第30話
テンジは静かに病室へと戻っていた。
そのままベッドの中で考察を繰り返していると、いつの間にか深い眠りについていたのであった。
† † †
「天城さ~ん、朝ですよ~」
翌朝、テンジは担当看護師である今坂に体を揺さぶられて起きることとなった。
夜更かししていたのでまだ少し瞼が重たい。それでも病院では規則正しい生活リズムを強制されるため、テンジはゆっくりと意識を覚醒させていく。
ふと今坂看護師の顔を見上げると、ぷくっと頬を膨らませていた。
「どうしました? 彼氏さんと何かありましたか?」
テンジはたまに今坂の彼氏愚痴を聞かされていたため、何かあったのだと思っていた。
大体、今坂が不機嫌なときは彼氏に関することが多いのだ。たった一週間なのだが、テンジはその事実に気が付いていた。
「もう別れましたよ! あの男は最低です! 天城さんも最低です!」
「ぼ、僕ですか?」
「えぇ、そうですよ! 今日の朝に主任からこっぴどく注意されましたよ!」
「えっ、えっと……それに僕の何が関係あるのですか?」
「昨日の夜は何をしていましたか?」
ギクリと心臓から鳴ってはならない音が聞こえた。
身に覚えのありすぎる言葉にテンジはたじろいでから、口を閉じた。
「……言い訳はしないのですね。謝ってください」
「ご、ごめんなさい」
「いいでしょう、許します。謝るだけあの最低男よりもマシってもんですよ!」
ベッドサイドテーブルにはすでに朝食が置かれていて、仕事を終えた今坂看護師はぷんすかと頬を膨らませながら病室を離れたのであった。
突然吹き荒れた嵐が去ったことに安堵したテンジは、もう一度小さな声でごめんなさいと呟き、顔を一度洗ってから朝食を食べ始めた。
やはり味は薄味なのだが、それでもテンジにとってはありがたい食事だった。
「ごちそうさまでした」
両手を合わせ、病室で静かに言った。
その後歯磨きをしてから、テレビの電源を点ける。テレビは報道番組にして音声だけを聞き流していき、閻魔の書の変化を確認し始めた。
「あれ?」
テンジの目が留まったのは、自分のステータスページだった。
経験値の増加量がいつもの倍近かったのだ。
しかし、テンジはすぐに結果を導き出す。
「あぁ、昨日の夜新しい小鬼を召喚したから、地獄領域での効率が倍になったのかな?」
単純に二体の地獄獣を解き放てば、二倍の経験値が得られたのだと気が付いたのだ。
その考察は当たっており、二体の小鬼は別々の方向へと歩み出し、それぞれモンスターを倒し続けていた。
「経験値効率を最も高くするには、地獄獣の数を増やしていくのか」
未だにレベルは一つも上がっていないので、レベルが上がった時の恩恵はわからない。それでも上限100をカンストさせるには、経験値効率を高くする方がいいに決まっている。
そうして今朝も今朝とて、自分の天職を知るべく頭を働かせるテンジであった。
その後今坂看護師が食器を片付けに来て、「お昼ごろに協会の方が来るそうなので、それまで待っててくださいね」と言葉を残して仕事へと戻っていった。
お昼というと運動しているような時間もないので、テンジは真春が持ってきてくれていた教科書を使って講義の復習を始めるのであった。
† † †
勉強に夢中になっていたテンジの病室に、コンコンと扉を二度叩く音が響いた。
テンジは集中していた顔を上げ、扉の方に視線を向けた。
「五道さん!」
「おう、テンジ君! 入っていいか?」
「はい、もちろんです!」
扉にノックした人は、今まさに世間を賑わせている五道正樹、本人であった。
五道は申し訳なさそうな表情を浮かべながらも、テンジのいるベッドへと向かった。その手には花束が握られており、お見舞いに来たのだとわかった。
体に異常のないテンジにお見舞いという言葉を使うのは少し変だと思ったテンジであった。
五道はベッドのそばにあった椅子へと座った。
そして躊躇することなく、頭を下げた。
「テンジ君、すまなかった! 俺がもっと注意深く周りを見ていれば……」
五道はずっとテンジに対し申し訳なく思っていたのだ。
自分がもっと周囲を確認していれば、テンジはあの場に取り残されなかったのではないだろうかと。
五道もあの時だけは逃げるのに必死で、スキル『五感同調』も使っておらず、一心不乱に走り逃げていたのだ。
むしろレイドにとっては最善の指示を出した人物なのだが、五道はそのふがいなさを悔いていた。
「やめてくださいよ、五道さん。頭を上げてください」
テンジは目上の五道が急に頭を下げたことに一瞬怯んだが、慌てて肩に手を差し伸べて頭を上げるように言った。
それでも五道の表情は晴れなかった。
「いや、俺にもっと力があればと今でも思うよ。本当にすまなかった」
「もういいんですよ。ほら、僕はこの通り無事に生きてます。五道さんがあのレイドを仕切ってくれていたおかげで生きてるんです。謝らないでください」
「あぁ、そうだな。……それにしてもテンジ君が生きてると聞いた時は本当に驚いたよ」
もう謝るのは逆に申し訳ないと考えた五道は、すぐに話題を切り替えた。
さすがの五道だと感心しつつも、テンジは笑って言った。
「運が良かっただけです」
「運……というには君の行動力が招いた結果だ。あの後《剣士》に覚醒して、藻岩たちの遺体の山に隠れ潜んでやり過ごしたと協会からは聞いているぞ? 本当にすごい判断力だ」
(ん?)
