大悟、大諦 | 竹仲法順の連載小説道場

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話し出すと長くなる類のことだ。何かと言うと、精神病の話。

ボクは自分の精神疾患の症状として、鼻息がスースー聞こえることを、物心つく頃からずっと気にしていた。医者や周囲の人間たちから「そんなもの聞こえやしない」などと言われ、相当な葛藤があったのが事実だ。

だが、考えてみると、人間の鼻って酸素が通るんだから、多少呼吸音って聞こえるよね?それが周りに聞こえてるかどうかが、一番気になっていた。

でも、人間って特徴がある。個々人で。それに酸素が通らないと、息出来ないよね?極当たり前のことなんだけど。

これが38年間分ぐらいの苦しみであり、まさに壮絶な葛藤だった。どうしようにも、どうにもならない。まあ、おそらく鼻炎もあるから、その類のことの延長線上ぐらいだと感じていた。

答えは簡単。それは自然なのである。人間が生きてる以上。それにその状態を受け入れることが、表題にある通り、大悟、大諦である。

人間は都合の悪いことをすぐ隠蔽しに掛かる。誰もが現実の前で無でいようとする。およそ出来ない話。例えば、うちのオヤジの会社に来るパート従業員のババアども。精神医学など何一つ分からないバカどもだ。すぐにボクの近くでわざとらしく大声を上げるとか、咳払いをするなどして、さも“そんな症状があってはならない”みたいな感じでいる。これを計らい、取り繕いという。全く自然の理に逆境した考え方、やり方だ。

だが、精神病は大悟すると、たとえ自覚する症状があったとしても日常生活は送れるということになる。それが完解だ。症状は決して消えることがない。あって当たり前。それが治癒だということ。

ボクもこれには以前から気付いていたのだが、この夏、はっきり悟った。結局こういったことなんだんなと。症状がなくなるんじゃなくて、上手く付き合っていけるということ。そう考えれば。後は精神安定剤や睡眠導入剤などを服用しながら、ちゃんとやっていける。大悟、大諦だ。

以前、オヤジの会社にいたS学会員の人の言ってた、クソ作の受け売りのようなバカな知恵も、訳の分からない妙な医学のハウツー本なども、全部不要だったということだ。森田療法的にあるがままの自分でいればそれでいい。周囲の反応はそれとして受け止めればいい。オヤジもソイツらも、クソ作でも拝んでればそれでいいのだ。全く救われない。

ボクもやっとこの域、つまり精神医学上の大悟、大諦に達したと思える。今からの人生で森田的アプローチは薬剤とともに大きな武器となる。ちなみに森田療法の本は、10代の苦しかった時期に相当読んだ。それが今に活きている。いずれまた読みたい。精神医学のバイブルとして。まあ、健常人にとって自分の鼻息や呼吸音など、気にも掛からないのだが……。ボクの場合、それが症状としてある。気になる度合いは減ってきても、症状自体消えることはないだろう。そう思っている。

長い話でしたが、大悟、大諦の告白です。ツイッターのユーザーで精神病の方にも読んでいただきたいので、後でリンク貼っておきます。あくまで症状は自然状態。それを当たり前のものとして、あるものとして受け入れること、それが精神病の真の克服です。

ひとまずここまで。

ではまた。


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