295話 交渉と水掛け論
明らかにボンビーノ家の高速船とは違った形で作られている帆船から、一人の紳士がやって来た。
ペイスにも面識のある人物であり、神王国の国内政治でも一派を形成する重鎮。
綺麗に整えられた身なりからは品の良さを感じつつも、張り付けたような笑顔が、刺々しい今の場には相応しくない。
「コウェンバール伯爵がわざわざおいでとは驚きました」
チクリと棘の含まれた言葉を投げかけるペイス。
「偶々雑務でレーテシュ伯の所に居ましてね。どうやら一触即発の事態を防げたようで、ほっとしているところだよ。ははは」
皮肉にも取れるペイスの言葉を、飄々とした態度で受け流すコウェンバール伯爵。態度からにじみ出る余裕さは、長年交渉の場でしのぎを削ってきた経験を感じさせる。
戦場で切った張ったと剣を振るう豪傑とはまた違った意味で、古強者と思わせる雰囲気があった。
「お忙しい中、ご足労頂き恐縮です。船に乗ってくるというなら、てっきりカールセン子爵辺りだと思っていましたが」
元々海上の権益に関わる査察を行うのは、コウェンバール伯爵の仕事ではない。何の権限があってここにいるのか。
暗にそう問いかけるペイスに対し、伯爵は軽く頷いて答える。
「彼の御仁も忙しい。それに、カールセン子爵は査察が仕事で、ボンビーノ家やレーテシュ家と仲良くするわけにもいかない。そこで、私が代わりに来たのだ。ご不満かな?」
「滅相もない。閣下のご尊顔を拝し光栄に思っております」
コウェンバール伯爵は外務貴族の重鎮。その権限はカールセン子爵の上位互換である。こと外交分野に限り、外務尚書の信任を受けてかなりの裁量が認められていて、動かす予算額もかなり大きい。仲裁に入る格という意味では申し分ない。
それに元々伯爵は、聖国と神王国の橋渡し役を自他ともに認める
聖国とのトラブルが予想される中にあっては、最も適任かもしれない。
誰の采配であるのか。南の女狐か、王都の腹黒公爵か。或いは王宮の魑魅魍魎か。国王直々の使命もあり得る。
どんな思惑が有るにせよ、伯爵がやって来たことで軍人が出しゃばることはやり難くなった。
咄嗟にそう判断したペイスは、コウェンバール伯爵を笑顔で歓迎して見せる。中々の腹芸だ。
「それで、私がこの場を預かることになったが、了承頂けるかな」
「頷く前に、事情を説明願いたいです」
何がどうなって、いきなり現れて仕切り出すのか。
詳しい説明を求めるのは当然だろう。
ペイスの求めに応じた伯爵は、さてと顎を撫でながら言葉をぽつりぽつりとこぼし始める。
「ふむ……そもそも、王都で“小火騒ぎ”が起きた時、モルテールン家から王家への献上予定品を“紛失”したと連絡があった」
「む……」
明らかな放火をボヤ騒ぎ、明確な窃盗事件を紛失と表現する伯爵の言葉に、ペイスは思い切り顔を顰めた。当然だろう、ここで伯爵の言い分をそのままにしてしまえば、問題が相当に矮小化されてしまうのだから。
何の意図があってそんな言葉を使うのかと、ペイスは猛抗議する。
「落ち着いてもらいたい。王家にも立場があるのだ」
少年貴族の猛々しい抗議も、伯爵は平然と受け止める。
その上で、王家の立場を説明しだす。
王家としては、ことが外国勢力との紛争、果ては国家対国家の戦争になって欲しくない。元々穏健派の外交方針を持っていた現国王だけに、戦うのは消耗激しく国益を損なうと考えているのだ。
勿論、必要とあれば戦争も辞さないだけの覚悟と判断力を王は持っている。とはいえ四方を仮想敵国に囲まれているのが神王国だ。出来ることなら戦う際は敵を絞りたい。
目下、神王国が主敵とするのがサイリ王国。先般フバーレク家を筆頭にした東部南部の連合軍が、広大な土地を奪取することに成功している。このまま、弱っているサイリ王国に敵を絞り、他とは睨み合いを続けるのみとするのが現在の大まかな外交方針。
だからこそ、不確実なことは言えない。聖国に対して批判をし、後から間違ってましたというのは、喧嘩を売るだけ売って大義を無くして損をするという意味で、最悪なのだ。