その違和感にすぐに気が付く。
(どういうことだ? 僕の誤った情報が協会に伝わっている?)
その瞬間に思い浮かんだのはリオンの顔だった。
電話で海童と話した時、「リオンが手を回した」と言っていたのを鮮明に覚えていたのだ。
(協会に手を回したってのは……僕の天職を偽って、誤った情報を共有したってことなのか? リオンさんの考えは分からないけど、当分はこの話に乗るべきなんだよね)
「五道さんに褒められると照れてしまいますね」
「なんだよ、俺が普段から褒めない男みたいに聞こえるじゃねぇか。あー、それと今日はこれを渡しに来たんだ」
少し雰囲気が和らいだ五道が取り出したのは、分厚い茶封筒だった。
それを見て、テンジは目を大きく開いた。
「えっと……多くないですか? 確か契約では12万円って話でしたよね?」
「いや、これはうちのギルドからの正式な報酬額だ。なんだよ、経理の話を聞いてなかったのか?」
五道はしてやったようににやりと笑って、ポケットからくしゃくしゃの契約書を取り出した。
その契約書にテンジはまるで見覚えがなく、筆跡もテンジのものではない。
「あれ? え?」
「おいおい、冗談だ。俺が経理に話をしてやったに決まってんだろ! これは今回の迷惑料も込めた金額だ。受け取らないとは言わせないぞ? 俺が折角骨を折ってやったんだ、それにテンジ君にはこれからもまだまだ働いてもらわないと困るからな! ちゃんと話は聞いてるぞ! 体も心も何も問題ないってな!」
そう言った五道の様子は、いつもとかわらない雰囲気を感じた。
「えっと……本当にいいんですか? 僕、正直その金額に見合う仕事はしていないと思うんですが……」
「何を言っている! テンジ君がブラックケロベロスの気を引いてくれていたおかげで俺たちは無事に生きて帰れたんだ。むしろこれっぽっちの金額しか渡せないことを謝りたいくらいだよ」
「で、ではお言葉に甘えていいですかね?」
「もちろんだ! また今度指名させてもらうからな! 今度こそ安全なダンジョンライフを約束する」
「は、はい! ぜひお願いします!」
五道が手を差し出してきた。
テンジは慌ててそのごつごつとした大きな手を握り返した。
二人の間には元々確執も何もなかったのだが、改めて五道から「これからも頼む」と言われたことにテンジは嬉しく思っていた。
そもそもテンジは未だに心ではわからなかったのだ。
自分を突き飛ばした稲垣累、彼を恨んでいるのか恨んでいないのか。
元々レイドの人たちには感謝しているし、恨んだりはしていない。むしろテンジを雇ってくれて、荷物持ちなのに食料すら分け与えてくれて、分け隔てなく接してくれて感謝してすらいるのだ。
ただ、稲垣累への気持ちだけがわからなかった。
恨んでいるか? と聞かれればすぐには頷けない。
自分でも自分がお荷物だったとはわかっていて、理屈では自分が切り捨てられるのは納得できる。だけど、理屈と気持ちは別なのだ。
客観的に見れば稲垣累が正しい、結果も彼の行いが正しかった。
しかし、主観的な目で見ればテンジは稲垣累を恨んでいる。
客観的と主観的、どちらから見ればいいのかわからなかった。
だから、テンジはあまりこのことを考えないようにこの一週間を過ごしていた。
「それじゃあ俺は他のやつらのお見舞いにも行ってくるよ。また連絡するから俺の連絡先を消してくれるなよ?」
「もちろん消しませんよ! これからもお世話になりますね」
「おう、じゃあなテンジ君! とりあえず今度、天職の覚醒祝いで焼き肉でも奢ってやるよ。もちろん真春ちゃんも呼んでいいからな!」
「はい、お誘い待ってますね!」
五道はいつも通りなテンジの健気な表情を見て、心の底から安堵していた。
自分のせいで探索師の道を閉ざしていたらどうしようかと悩んでいたのだ。それよりか天職まで覚醒させて帰ってきたことに、嬉しく思っていた。
(テンジ君はこれから飛躍するような心の持ち主だ。大丈夫、テンジ君は強くなるぞ。本当ならばチャリオットに入れてあげたいが、五等級天職では難しいよな……。はぁ、ままならないもんだな、まったく)
五道はテンジの未来を想いながら病室をあとにしたのであった。
一人残ったテンジは、いつも通りな五道の様子を見て、自分が役に立てた事実を誇りに思っていた。
そして貰った茶封筒の中身をおそるおそる確認してみる。
「え? 待ってよ五道さん……これはさすがに…………」
入っていた金額は現金で100万円。
そして五道の名前で切られた小切手が一枚、そこには500万円と記載されていた。
さらに小さなメモ書きも同封されておりに、そこには「これで真春ちゃんに美味しいもの食べさせてあげろよ。それとインナースーツくらい買え、荷物持ちと言えどあるとないとでは雲泥の差だ。余った分は好きに使うといい、頑張れよ」と達筆な文字で書かれていた。
封筒の厚さから100万円くらいあるかも、とは思っていたテンジであったがそこに小切手が入っているとは思っていなかったのだ。
五道の想いに、憧れずにはいられなかったテンジであった。
「僕もあんなカッコいい大人になりたいなぁ」
心の中で何度も五道に感謝を言いながら、テンジはこれで真春に美味しいお肉をたらふく食べさせてあげられると思い、小さくガッツポーズをする。
そして大事そうに抱えながら、バッグの中へと隠すのであった。
コンコン、とノック音が再び鳴った。