断言しておきますが、ボクは今後、職業作家として成功する可能性が極めて低いとつくづく思います。
九年前に一冊文芸社から協力出版して初版を千部刷り、それが八百部弱しか売れなくて、三年後に絶版となった。一応それがデビューだったのだが、以後ずっとネットやモバイルなどで活動してきた。地味にやってきたのだが、ここに来て思ったのが、年金生活者のボクにとって、今後商業出版で本を出すとか、サイン会をするなどということはまず有り得ないということである。それは間違いなく言える。なぜなら――、ボクが商品にならないからだ。まるで売れないのだし、そもそも売り物になる気すらないからである。
大体、東野圭吾とか宮部みゆきとか池井戸潤とかって、出す作品がどれも五十万部とか百万部とか部数が出ているが、あれって単に一人の人が二十冊とか三十冊とかまとめ買いして、ばら撒いているだけで、純粋なファンはそういない。だから、あの人たちの本って、別に傑作でも何でもないのだし、単に商業ベースに乗っている流行本というに過ぎない。
それに以前もどこかしらの紙幅で申し上げたように、テレビドラマ化や映画化など、メディアミックスされれば原作は間違いなく売れる。強調しておきたい。だから、一作派手に飛ばして、後はドボンという人も多い。こればかりは予測不可能。書き手が長く続くのか、それとも短命で終わってしまうのか……、神の采配だろう。
別にボク自身、今後、勝算のない戦いをするつもりはない。単にウエブ上に竹仲法順という作家がいたなという程度でいいのである。派手に売れようとは思わないし、そんな野心はもうない。静かで落ち着いた生活をしたいのだ。この世の中の憂いに惑わされずに。正直なところ、周りから全く期待されてないので、作家としての成功など、考えてない。
この家はオヤジの死後も維持していくし、自治体が定める最低生活費もちゃんともらう。それでいいじゃないか?何をこれ以上高望みするんだ?要は地域社会でも小さく残るのである。そしてボク自身、ライフワークで小説やエッセーを書いたり、他作家の本を読んだりする。前述したように、職業作家としての成功――、いわゆる野心の類などまるでない。この場をお借りして、断言しておきます。今後、一般の出版社や雑誌社などから商業出版などでの仕事依頼が来ることはまずないと思っているし、文芸社のように金を積ませる自費出版や協力出版などは一切しない。
太宰治なども生前は全然売れてなくて、亡くなった後、飛ぶように売れた。同時代人は太宰に対し、すごく残酷なことを言っていたが、そんな文人など太宰に比して部数はさほど出てない。典型的なのは志賀直哉。ボクもかなり昔、太宰と志賀は読み比べてみたのだが、やっぱし太宰の方が圧倒して面白かった。生前あからさまな批判を受けても、没後売れている。それでいいのだ。ボクも自分で言うのもなんだが、おそらくそれに近くなりそう。他人から相当嫌われているので。こんなボクにまだ金を積むぼったくりのような出版をさせますか?静かに生きたいのだよ。うんざりなんだ。周りの評価とやらが。
ひとまずとても言いたいことを強調して言っておきました。ボクに作家としての成功など、到底おぼつきません。これから先も、ウエブを通じて細々と作品は発表し続けていきますが……。
ではまた。