故に、火事を放火とは断定せず、窃盗かどうかがはっきりするまでは単に紛失である。
モルテールン家としては納得しづらいものが有るが、理路整然と説明されるとペイスも頷くしかない。
「失礼しました。続きをどうぞ」
「献上品の“紛失”はさておき、王都の、それも貴族街での小火というなら重大事。事情を陛下自らが御調べになり、どうやら放火の疑いが高いと結論付けられた」
「はい」
改めて、伯爵は火事の件を放火らしいという。
火事の起きたところが厨房の近くということで、自然に火事が起きた可能性や、自覚できない事故や偶然で火災の起きた可能性もある。
故に、断言はしない。あくまで、放火“らしい”という態度だ。可能性が極めて高い、という扱い。
これもまた政治的な判断であり、公爵始め軍が人を動かすには根拠として十分だが、仮に抗議が有っても誤魔化せる余地は残す曖昧さの匙加減である。
「さらに言えば、放火犯と思われる者は逃走済み。そしてカドレチェク公爵が自ら指揮を執って王都に検問を敷いた」
「ええ、そう聞いています」
王都を封鎖する勢いで敷かれた検問。
これは、軍家閥の重鎮が自分で指揮を執って為されている。
モルテールン家からの要請というのもあるし、自分たちのおひざ元で事が起きているというのもある。
王都が荒らされて、犯人には逃げられてしまいました、では治安を守る公爵の顔を潰す行為になるのだ。
「軍が捜査を行った上で、犯人はどうやら国外に逃げようとしていると、公爵から連絡があった」
「迅速な対応だと思います」
「そこで方々に“王都から”連絡が飛んだ」
「連絡が?」
どうやって。
ペイスの疑問だ。
王家にはお抱えの魔法使いが何人もいると聞くが、それほど広範囲に渡って迅速な連絡が付けられるものなのか。
或いは、物理的、技術的な手段で何かあるのか。
少年の問いに、伯爵が答える。
「モルテールン卿だよ」
「父様ですか」
「こういう時の為に、モルテールン卿が王都に詰めていると言っても良い。カセロール殿の魔法で、目ぼしい所には連絡が届いたのだ」
ペイスは、カセロールが“魔法の飴”も使ったことを察した。
元々カセロールは、魔法の内容こそ利便性と汎用性に富むものであるが、王都から四方に飛び回れるほどの魔力は無い。そんなことが出来るのはペイスぐらいなものだろう。
しかし、魔法を飴が代替してくれれば、自前の魔力は使わずとも良い。【瞬間移動】の魔法がカセロールの十八番というのは広く知られていることなので、魔力の量さえ誤魔化せれば、転移し放題になる。
「さっきも言った通り、私はたまたまレーテシュ伯の所にいた」
「はい」
「そして、レーテシュ伯が海上の監視を強めるように指示を出していたところ、ボンビーノ家から連絡が届いたのだ」
「それも父様が?」
ボンビーノ領からレーテシュ領まで、結構な距離がある。
それを半日も経たないうちに連絡をするなど、神王国の技術水準からすれば、魔法的手段以外にあり得ない。
まさか父親が八面六臂の活躍をしたのかとペイスが問えば、伯爵は軽く首を横に振る。
「いや。鳥が連絡を運んでいるのを見た。ボンビーノ家のお抱え魔法使いによるものだろう」
「ふむ」
「その内容を見て、下手に拗れると聖国との戦争さえ起こり得る事態と判断した。この判断は間違っていたかな?」
「いえ、正しいと思います」
恐らく、ウランタ辺りが色々と気を使って手配したのだろう。
事実として公船が現れ、武力衝突まで起きている。このまま最悪の事態を連想していけば、聖国対神王国の戦争、或いは先の大戦のように神王国対周辺国全てという全面的な世界大戦もあり得る。
ペイスとしては、どうせどこかで外務のちょっかいが有るだろうと想像していたわけだが、ウランタがそこまで想像できたかどうかは怪しい。
従って、可能性というものだけならば、伯爵の懸念は当たっている。
「そうだろう。将来の摩擦と衝突を予測したなら、その芽を摘むのは我々外務官の仕事。そこで伝手を使って船に乗り込んだという訳だよ。何故か都合よく動かせる聖国の公船があってね。こうしてまかり越した次第だ」
