第36話
「テンジ君、この後は空いていたりしますか?」
テンジの元に近寄ってきたのは、朝霧愛佳であった。
愛佳はダンジョンの時とは違って、学校では栗色の髪の毛をすらりと下ろしている。そのため、テンジの鼻にはふんわりとフローラルな香りが漂ってくる。
愛佳の方に振り返ると、彼女の背後にはテンジを見るいくつかの視線があった。みんなを代表して愛佳が話に来た、そんな感じだろうとテンジは推測する。
(僕に話しかけづらいのはわかるけど……ここ一か月は休まずに学校に来てたんだけどなぁ)
未だにクラスメイトと距離の離れたテンジは、そんなことを思うのであった。
「何かあったの?」
「はい、この後クラスのみんなで横浜のダンジョン街に武器やスーツを見に行かないか、という話になってまして。テンジ君なら他の方より詳しいのでご助言いただけたらと思ったのですが……ダメですか?」
可愛く首を傾げる愛佳を見て、テンジは「か、可愛い……」と思うと同時に心苦しくも思っていた。
横浜のダンジョン通りは、日本でも最も武器やアイテムの品揃えがいい場所として有名だった。行きたい気持ちはあるのだが、生憎テンジには外せない用事があったのだ。
本当に申し訳なさそうな表情をして、テンジは言葉を返した。
「ごめんね、今日はちょっと外せない用事があるんだ。さすがに横浜に行くと待ち合わせに間に合わなくなっちゃいそうなんだよね。今度でも良かったら相談に乗るよ」
「そうですか……ちょっと残念ですね。わかりました。それでは連絡先を教えてもらえませんか?」
「僕の?」
「はい、連絡先がわからないと相談もできませんよ? 明日から夏休みなので学校では会えなくなってしまいます……ダメでしょうか?」
可愛く首を傾げた愛佳のお願いなんて、断れるわけがなかった。
「むしろ僕でいいのかなって。はい、これ」
「ありがとうございます!」
今更だとは思ったが、テンジは愛佳との連絡先を交換するのであった。
テンジは貧乏と言えど、荷物持ちの仕事に参加するために欠かせないスマホだけは持っていた。連絡がままならないと、アルバイトすらできないからである。とはいっても毎月の請求額が痛い出費である事実が変わるわけはない。
そんなテンジの連絡先にはプロ探索師の名前がずらりと並んでおり、それが見えてしまった愛佳は驚いたように目を見開いた。
「うわぁ! すごいです!」
「へ?」
「私でも知っているよう有名な探索師方の連絡先をこんなにも知っているだなんて、本当にすごいです」
「……まぁ、もう連絡付かない人もいるんだけどね」
「そ、そうなんですか?」
テンジが遠い目をしたことで、愛佳は聞いてはならないことだと悟った。
それでもテンジは別に隠している訳でもないので、あらましを話す。
「いや、まぁ……全く戦えない荷物持ちとはもう組むかよ! って何度も言われたよ、あはは。でも、五道さんはこんな僕でもずっと指名してくれてたんだよ?」
「そ、そんなことがあるのですね。……すいません、変な質問をしてしまって」
「いや、別にいいよ。荷物持ちなら良くあることだし、使えない荷物持ちならなおさらなんだよ。それでも僕は一回でも組んでくれたことに感謝してるんだ、彼らがいなければ僕はアルバイトすらままならない存在だからね」
「それでもひどいです、私なら絶対にそんなことしません。五道さん派です!」
「本当に五道さんには感謝しきれないよね、僕たち。あっ、そろそろ行かないとやばいかも」
「用事があるのに止めてしまってすいません! また荷物持ちのアルバイトですか?」
「違うよ、今日はちょっと人と会う約束があるんだ。それじゃあね、朝霧さん」
「はい、また連絡させていただきますね!」
テンジはスマホの時計を見て、慌てて立ち上がった。
バッグを背負い、愛佳に「じゃあ、またね」と言い残して学校を後にするのであった。同じようで様々な色をした制服とすれ違いながら、テンジは玄関を出る。
