふんっと腰を落とした。
その時であった。
テンジの鼻腔に、クッキーのような甘々しい香りが漂ってくる。
いや、違う。……女性特有の甘いバニラ香水の、思わずくんくんと鼻を動かしてしまうような香りだ。
「――ん? 何これ……なんだか禍々しい武器……いや、刀だね。おやおや? 君は? 学生さんかな?」
テンジは気配もなく近づいてきたその女性に対し、思わずビクリと体を反応させてしまう。そのまま慌てて声のする方向へと顔を勢いよく向けた。
顔のすぐ横、テンジの目と鼻の先には、白縫千郷の見惚れるほどに美しい月明りにも似た瞳があった。現実で息を飲んでしまうほどの美貌を至近距離で見てしまい、テンジは掛ける言葉が思い浮かばずに絶句した。
先ほどまでがぁがぁと寝息を立てて眠っていた女性とは思えない激しいギャップに、テンジの心臓は半分止まりかけていた。
「千郷ちゃん、顔近いよ。テンジ君がびっくりしちゃってる」
「おぉ、これはごめんごめん。うちにお客さんなんて珍しいからついつい。それも探索師高校の生徒さんなんていつ以来かな? 確か……
白縫はテンジの黒い制服の色を見てそう判断した。
日本探索師高校では、入学時と進級時に好きな制服の色を指定できる。
色によって探索師としての役割が明文化されているのだ。ただし、学んでいくうちに考えが変わることもあるので、その都度学校に要求すれば制服の色は変えることができる。
累が着ていたような、青地に白ラインの制服は『攻撃役』と呼ばれる、モンスターへのダメージディーラーの役割を目指す生徒たちが着用する制服である。彼らは常にパーティーの前線で獅子奮迅の活躍をすることが要求される。だからこそ、心の冷静さを取り戻すと言われる青を身に纏う伝統がある。
愛佳が着ていたのは、深緑地に白ラインの制服で『支援役』という役割を担っている。回復、バフ、デバフ、これらを扱う生徒たちはこの制服を着用する。
彼らは常にパーティー全体を調整し、癒し、与えることを求められる。伝統的にヒーリング効果のあると言われる緑色を着ることが多いのだ。
ワインレッドの生地に黒ラインの生徒は、『盾役』と呼ばれることが多く、モンスターが唯一視認できると言われる「赤」を主体とした制服を着ている。
また、赤だと血がわかりにくいといった利点もあった。モンスターの視線を一心に受け、血をものともしないことを求められるため、必然とメンタルの強い人が盾役向いていると昔から言われている。元スポーツマンが多いのも、盾役の特徴である。
そしてテンジの着ている黒地に灰色ラインの制服だ。
この制服は少し特殊で『目立たない』ことを基本とする立ち回りをする人が着る制服なのだ。テンジのように荷物持ちのアルバイトをやる生徒だったり、隠密に特化した天職を持つ生徒だったりと、色々なパターンが存在する。
だからこそ着用者も極端に少なく、白縫の目に留まった。
最後にもう一つ。
純白のホワイト制服を着た生徒も高校には数人存在する。彼らは稀な存在故に、高校にいること自体ほとんどなく、テンジですらあまり会ったことがない人たちだ。
ホワイト制服、彼らは学校に認められた鬼才たちだけが着用を許された特別な色である。
日本探索師高校の生徒が制服の色を分けている理由は、プロ探索師とパーティーを組む時に、一目で自分の役割を理解してもらうためである。スポーツのユニフォームと同じような役割を持っているのだ。
一目見てわかるように、戦場でも一瞬で判断できるように、十年ほど前から導入された制度であった。
白縫は珍しい黒の制服を着たテンジを見て、不思議そうに顔を近づかせ、ジッと全身を舐めまわすように見つめ始める。
「は、はい! 天城典二、16歳、荷物持ちとしてときどきアルバイトをしています!」
