第6話
洞窟の灰墨色が広がる十五階層の中に、複数人の足音が聞こえてきた。
それを聞いてテンジの隣に座っていた累が立ち上がった。
「叔父さんたちが帰ってきたようだ」
その足音だけで累にはわかったらしい。
稲垣累は、一級探索師の父を持ち、二等級天職の叔父を持ついわゆる正真正銘の新第二世代の子供だ。英才教育を小さい頃から叩きこまれており、探索師として神童であると探索師界隈では有名らしい。
累に続くようにテンジと朝霧が立ち上がり、他の探索師たちもぞろぞろと立ち上がっていく。
全員が立ち上がって自分を待っていることに驚いたのか、五道たちも足早にこちらへと戻ってきた。最終的にはほぼ駆け足になっていたが、そこに右城がやってきた。
「おう、遅れたか?」
「正樹さん! 遅いですよ!」
水色の蛇腹剣を腰に携えた右城が、急かすように答えた。
その様子を見て、五道は頭に疑問符を浮かべた。
「どうした? まだ集合時間前だが?」
「それよりもそっちはどうでした?」
「あぁ、それがな……道はあったんだが、上への道はなかったよ。下に繋がる道はあったんだがな。他のチームはどうだった?」
五道の言葉に、右城以外の三人の探索師が即座に首を横に振って否定した。どうやら空振りだったようだ。ここから五本に広がる迷宮の道の三本は閉ざされている。
その様子を見て、右城が「まさか」というような顔をした。
「俺は来た道を確認してきたんですが……完全に道が塞がっていました。念のため攻撃をしてみたんですが、やっぱりダンジョンの壁はびくともしませんでした。他の場所も同じだったのか?」
右城は信じたくなかったのか、もう一度チャリオットの探索師たちへと視線を向けた。
それでも誰もが首を縦に振ろうとはせずに見た状況を話していく。
「こっちは完全に行き止まりだ。枝分かれした道も見てきたが、全部ダメだった」
「こっちもだ、全て塞がれてた」
「私のチームもよ」
その言葉の応酬だけで、ここにいるほぼ全員が理解してしまった。
五道が言っていた不定形ダンジョンという存在。
不定型ダンジョン特有の揺れ。
ここに来るまでに通った道が塞がれ、上に上がる道も全て塞がれていた。
そこでようやく見つけた進める道は、下へと繋がる道だけ。
五道は観念したようにふぅと息を吐き、ゆっくりと顔を上げた。
「なるほどな、これは間違いなくダンジョンの構造変革に巻き込まれたな。それもただのダンジョン構造変革じゃない……出口の見えない場所に閉じ込められたってことだ」
「ど、どうしろって言うんだよ!?」
一人の若い探索師の青年が動揺したように叫んだ。
それでもチャリオットの正規メンバーは誰一人として動揺してはおらず、真剣な瞳でその青年へと視線を向けた。
青年の叫びに、右城が真剣な面持ちで答えた。
「進むしかねぇだろ」
「す、進むって下の階層にか!? お、俺は今回15階層までしか潜らないって聞いたから参加したんだぞ! 俺にはこれ以下の階層は荷が重い!」
「大丈夫だ、このレイドにはあの五道さんがいる。それにチャリオットの正規メンバーが15人もいるんだ。例えこのダンジョンが二等級ダンジョンに変わっても、モンスターのレベルは俺たちの敵じゃない」
右城の堂々とした物言いに、ここにいた探索師たちは納得させられる。
――確かにチャリオットならば、と。
チャリオットは世界でも非常にレベルの高いギルドとして知られている。中でも、日本ではトップ10ギルドの一角として名を馳せていた。
それは加入条件の厳しさと、日々の訓練の厳しさやノルマを世間に公開しているからこそ、世界有数のギルドとして名を馳せているのだ。
そのチャリオットの最前線で、ましてやあの有名な五道がいるということもあって、全員がその言葉に強い安心感を抱いてしまう。
「そうだ、右城の言うとおりだ。俺たちチャリオットはこのレベルのダンジョンで死ぬわけがねぇ」
右城の言葉に同意するように、五道が笑って答えた。
しかし、すぐに表情を真剣なものへと切り替えて、右城へと言った。