日本探索師高校は東京の自由が丘が最寄り駅であり、テンジは定期券を握り締めながら電車へと向かう。
その道中、先に連絡を入れておこう、と思いスマホを取り出した。
連絡先には、『
『は~い、海童です。テンジ君?』
「はい、天城です。学校が終わったので、これから向かわせていただきます。最寄り駅は祐天寺で間違いないですよね?」
『そうだよ~……ふわぁ。あっ、ごめんね、ちょっと昼寝してた』
「いえ、大丈夫ですよ。今日は止めましょうか?」
『いやいや、こっちの予定で今日まで伸びちゃったんだから、今日にしよう。僕もずっとテンジ君と会いたかったんだよ。本当にごめんね? 急にリオンがスペインに行くって言いだすから……』
「本当にリオンさんに振り回されているんですね」
『嘘だと思ってた? あはは、これがリオンだよ。気の赴くまま、自由に、不干渉に、これが【暇人】のモットーだからね。だから、昼寝も許されるんだ』
「あははっ、ではこれから向かいますね」
『は~い、待ってまぁす』
海童の気の抜けるような寝起きの声を聞いて、テンジはおかしく思っていた。
海童とは入院時に直接会う約束をしていたのだが、急遽スペインに向かうことになったため、予定が伸びに伸びてようやく今日会えることになったのだ。
これほどの重要な人物と会う約束をしていたので、テンジが愛佳の誘いを断ったのも仕方のないことだった。
自由が丘から祐天寺までは三駅だ。
東京の三駅ともなると、数分も電車で揺られるとすぐに着いてしまう。
そのまま駅の改札を出ると、祐天寺の駅近は思いのほか閑静な住宅街が広がっていた。
その間を縫って歩くこと五分ほど、テンジはギルド【暇人】の事務所ビルを発見する。
(思っていたよりも小さいな。三階建てなのかな? ここがあの零級探索師の事務所なんて誰も知らないんだろうなぁ~)
その事務所ビルは、ガラス張りが特徴的なお洒落な建物だった。
ファサードにも波打つ鉄板が使用されており、おそらくリオン以外の誰かが注文して作ったのだとわかるセンスあるデザインだ。
規模はかなり小さく、大人数が入れるような場所でもない。本当にただの豪華な家だと言われても納得してしまいそうである。
テンジは早速敷地内へと入り、事前に買っておいた折り菓子を握り締め、インターホンを押した。
ピンポーンと音が鳴ると、すぐにガチャリと画面越しに音が聞こえてきた。
『は~い、テンジ君かな?』
「はい、そうです」
『ほいほ~い、今開けるね』
その言葉とほぼ同時に玄関から開錠音が聞こえた。
テンジは意外と大きな扉を開き、事務所の中へと入っていく。
内装を見て、テンジは思わず口をぽかんと開けていた。
三階までぶち抜いた吹き抜けの玄関が広がっており、お洒落な絵画や観葉植物がテンジを出迎えてくれた。
天井や壁は白で統一されており、所々に最新の家電が見えていた。
基本的な構造は住むことを考えた家のような場所であり、事務所という固い感じはしない。
「あっ、思ったより家だなぁって思った? あははっ、よく言われる」
玄関の細い通路の角から、海童が現れた。
原宿にありそうな上下セットアップの鼠色なおしゃれ着をダルッと着こなし、髪の毛も今どきのマッシュを銀髪に染め上げていた。
声からは想像できないほどのイケメン具合に、テンジは思わず驚く。
「あ、天城典二です!」
「あははっ、緊張しなくていいよ。ほら、そんなところに突っ立ってないでこっちにおいでよ」
「は、はい! あっ、これつまらないものですが」
「あ~、わざわざありがとね」
テンジは海童に折り菓子を渡すと、促されるまま家の中を歩き始め、リビングのような事務所へと入っていく。
そこには申し訳程度にお洒落な仕事机が四台設置されており、その他にはソファやテレビなどもあった。
もう、ほぼ家のようにくつろげるように配置である。
