第4話
ダンジョンゲートを潜る前には、施設の入り口で身分を確認されることが法律で決められている。その後、ダンジョン前の常駐自衛官はギルドが事前に申請した内容を読み上げることが通例となっていた。
ダンジョン滞在期間、人数、目的などいくつかの項目を読み上げ、レイドのリーダーに間違いがないかを確認する。
最後に、一人ずつ身分証を提示し申請書と相違がないかを確認される。テンジや朝霧のような学生の場合は日本探索師高校の学生証を、プロの探索師は専用のライセンスカードを提示する。
それさえ終わってしまえば、ダンジョンへの入場が正式に許可されるのだ。
「――では、【
施設の入り口から塀の中にある中庭に出ると、すぐ目の前に見上げるほどに巨大な漆黒なダンジョンゲートが鎮座していた。気持ち的にはスカイツリーの真下から見上げているような感じである。
中庭には多くの自衛官が警備をしており、どこか厳格な雰囲気が漂っている。
そこに34名のレイドが現れると、全員の視線が一身に集まる。そんな彼らは堂々とした表情でダンジョンゲートの目の前まで歩いていく。
と、そこで一人の自衛官が敬礼をした。
どうやらテンジたちのレイドパーティーを見送ってくれているようだ。
自衛官の敬礼を合図に、探索師の彼らは臆することなく平然とした表情でゲートを潜ぐっていく。
ゲート間には、墨汁のような奇妙な黒い液体油膜が存在するが、これが無害であることは誰もが知っている。ただほんのりと生暖かい液体、そんな印象を持つ探索師が多かった。
一番最初に今回のリーダーである五道が入り、続くようにチャリオットの正規メンバーたち14名が入っていく。
その後すぐに稲垣累もゲートを潜り抜け、ぞろぞろと他の探索師が無言で入っていく。
そうして最後に、荷物持ちの二人が入っていく。
テンジは飄々とした表情で、朝霧は初めてのダンジョンゲートに緊張で顔を強張らせながらゲートの中へと足を踏み入れた。
† † †
――御茶ノ水ダンジョン内部。
そこには灰色の石畳で足元が綺麗に舗装されたダンジョンが広がっていた。
壁面も天井も同じような石材で舗装されており、どこか意図的に整えられているような気配さえしてくる。
入り口付近は十分すぎるほどには広く、車十二台くらいが横並びで通れる幅があった。
壁際に等間隔で浮かぶのは、ダンジョンに明かりを灯す暖色の光球。それが探索師の進む道をほどよく照らし、視界を常に良好に保っている。
くんくんと鼻を動かせば、ほんのりと香る土臭さと鉄臭さがあり、そして微かに獣臭がツンと鼻を通り抜けてくる。
そんなダンジョンゲートを潜った先に、34名全員が無事に到着していた。
五道は全員の顔色を確認すると、ホッとするように安堵の息を吐いた。
「よし、誰もランダム転移させられなかったな」
「正樹さん、ランダム転移なんて一年に一件あるかないかじゃないですか」
「それもそうか。でも、毎回この時だけは怖いぜ。ゲートを通って気が付いたら、周りに誰もいないなんてこと嫌だからな」
はははっ、と笑い声がダンジョン内に響いた。
ランダム転移とは、世界で稀に起こる現象であり、ダンジョンゲート通過後にダンジョンのどこかへとランダムで転移させられてしまう現象だ。
世界を見渡しても、一年に一件報告されるくらいの頻度ではあるのだが、探索師の間では恐怖の現象であることは間違いなかった。
その理由は、ランダム転移に巻き込まれた探索師の致死率が90%を超えるからである。
「さて、行こうか! 当分は肩慣らしを兼ねて、戦闘はチーム単位で回していくからな。最初は俺たちチャリオット組だ」
「おう」
「よっしゃ、稼ぐぞ!」
「まぁ、五道さんのレイドなら安心して戦えるな」
「学生たちはちゃんと俺たちの背中を見て学べよ!」
思い思いに意気込みを語っていくと、すぐに彼らは慣れた歩みで前進を始めた。
中規模レイドの基本隊列に、五列六人、というものがある。
一列に六人を配置し、それを五列にして間隔を適度に空けながら進んでいく隊列のことである。この場合のチームとは、一列六人のことを指し、彼らは一つのチームとして命を預け合うことになる。
今回のレイド参加者は合計で三十四名だ。
その内、補助探索師としては学生である稲垣累が二列目のチームに加わり、そのチームだけは特例で7名構成となってモンスターと対峙することになる。
他の学生であるテンジと朝霧は、四列目と五列目の間で最も襲われにくい位置取りをしていた。
残りの一人は、単独で行動をする斥候役や指南役の上級探索師を選ぶことが多い。
最前列よりもさらに前方で、トラップやモンスターの探知を行うことでレイドの負傷率を下げるのが目的である。
今回のレイドでも斥候役が選ばれており、チャリオットに所属する三等級天職の《盗賊長》を持つ
盤石の布陣という理由以外で、彼らが安心している理由があった。
それは今回のリーダーである五道という男の存在だ。
「……前方から『パープルドッグ』が三体来るぞ!