「はあ」
「聖国との折衝は我々が預かる職務。決してモルテールン家の顔を潰すようなことはしないと神に誓う。この場を預からせてもらいたい」
「事情は分かりました。仕方ありませんね。僕もメンツの為に全面戦争というのは御免被りたいところでしたから」
ペイスは、自称平和主義者である。
菓子の為ならば、もとい故郷と領民を守る為ならば戦争も辞さない覚悟ではあるが、当人は平和を愛し、平穏を望んでいること疑いようもない。
ならばこそ、外務官が仲立ちして、モルテールン家含む神王国側のメンツが保たれ、実利を得られる落としどころが探れるなら、それに越したことは無いと頷いた。
「理解いただき感謝するよ。それで、そちらはどうかな?」
ペイスとの話が付いたところで、伯爵はイサルの方に向き直る。勿論、拘束の類は既にない。伯爵はイサルのことも当然知っており、十三傑の一人であることも知っている。
故に、殊更丁寧な態度で聖国人に接していた。
「何のことかは分からないが、誤解があるようならばそれを解くのもやぶさかではない」
イサルは、今の現状を考える。
どう考えても、勝ちが確定している話では無いか、と。
今、モルテールン家から奪った金庫の中身は、部下が隠し持ったまま。恐らくは聖国上層部が手配したであろう連中が、匿っているはずである。二隻目の船の雰囲気から、安堵感が漂っていることからそれは間違いなさそうだ。
つまり、本国がもみ消しとつじつま合わせに動くための時間稼ぎと、最低限の交渉ラインさえクリアできれば、それで良い。
最低限の交渉ライン未満とは、例えばモルテールン家に“龍の卵の所有権”があると認めてしまうことなど。
聖国でお宝を確保する。それが叶うように動くのが最低ラインだ。最悪なのは、今この場に居る公船二隻ともが拿捕され、中の人間や荷物を調べられるようなことだろうか。
逆に言えば、現状での最低ラインはこの場からとにかく離れることである。金やら名誉ならば相当に譲歩が出来るということでもある。
「では双方の意見を聞こう。誓って公平な判断をするので、お互いに言い分を論じて欲しい」
伯爵が、話し合いの場が成立したことを認め、双方の言い分を聴取しだした。
「では我々から」
これ幸いと、イサルは自分たちの意見を滔々と述べ始める。
自分たちは任務の為に商船と偽っていたのは事実だが、それは貴人たるイサルの身を守る為の防衛的措置であり、街中で変装するようなものであると。
これについてはペイスは何も言わない。商船偽装の船舶について、取り締まりはボンビーノ家の管轄だ。
対し、ペイスの主張も明確である。
「我々の主張は、単純。王都での“放火犯”並びに“献上品窃盗犯”の捕縛と、“献上品奪還”にあります」
モルテールン家として最優先に守るべきは、盗難品の奪還。これが為せないのであれば、実利的にも大損であるし、モルテールン家も、神王国王家も、カドレチェク公爵家も、そしてボンビーノ家も、全てが面目を潰されることになる。絶対に譲れない条件として、強く主張した。
その上で、犯罪人の確保。
これも、貴族としての体面を守る為には成し遂げたい要求である。
ただし、先の条件を満たす為であるならば、譲歩も可能な条件だ。
犯人に報復するのは、最悪聖国丸ごとに対して行えばよいのである。勿論、そんな内心をペイスが語ることは無い。
「先ほど身柄を拘束していたようだが、その犯人がイサル殿であるということかな?」
「はい。この船の捜索で、当家の金庫が発見されています。王都から盗まれたものに間違いなく、従って盗んだのは彼です」
ペイスは、ピッと指をさして犯人を示す。勿論指さす先は聖国の魔法使いだ。
これで話は終わり。という訳にはいかないのがこの手の交渉というもの。
イサルもまた、強かにペイスの論理について反論して見せる。
「それは違う。その金庫は偶々街で入手したものだ。物珍しさから
「王都で盗まれてから半日でナイリエに持ち込んだ者がいて、そこから買ったと? あり得ないでしょう」