「だが、ちょっと違うぞ右城」
「正樹さん?」
「言っただろ、不定型ダンジョンはモンスターのアルゴリズムさえ変えてしまう可能性もあるんだ。確証はないが、モンスターの平均等級が上がっている可能性だってある」
「そ、そんなことが過去に?」
「あぁ、あったな。俺の時は炎兄がいたから何ともなかったが、今回は炎兄ほどの強者はここにはいない。その分、気を引き締めていくしかない」
五道のその掛け声は、チャリオットの全員の心を鼓舞していた。
チャリオットにとって、五道正樹はそれほどに精神的主柱になりうる存在だったのだ。
もちろん他の探索師も五道正樹の名前を知らない者なんていない、それほどまでに五道の名前は探索師界隈では有名な存在だった。
――五道正樹と組めば、120%の自分を引き出してくれる。
そんな言葉が広まっているように、五道は仲間の能力を最大限引き上げる能力に特化しており、非常に賢いのだ。
「あぁ、でも一つ言っておくぞ」
気が付いたように、五道が全員に向けて口を開いた。
「ここから離れずにこの場にで救助を待つって手もある。まぁ、この場合食料問題が発生するがな」
「……救助を待つ?」
五列目に組み込まれていた二十代半ばの女性探索師が、思わず聞き返した。
彼女は先ほどから非常に動揺した素振りを見せており、突然聞かされた進まないという手段に光明を見出したのだろう。
そんな彼女に、五道は思い出すように話し始めた。
「中国の場合だがな。ダンジョンが変革を起こした場合、ただちに一級探索師以上の探索師を複数ダンジョンに派遣し、救出作戦が始まる。日本には不定型ダンジョンはないから、今回が初めての事例ではあるが、この国にはあの零級探索師がいっつも暇してやがるからな。やつの救出が来るまで食いつないで待つという方法もある」
「でも、食料はあと……」
「ああ、元々二週間分しか持ってきてないからな。かなり際どい手段ではある」
「そ、そうですよね……現実的じゃないです」
「だから、先に進むべきだと俺は考えている。案外、ちょっと進めば上に繋がる道が見つかるかもしれねぇ。でも、進む分戦闘回数は増加し、食料消費も早くなるだろう。だからここは多数決で決めようと思う。どうだ?」
その意見に反論する者はいなかった。
押し黙る者、五道に委ねる者、学生であることを隠れ蓑にする者、様々な反応ではあるがここで反論する探索師はいなかった。
「じゃあ、ここに残るべきだと思うやつ、手を挙げろ」
手を挙げたのは、若い青年と女性の探索師二人だけだった。
その他の探索師は誰も手を挙げなかった。
「じゃあ、進むべきだと思うやつ、手を挙げろ」
他の32名が迷うことなく手を挙げた様子を見て、五道は不敵に笑った。
「いい根性してるじゃねぇか。探索師足るもの、引くな、前へ進め。それこそが探索師として成り上がる唯一の道だ」
それは探索師として成功した、本物の探索師からの言葉だった。
手を挙げなかった青年や女性の探索師は少し恥ずかしそうに俯きながらも、その言葉をしっかりと噛みしめ、闘志に火を燃やしたのであった。
もちろん他の探索師もその言葉を聞いて、燃えないわけがなかった。
「これからはモンスターと食料との戦いだ。最悪、仲間の肉を食らってでも生き抜け。ここはそういう世界だからな」
この時ばかりは、五道という存在が誰からも大きく見えていた。
学生たちにとっては、未知の出来事で内心では心の整理が付いていなかった。それでも五道と一緒ならばという思いもあり、彼らの意志に従うことにした。
「ああ、それとだ。学生たちよ、これは探索師になるために重要な経験となるはずだ。もし生き残れたら、それは誇っていい。そして願わくば、俺のように夢を与える側になってくれ。さあ、行くぞ! ここからは誰一人死ぬことを許可しないからな! 本気を見せやがれ!」
彼らはダンジョンの変革に飲まれ、完全に閉じ込められた。
それでも唯一残っていた下へと続く道を選択し、進む決意をした。
――だが、彼らは知らない。
これより下層に眠る凶悪なモンスターたちのことを。