「おう!」
「らじゃ!」
「よっしゃ!」
「任せて!」
五道の二等級天職《指揮官》は「指揮をする」という一点において非常に優れていた。
仲間と五感を共有することで即座に戦場の情報を集約するスキル『五感同調』、言葉に出さずとも指示を出せる『指揮伝達』、言葉に鼓舞を上乗せして仲間のアドレナリンを活性化させる『言語鼓舞』などいくつもの指揮系能力があった。
さらに仲間の才能を上限まで引き上げるバフ能力も持っていた。スキル『才能強化』は、仲間の能力に見合ったバフ効果をもたらす。盾役ならば防御を上げ、魔法役ならば魔法の威力を向上させ、弓役ならば矢の威力や射出速度を上げ、剣役ならば武器の切れ味を増加させるのだ。
これこそが、五道が全幅の信頼を寄せられる理由であった。
彼と一緒に戦えば、いつもよりも強くなった気がするため、自分が絶好調であると脳が自然と誤認してしまうのだ。
「ほわぁ……これがプロの探索師なのですね」
朝霧は憧れの芸能人を見ているかのような惚けた声を上げ、彼の戦いに見入っていた。
五道のバフ効果で、名指しされた4人の体から緑色の湯気のようなものが上がって見えた。
そこで体大の銀色の盾を持った巨躯の男性――
彼は大きく息を吸うと、敵を挑発するように大声で叫んだ。
「『インダクション』ッ!」
口元から赤い波紋が空気中を広がっていき、壁を揺らすほどの振動を起こした。そして銀色の大盾が淡く光り輝いた。
大盾の光にモンスターの視線が自然と吸い寄せられ、全ての敵が藻岩へと突進方向を変える。
パープルドッグは全身を紫色の毛並みで覆っており、大きさはゴールデンレトリバーほどのモンスターである。口の隙間からはギザギザに噛み合った牙が見えており、その瞳は紫色に輝いて見えた。
紫色、つまりパープルドッグのモンスター等級は『五等級』ということになる。
彼らにとってみれば格下であり、準備運動なのだ。
「大山、神田!」
そこで五道が指揮を振るった。
チームの後方で弓を構えていた
大山の体から湧き出ていた緑色の靄は、矢へと乗り移り、テンジたちのような学生の目では一切追えないほどの速さでパープルドッグの一体を貫いた。
敵は声を上げる間もなく、体の半分を削り取られていた。
そのまま地面に倒れ込むと、徐々に体が紫色に硬質化していく。
それとほぼ同時に、魔法役がよく持っているロッドが強く光った。
神田彩加――20歳、痴女、むっつり――はロッドの先を一体の敵へと向け、簡易詠唱を終えた。
「『ウィンドブレイド』ッ!」
ロッドには周囲の風が目まぐるしく集まり、白い風の結晶を作り出した。それが瞬きするほどの短時間で一本の風刃へと変形し、解き放たれた。
「キュゥン!?」
パープルドッグ一体の体を横から真っ二つに斬り裂いた。
そのモンスターも地面に倒れるや否や、体を紫色に硬質化させていく。
「藻岩! 右城!」
「おうよ!」
そこで最後に残ったパープルドッグが藻岩の大盾に勢いよく突進した。
藻岩はそれを事前に察し、タイミングを見計らうように衝突と同時にスキルを発動する。
「『カウンタープッシュ』ッ!」
ドン、とぶつかったモンスターは大きく態勢を崩しながら、後方へと大きく吹き飛ばされていく。慌てて近くの地面に着地しようとするも、そこに一人の人物が急速に接近した。