「しかし、事実としてここにあるのだ」
「それは貴方が盗んだからでしょう」
「断固として否定する。百歩譲って、その金庫が盗品であったとしても、それを我々が盗んだという確たる証拠でもあるのか」
「……むむ」
いっそ清々しいほどの開き直りに、今度はペイスが言葉に窮することになった。
実際、確たる証拠というものがあるのかと問われると、無いと答えるしかない。
盗まれた金庫が現にあり、明らかに魔法使いでなければ不可能な状況に置かれていて、目の前に俊足と名高い移動に長けた魔法使いが居る。どう考えても、朝駆けの魔法使い以外に犯人は居ないのだが、確実な証拠、例えば犯人の目撃者であるとか、遺留品といった物は無い。状況証拠のみである。
盗った盗らないの水掛け論が始まり、盗品であるからには賠償せよ、金が無いなら船ごと寄越せとペイスが言いだす。ならば返還に対価を寄越せとイサルも言い返す。
金庫の中には卵があったはずだとペイスが言えば、そんなものは知らないとイサルもすっと呆け、何なら船の卵は全部くれてやるとまで言い張り、潔白を主張した。
結局、喧々諤々の議論が戦わされ、お互いの言い分がまとまる。
「ふむ、では最終的な判断を言おう」
伯爵が、両者をそれぞれ見つめ、意思確認を行う。
「この船団の持つ“全ての卵”と“金庫”をモルテールン家引き渡してもらいたい。卵を損害賠償に充てることについては聖国は異議を唱えない。何者かが盗品を持ち出そうとしていた事実は両者ともに認めるが、犯人については確かな証拠をもって責任を問うものとする。ここまでは良いかな?」
「はい」
「結構です」
“盗まれた品の奪還”に関しては、とりあえず金庫が返ってくることで、ゼロ成果ではない。中身については今後も捜査に相互協力するとした。ここら辺が落としどころだったのだ。
公船の中にあるすべての卵を引き渡すとした以上、中に龍の卵がある“かも”しれない。可能性がゼロで無いなら、まず取り返した“はず”と言い張っても良かろう。神王国上層部のメンツはこれでそれなりに保たれる。
盗まれてしまったと批判されても、いやいや取り返したはずで、今調べている、と言い返せるからだ。
場合によっては、金庫が盗品であったのは事実だし、盗品を取り返したと断言しても良い。盗品全ての確実な奪還は敵わなかったが、その見込みが立ったというところが現状の妥結点。
イサルにとってみれば、積んでいた卵の山の中に龍の卵が無いことは百も承知だが、そんなことはモルテールン家やボンビーノ家に分かるはずもないと、さもその中に卵があるふりをして交渉した。上手くいったとほくそ笑むばかりだ。
“犯人の捕縛”についても、確実な証拠がない、とするあたりが落としどころだった。
一度イサルを捕縛した以上、ボンビーノ家やモルテールン家側としては犯人の捕縛には成功した、と言い張れる。あくまで証拠不十分であり、政治的配慮で釈放したという態に出来る。
モルテールン家側の求める“犯人捕縛”と“盗品奪還”は、曖昧な部分が残るものの達成された。調停役の伯爵は、そう判断して頷く。
「船籍を偽っていたことについては、ボンビーノ家に聖国から、先に決めた通り賠償する。ただし、公船に武力行使したことについての賠償をその一部に充当するものとする。そして今後はこの決定に異議を申し立てないこと。両者ともによろしいか?」
「はい」
「良いとも」
公船全ての没収を当初主張されていたイサルとしても、賠償で片付く話であれば譲歩できる範囲だった。
少々痛い出費になるだろうが、そこは自分の上司たちに尻ぬぐいしてもらう気満々である。
最後に、今後の交渉でひっくり返されないように、或いは賠償をお替りされないように、この場のことは今後異議を申し立てないという確約が為された。
「ではここに、契約を」
ペイスとイサルは、お互いに目線で火花を散らしながら、同じ内容の書かれた三通の書類にサインするのだった。
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