第15話
「……ん」
テンジが目を醒ました。
久しぶりに開いた瞼は思ったよりも重たく、僅かに開いた隙間から眩しいほどの光が差し込んできた。
それもそのはずだ。テンジはあれから丸三日眠っており、一度死の間際まで体が損傷していたのだから、体は少し動かしづらいだろう。
ゆっくりと体を起こし、時間を掛けて瞼を開いた。
「…………あれ、どこだっけここ」
完全に覚醒したテンジは周囲を見渡して、そう静かに呟いた。
薄墨色の岩肌がごつごつとした壁や床、明るくはないが暗くもない微妙な明かり、土埃っぽい空気に、ツンと香る獣の匂い。
思わず顔をしかめてしまうほどの鉄の香りと人間の腐敗臭。
「ああ、そうだ。思いだした」
周囲の状況を見てテンジはようやく自分の置かれた状況を思い出した。
目の前に広がる眉間を貫かれた青年探索師の死体。そこから円状に広がる血の池。
いつの間にか赤色に硬質化している魔鉱石が一つに、赤と黄色の半々に硬質化した魔鉱石が一つ。それらがテンジのすぐ近くに転がっていた。
「なんだ……死んでたのか、あのモンスターたち」
そう言ったテンジは妙に落ち着いていた。
近くに転がっていた二つの魔鉱石は、蜘蛛型モンスターとブラックケロベロスの物だとすでに気が付いており、脅威がないことを悟ったのだ。
その上、なぜか自分は無事に生きている。
喰われたはずの脇腹も両腕も両足も、何もかもが元通りになっていたのだ。
痛みも、寒さも、苦しさも。全部がまるでなかったかのように、そこには健全なテンジの体があった。
ただそれでもテンジはあまり驚いていなかった。
「ああ、うん。そういうことか。僕……覚醒したんだ」
テンジは感覚的に自分が天職を授かった――覚醒をしたのだとわかっていた。
それは何となくという感じではなく、まるで元々知っていたような記憶として、テンジの記憶の中に植えこまれていたのだ。
テンジはその記憶を引っ張り出し、自分が聞いたこともない『特級天職』という天職を授かったのだとわかった。それも、これまた聞いたことのない『獄獣召喚』という明らかに何かを呼び出すような能力だということも、わかっていた。
ただそれだけだと自分の体が無事な理由にはならないし、モンスターが倒れた理由も判別できない。
しかし、テンジはとある報道番組でこんな話を聞いたことがあった。
――私がこの一等級天職に覚醒するとき、実は腕を失っていたんです。腕を失っていたのは半年も前のことだったんですけど、覚醒すると同時に「一等級天職ギフトその一を獲得しました。損傷部位の再生、経験値1000、一等級武器の贈与から選んでください」って言葉が頭に響いてきたんですよ。それで恐る恐る『損傷部位の再生』を選んでみると、一秒も経たずに腕が再生したんです。
覚醒と同時に損傷した腕を再生させた、という話だ。
これは探索師界隈では非常に有名な話でもあり、一等級以上の天職を獲得した場合にのみ聞こえてくる特典らしい。
そこからテンジは自分が生き延びている理由を推測していた。
聞いたこともない『特級天職』が一等級以上の天職だった場合、テンジが無事で生きているのも頷ける。ただテンジの場合はその声を聞く前に意識を失いかけていたので、何らかの形で自動的に行われたのだと判断した。
そしてすでに死んで魔鉱石化していたモンスターたちだ。
これもテンジは覚醒と同時に何かが起こったのではないかと予測していた。
記憶をすり合わせれば何ら不思議の無かったので、テンジはこんな状況においても妙に落ち着いた様子で周囲を観察していたのだ。
そこでテンジはゆっくりと起き上がり、まだ上手く操れない自分の体を動かしながら壁際へと移動した。
そのままちょうどいい窪みに腰掛け、ふぅと息を吐いた。
「さて、僕はどうしようか」
テンジは自分が今一番に行うべき行動を考える。
・死んだ青年探索師の供養と武器の回収。
・魔鉱石の回収。
・チャリオット正規メンバー八人の遺体から武器を回収する。
・自分の能力を把握する。
・上手く動かない体を慣らすために運動をする。