「あっ、荷物持ちをしてるんだ、偉いね。黒って珍しいから、思わず声に出ちゃったよ。テンジ君ね……私、千郷って言うの、よろしく」
「よ、よろしくお願いします!」
テンジの年相応な上がり具合を見て、海童は思わず苦笑する。白縫も可愛らしい高校生を見て、へにょりと力の抜ける微笑みで返した。
白縫はすぐにテンジから机の上に乗っていた赤鬼刀へと視線を切り替え、自然な動作でその刀を掴もうと手を伸ばす。
その自然過ぎた動作に、テンジは何も言うことができなかった。
「うわっ!?」
バチッ、と刀と千郷の手の間に火花が散った。
それはまるで赤鬼刀が白縫を拒むような現象に、傍からは見えていた。
「びっくしりたぁ……普通の刀じゃないよね、これ。何等級武器?」
「千郷ちゃん、相変わらずの図太い神経してるねぇ。得体の知れない武器を真っ先に触ろうとするなんて……僕にはできないよ。それがね……測定不能なんだよね」
「測定不能? うちにあるMP原子測定珠を使ったんでしょ? それが測定不能になるなんて話、一度も聞いたことないけど」
「そこがわからないんだよねぇ。これ、テンジ君の天職能力で生み出した刀らしいんだけど、こんな感じで文字化けしちゃうんだよ」
「ほぇ~、不思議な刀だねぇ。ちょっとテンジ君、これ持ってみて?」
白縫はパーソナルエリアが近いきらいがあるようだ。
テンジは近すぎる彼女の顔に、思わず背中をソファのひじ掛けにくっつけて逃げるように反らしていた。
白縫は目と鼻の先で、瞳をジッと覗き込むように興味津々と問いかける。
その瞳は日本人のはずなのに夕日のような黄色に輝いて、どこか不思議な力を持った存在を感じる。
テンジは赤面しながら慌てて視線を逸らし、白縫から逃げるように赤鬼刀を握った。
火花の散らない刀の様子を見て、白縫はうんうんと何度か頷き、指先を糸人形でも操っているようにわしゃわしゃと動かし始める。
そうすると、気が付いた時には彼女の手元には密集した糸が形を作っており、一本の剣が完成していた。
真っ白なレイピアだった。
細身の西洋剣で、刀身から何までもが白いのだ。装飾もほとんど施されておらず、ただ白い糸が纏わりついたような申し訳程度の装飾だけがその剣を際立たせていた。
その剣が、白縫の容姿に似合っていて神聖な美しさを彷彿とさせる。
「ちょっと実験~」
白縫は軽い口調でそう言うと、その白い剣を左手で持ち、テンジへと視線を向けた。
何が言いたいのか訳も分からず、テンジは疑問の視線を返す。
「えっと……」
「その刀を思いっきりこの剣に振り下ろしてみてくれない? 大丈夫、大丈夫! これは消耗品だし、壊れても問題ないから!」
「え、えっと……わかりました」
有無を言わせない興味深々な瞳に、テンジが断れるわけがなかった。
そもそも際どい格好をした白縫に、ほんのりと汗ばんだ白い肌が、すでにテンジには耐えがたい光景だったのだ。耐えがたいというよりも、童貞のテンジにとっては目に毒であった。
テンジは邪念を振り払うように赤鬼刀を上段に構える。
そして言われた通りに思いっきり振り下ろしてみることにした。
普通にはじき返されるのだと――そう思っていた。
しかし、その浅はかな考えはあっさりと裏切られてしまった。
まるで包丁で豆腐でも斬っているかのように、赤鬼刀が白い剣を真っ二つにポキリと斬ってしまったのだ。虚しく白い剣の切っ先がコトンと床に落ち、白縫の手の中には半分に折られた居たたまれない剣が握られていた。
「えっ、嘘……」
「うわぁぁぁ、すんごい切れ味だね。その刀」
テンジはやってしまったという気持ちだったが、白縫は感心したような声を漏らしていた。その様子を傍から見ていた海童ですら、唖然と口を開いたままだった。
「す、すいません!」
テンジは慌てて頭を下げていた。
まさかこんなことになるなんて思ってもみなく、瞬間的に弁償という言葉が脳裏に浮かんでくる。そのまま弁償金額を脳内で算出し始めてしまう。
