明治大学の絆は特別なもの
―お二人はテレビ出演やインタビューなど、いろいろな場所でご一緒されることがあるかと思いますが、「明治大学で」というのは初めてではないでしょうか。
三ツ矢 そうですね。僕たちは一時期コンビかというくらい一緒の仕事が多かったのですが、確かに一緒に明治大学を訪れたのは初めてです。私は明治大学の卒業生ですが、日髙さんの息子さんも明治大学付属明治中学校、高等学校から明治大学に入られました。とても素直でしっかりした芯がある息子さんです。
日髙 三ツ矢さんは親戚のように息子をかわいがってくださるので、息子も慕っていて、三ツ矢さんとおしゃべりすることをいつも楽しみにしています。三ツ矢さんのお芝居もいつも観に行っていますよ。そういう意味では、息子は明治大学と三ツ矢さんに育てていただいたと思っています。
三ツ矢 アニメ『タッチ』のヒットもあり、二人で一緒にする仕事が多かったので、親戚のおじさんという印象なのかもしれません。日髙さんが結婚して出産されてからも、よく会っていましたね。
日髙 明治大学つながりということで、また一つ、私たちの関係が深まったとありがたく思っています。
―それだけ明治大学の絆は特別なものなのですね。
三ツ矢 芸能界では出身大学を聞かれることはあまりありませんが、何かの折に明治大学出身と分かると「ああ!」と言われる。やはり特別なつながりを感じます。
―三ツ矢さんには2019年10月、40年目の校友として明治大学のホームカミングデーに来ていただきました。久しぶりの学び舎はいかがでしたか。
三ツ矢 あまりの変貌ぶりにびっくりしてしまいました。僕たちの時代は「この建物は戦後からずっとあるんじゃないの?」というくらいにすすけた感じの校舎でしたので、昨年久しぶりに訪れた際は「あの明治大学はどこにいってしまったのか?」というくらい校舎が素敵になっていました。このリバティタワーは23階建てですか。今の学生は恵まれていますね。大学のリニューアルに伴ってお茶の水周辺の雰囲気も洗練されて、都会的になったような気もします。
―三ツ矢さんの学生時代の思い出を教えてください。
三ツ矢 ジャズ研究会でボーカルを担当していたことが一番の思い出です。僕は子役の頃から仕事をしていて、大学時代も舞台の仕事をしていました。外で演劇をやっているから、大学では音楽をやってみようと考えたのです。ミュージカルなどでジャズの曲が歌われることが多いこともあり、ジャズ研のデモンストレーションを観に行って入部を決めました。
―お仕事をされながら明治大学へ入学してみようと思われたのはどうしてですか?
三ツ矢 僕は高校卒業後、映像関係の専門学校に2年間通いました。そこで映画やシナリオについての勉強をする中で、自分には知識と体験が足りないと感じることが多々あり、専門学校卒業後に明治大学に入ることを決意しました。高校卒業時に専門学校に行くか大学に行くかを考えた時にも、大学に行くなら明治大学しか考えていませんでした。
―その当時、明治大学の魅力をどのように感じていていましたか?
三ツ矢 明治大学は他大学に比べて自由でラフな感じがして、それが僕の感覚に合っている気がしたのです。明治大学でなら、構えず気楽に大学生活を送れると思いました。明治大学の学生は、自由にしているからこそ個性が際立ってくる雰囲気がありましたね。
―では、日髙さんのご子息が明治を選ばれた理由をお聞かせください。
日髙 小学生の時にいろいろな中学に足を運び、本人が一番気に入ったのが明治大学付属の中学校でした。息子に「どんなところが良かったの?」と聞くと、「みんな元気で明るくて楽しそうだから、僕もここに通いたい」という答えが返ってきたのです。男子校時代の駿河台(猿楽町)の校舎まで文化祭を見に行った際、ブラスバンドが校庭で迎えてくれて「かっこいい!」と感激。それから模擬授業も受け、「先生がとても親切で話も面白かった!」と話していました。息子は自分をしっかりと持ち、枠にはまらないタイプでしたので、本人に合った学校を探すことが親としての使命だと思い、たくさんの学校を見学しました。中でも明治中学校には何度も学校説明会に足を運び、先生の話も記憶するほど伺いました。子どもたちの持っている力を見極めながら温かく広い心で自由に伸び伸びと育てたいという教育方針を伺い、息子にそのような学びの場を与えたいと思い、受験を決めました。当時の受験会場がこのリバティタワーで、雪の降る中、お弁当を作って持たせたことも思い出です。
―明治は「『個』を伸ばす」ことを大切にしていますが、印象はいかがでしたか?
日髙 本当にそう感じます。大学は自分の好きなことに特化して追求して学べる環境ですが、明治の中学・高校は、バランス良く広く学ぶため、「個」を尊重しながらもどんどんお尻を叩いてくださるという感じが親としてはありがたかったです。特に高校では目標である明治大学入学に向けて、学力を含めてしっかりと子どもたちを育てて送り出すという先生の意志がひしひしと伝わってきました。
―ご子息は中高時代に部活はされていましたか?
日髙 最初に見学した文化祭の印象が強かったようで、吹奏楽部に入部しました。お休みは、お正月とお盆くらいしかなくびっくりしました。ほぼ1年360日、私は息子のお弁当を作っていたのではないかと思います。子どもが「朝練も行きたい」「合宿も参加したい」「コンクールに向けて頑張りたい」と言うので、私にできることはお弁当を作ることくらいと、一生懸命サポートしました。最初は慣れなくて入学後3カ月くらいは寝不足で思い切り老け込みました(笑)。
―保護者の方々も明治の絆は感じていますか?
日髙 それはもちろん感じます。付属の中高は明治大学と同じ校歌を歌うのですが、片手を腰に、もう一方の手はこぶしを握って腕を回すという動作は、私たち保護者もことあるごとにやらせていただいています。明治に入学したのは子どもなのですが、私たちまで一緒に入学したかのような気持ちで校歌を歌わせていただいております。そんな風に皆さんと共に過ごしていく中で明治の魂のようなものがじわじわと保護者にも伝わっていくという印象で、だんだんとママ友の間でも明治愛が深まっていきました。