・みんなを追ってダンジョンを進む。
ざっと整理するとこんな感じであった。
目の前に青年の死体があって若干腐敗臭はするものの、体がまだ覚醒しきっていないのかあまり匂いは気にならなかった。
それに死体があるという現状にもそこまで恐怖を感じていなかった。
その時だった。
ぐぅ~とお腹が鳴った。
「お腹空いてるっぽい。そういえば僕ってどれくらい意識を失っていたんだろうか。まあ、先に食料を手に入れないと。体に何もエネルギーが無い感じだ」
思いのほか体に力が入らないのは、ただエネルギー不足なだけなのではないかと考え、テンジは先に食料の問題を解決することにした。
ダルい体を起こし、ゆっくりと死んでいる青年探索師の元へと歩み寄った。
よく見ると青年は瞼を開いたまま死んでいた。
テンジは最初にその青年の瞼を優しく閉じさせ、静かに目を瞑り両手を合わせた。
「ごめんなさい、少し漁らせてもらいます」
心の底から謝るように弔い、テンジは青年の服のポケットをごそごそと漁り始めた。
食料の配給は荷物持ちがする仕事ではあるが、このようにいつ何時に一人でダンジョンを彷徨うかもわからないので、プロの探索師たちは必ず自分専用の軽量コンパクト食料を隠し持っている。
それを知っていたからこそ、テンジは青年の死体を漁っていたのだ。
「あっ、あった。……この人、やっぱり自分の食料を出し渋ってただけだったんだね」
この青年は意外とがめつい性格をしていた人だったんだと、テンジは初めて気が付いた。
ダンジョン遭難にあって一週間ほど経ってから、五道は隠し食料の提供を参加者全員に求めていた。ほとんどの探索師たちは五道の意見に賛成し、結構な量の食料を荷物持ちであるテンジに預けていたのだ。
しかし、テンジは気が付いていた。
この青年だけは他の人よりも明らかに提供食料の数が少なかったことを。
だけど、今はそのがめつさに感謝していた。
彼がただの心優しい青年であれば、テンジは今食料を得ることができなかったのだから。
「ありがたくいただきます」
再び死人に感謝を述べたテンジは、食料に齧り付いた。
むしゃむしゃと我を忘れるほどに食べ始め、自分がこんなにもお腹が空いていたことに内心では驚いていた。
「水、誰か持ってたかな」
隠し食料は水分が極限まで抜かれたものが多いため、すぐにテンジの口の中はパサパサと乾ききってしまったのだ。
そこでテンジはふと思い出した。
「そういえばチャリオットの藻岩さんは常に携帯水を持っていたはず」
ここより少し先の暗闇で、おそらく死んでしまったのであろう藻岩孝の持ち物を思い出したのだ。
テンジは口の中に食料を放り込みながら、拙い足取りでその場所へと向かった。
(まぁ、モンスターは大丈夫だと思う。ブラックケロベロス自体がモンスター除けの性質を持っているし、確かその影響は魔鉱石になっても有用だったはずだ)
この時ばかりは、テンジが父からよく聞いていた冒険話が役に立ったと気が付き、思わず小さな笑みを浮かべた。
モンスターには共食いをするモンスターがいて、そういう性質を持つモンスターは遺伝子レベルで他のモンスターから避けられるのだ。
逃げる側のモンスターたちは、特定のモンスターのMP原子の波長を感知し、逃げるらしい。
ということは、モンスターのMP原子が集約された魔鉱石だって、モンスター除けのアイテムとしては十分なはずなのだ。
「……これが一等級モンスターの魔鉱石か。こんな近くで見たのは初めてだな」
テンジはあの場所へと向かう前に、二つの魔鉱石を回収した。
魔鉱石なんて探索師か研究者にでもならない限り、手にする機会はほとんどない。
ましてや、日本ではほとんど出回らない一等級魔鉱石なんて、ただの高校生であるテンジがお目にかかる機会なんてなかったのだ。
ただ一度だけ、学校の授業で教材用として先生が持参してきた一等級魔鉱石を見たことがあったくらいであった。
テンジは二つの魔鉱石をポケットへと無造作に仕舞いこみ、あの場所に向かって歩き出した。