しかし、白縫はまるで意に介していないようにへらへらと笑って言った。
「いいよ、いいよ~。それにしても私のスレッドレイピアがオモチャみたいに斬れちゃったね。いいなぁ、私もそれほしぃ~。周先輩、これ買ってよぉ」
白縫が甘えるような声を出し、海童へと無邪気な笑顔を向けた。
しかし、海童はすぐに首を横に振って否定する。
「無理、無理。これはテンジ君のもので売り物じゃないからね。それにしても……想像以上の切れ味だ。刀が剣を斬るなんてね、それも千郷ちゃんのスレッドレイピアを軽々と……」
「本当だよ、君……一体、何者なの?」
海童と白縫の興味の対象は、完全にテンジに移っていた。
まさかこんな事態になるとは想定していなかったテンジは、どうするべきか目を右往左往とさせて慌て始める。
そこで海童がごほんっと咳ばらいをして、助け舟を出してくれた。
「まぁ、今ちょうどその話をしていたからさ。千郷ちゃんも気になるならここに座って話を聞きなよ」
「え? いいの? じゃあ、遠慮なく」
白縫は理解したように返事をすると、テンジの隣に座った。
そのまま間近でジッとテンジの横顔を見つめ始めるのであった。その瞳にはテンジの力を値踏みするよう感情と、「高校生可愛い、若い」と羨むような二つの感情が籠っていた。
白縫は、その容姿と溢れんばかりの才能から、友達と呼べるような存在は海童周以外にいなかった。それこそ、彼氏など一度もできたことはなかった。
誰もが白縫を一目見ると、惚れるか、綺麗だと反応する。そして彼女と関わってしまい、自分の才能のなさに嘆く。彼女との間にある隔絶された才能の壁に気が付いてしまうのだ。
ここまでが白縫千郷と接する人間の行動パターンなのである。
「あ、あの……近いです」
「気にしなくていいよ、私いつもこれくらいだから」
白縫は肌が密着しそうな距離に座った。
どうやら白縫には「離れる」という選択はないように思えた。テンジは観念するように視線を対面に座る海童へと向けた。
「その刀の名前はあるのかな?」
「いえ、たぶんないと思います」
ここでもまた、テンジは嘘を付いた。
赤鬼刀には赤鬼という文字が含まれるため、あえて隠したのだ。
しかし、白縫を前にして嘘は通じなかった。
「嘘。絶対に名前あるでしょ、私の目はごまかせないよ?」
「こら、千郷ちゃん。スキルを人前で使うなって言ってるよね?」
白縫に鋭い突っ込みをされたテンジはほんの一瞬だけ驚いたが、白縫を制するように海童が立ち上がり、白縫の首筋に熱い紅茶のカップをくっつけた。
言葉だけではなく、物理的なお説教をしたらしい。白縫はビクッと飛び上がると、すぐに怒られたペットのように小さく丸まった。
「熱っ……うぅ、ちょっとくらいいいじゃないですかぁ」
「テンジ君にも言いたくないことくらいあるんだよ。僕にも、リオンにも、それこそ千郷にもあるよね? それともあの話をテンジ君にしてもいいのかな?」
「だめ! それだけはだめ!」
「じゃあ、テンジ君を追い込まないで。いい?」
「うぅ……気になるのに」
「わかった?」
「うぅ、わかったよ」
しょぼくれモードに入った白縫は、てくてくと海童の隣へと歩いていき、ちょこんと小さく座った。
その様子を見て、テンジは緊張から一気に解き放たれる。
「ごめんね、テンジ君。千郷ちゃんは基本的にマイペースなんだよね。何かあったら僕がストッパーになるから遠慮なく言っていいよ」
「はい、それじゃあ――」
テンジは海童から情報を得るために、話を続けることにした。
そこには白縫千郷も加わっているが、あまり気にしないことにする。ただ、ちらちらとテンジの視線が白縫の豊満な胸に向かうのは致し方のないことだろう。
そうして再び、テンジは言葉を紡ぎ始めた。