その人物は水色の蛇腹剣を持ったイケメン風探索師、右城葉介――26歳、彼女大好き変態――だった。
「藻岩! ナイスだ!」
右城は態勢を崩したままのパープルドッグを空中で真っ二つに叩き斬った。
それはおおよそ人間の動きとは思えない速さと威力を持った剣術であることは、テンジの目から見ても明白だった。
――天職を授かった探索師は、等しく人間ではない。
どこかの評論家が口にした言葉だ。
もちろんその評論家は炎上に炎上を繰り返し、業界から追放されたと聞く。
しかし、誰もがわかってはいたのだ。天職を授かった探索師は、人の何倍も何十倍も強い存在であることを。
アメリカの研究機関が発表した論文では、こんな計算結果が記されている。
プロのアスリートの身体能力を『1』とした場合。
五等級天職を持つ探索師は『2』、四等級は『6』、三等級は『20』、二等級は『40』であると。
今戦ったチャリオットのメンバーは、誰もが三等級以上の天職を有している。
というのもチャリオットの加入条件の一つに、『三等級天職以上』という項目が存在するからだ。
であるからして、彼らは通常の人の20倍以上の強さを持っていることになる。
「おう、みんな調子良さそうだな!」
「そりゃあ、五道さんと一緒ですからねぇ。不調なんてことありえないですよ」
「ほんと、いつもの何倍も力を出せる感じです!」
「はははっ、何倍は言い過ぎだ。多くてもいつもの1.2倍くらいだ」
後に残ったのは体が硬質化した三体のモンスターであった。数分もするとその体は500円玉ほどの小さな紫色の宝石となっていた。
彼らはそれを回収し、荷物持ちであるテンジへと預けた。
これは探索師がダンジョンに潜り続ける理由でもある宝石だ。
モンスターの死後、約50%の確率で死体が硬質化を始め、最終的には直径1cmほどの小さな宝石となる。それは次世代のエネルギー源として非常に注目されており、ただ水に浸すだけで膨大なエネルギーを生み出すことが22年前に発見された。
有害物質を一切出さずに、エネルギー効率も今までとは比べ物にならなかったのだ。
軍事利用、宇宙利用、自然開発利用、温暖化対策、様々な方向でこの宝石――
もちろんモンスターの等級が高ければ高いほどエネルギー効率も良く、高く買い取ってくれるのだ。
この魔鉱石は、平均的な探索師にとっては非常に重要な資金源であるため、できるだけ持ち帰ることが推奨されている。
今回のレイドも例外ではなく、「持って帰れるものは持って帰ろう」というスタンスのため回収作業は逐一行う予定であった。
そして――。
彼らはダンジョンを順風満帆に進んでいく。
† † †
――二日目。
彼らは目的である第十五階層へと辿り着いていた。
「順調に来てるな」
「えぇ、そりゃあ五道さんのレイドパーティーですからね。順調にいかない方がおかしいですよ」
チャリオットの面々も自分たちはいつもよりも力を出せていることに気を良くしており、ほんの少しばかり空気が緩んでいた。
いや……緩んでいたのかもしれない。
それが来るまでは――。
ズズズズズズズッ。
――大地が揺れ始めた。