ソファには一人の女性がお腹を出して、がぁがぁと眠っていた。
白いキャミソールに、赤のホットパンツが際どいレベルで肌けており、見る角度さえ違えば色々と見えてしまいそうな寝姿であった。
見たこともない豊満な胸に、きゅっとくびれた腰から白い肌が垣間見える。
顔は日本人なのに、彼女の髪は真っ白だった。
その容姿は色々と思春期の高校生には強烈すぎて、テンジは思わずその女性を見つめていた。
「あっ、彼女は気にしなくていいよ。大体いつもここで寝てる子だから」
「か、彼女は?」
「
海童の説明に、テンジは言葉を失くしていた。
他人への干渉を拒むリオンがスカウトした、という言葉が脳裏から離れなくなっていたのだ。世界でも4人しかいない零級探索師が、初めてスカウトした女性。
それに、その零級探索師と肩を並べるほどの強者だと言われた事実。
途端に、その女性の存在感が大きく見えてくる。
「す、凄すぎてなんと言えばいいのか……」
「あはははっ。だったら、彼女の加入理由を聞いたらがっかりしちゃうかもね」
「加入理由ですか?」
「まぁ、とりあえずそこに座りなよ。コーヒー飲める? それとも紅茶とかの方が好きかな?」
海童はまぁまぁとテンジの質問をあやしながら、窓際に設置されていた対面ソファに座るように促した。
そこはどうやら応接する場所のようで、色々な小物が整理されている。
テンジは言われるままに席に着く。
「わざわざありがとございます。では、海童さんと同じものでお願いします」
「ほぅ、高校生でコーヒーが飲めるのかい? まぁ、僕は紅茶派なんだけどね」
海童は冗談を言うとキッチンの方へと向かい、棚から紅茶のパックと思わしきものを取り出し、カップの中へと入れていく。
すでに沸かしていたのであろうお湯をカップの中へと注ぎ、あっという間に紅茶を作ってしまった。それをテンジの前に置き、海童も対面のソファへと座った。
「ふぅ、寝起きの紅茶は体に染みわたるよ」
「はい、美味しいです」
テンジは本当に美味しい紅茶に舌鼓を打っていた。
もちろん貧乏天城家には紅茶を飲む習慣などなく、水で十分というスタイルで過ごしてきていた。
「あぁ、そういえば千郷ちゃんの話をしてたっけ」
「はい、加入理由が残念とか?」
「そうそう、彼女いわゆる働きたくない病なんだよね。だからいつもああやってここで寝ているんだ。起きたら起きたでゲームするか、ご飯食べるかぐらいだし」
「探索師……なんですよね?」
「そうだよ、あれでも千郷ちゃんは二級探索師だからね。天職も凄まじいんだ。可愛い顔して鬼みたいに強いからね」
「そ、そんな探索師もいるんですね。恥ずかしながら初めて知りました。これでも探索師高校の生徒として、有名な探索師は知識として覚えていたつもりなんですが……」
「千郷ちゃんはもう何年も一人でダンジョンに行ってないからね。そりゃあテンジ君たちの世代じゃあ知らないかも。とはいっても彼女はテンジ君の三つ上なんだけど」
「三つ上ってことは……19歳ですか!?」
「そうそう、千郷ちゃんは経歴も強さも歪だからね。あー、あと、もし千郷ちゃんと話す機会があってもアルビノですか? とか聞いたらダメだからね。千郷ちゃんはアルビノじゃなくて、天職の影響であんな髪色になってるんだ」
「わ、わかりました。覚えておきます」
「うんうん、それじゃあ……そろそろ本題に入ろうか。テンジ君の天職について」
テンジはごくりと唾を飲み込んだ。
この一か月で話すことと、話すべきではないことをすでに区別している。その中でどれだけリオンの懐刀として仕事をしてきた海童の知識を引っ張り出せるか。
ここからがテンジの力の見せどころであった。
あくまで秘密は秘密のままで、開示しても構わない情報だけで最大級の結果を得るために。
テンジは初めて人前で、自分の天職について話し始めるのであった。