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肥沼信次 家族

肥沼信次(偉人医)家系・妻・子供


叔父:松井寅三郎(八王子医師会会長)
父:肥沼梅三郎(外科医)
母:ハツ(造り酒屋の娘)
弟:肥沼栄治


■1908年10月9日、肥沼信次(こえぬま・のぶつぐ)は、東京の八王子で7人兄弟の長男として生まれる

■父親の肥沼梅三郎は東京の八王子市中町で「肥沼医院」を開業。往診、往察など地域住民に医療で貢献した

■肥沼はドイツにいた時に、シュナイダー夫人と一緒に同じ家に住んだ。シュナイダー夫人は軍人である夫を戦争で亡くし、5歳の娘(クリステル)を育てていた。同棲していたのか、単に同居していただけなのかは不明

■第2次世界大戦後、ドイツ占領ソ連軍が創設したドイツのリーツェンの伝染病医療センター初代所長となり、チフス・コレラなどの疾病対策に力を尽くした

■当時の看護婦の一人は肥沼のことを「厳しい寒さの中で肥沼先生は医療活動だけでなく、隣村や難民収容所まで往診し、そして薬まで求めて、ほとんど不眠不休で患者のために尽くした」と証言している

■1946年3月8日、自身もチフスに罹患し、リーツェンの自宅で、シュナイダー夫人、家政婦エンゲル、病院の看護婦らに看取られながら、37歳で死去した

■肥沼は自分の命と引き換えに多くのドイツ人の命を救った

■1993年、リーツェン市役所の入口に肥沼信次の記念プレートが飾られた。記念プレートには「肥沼信次はこの建物で自ら悪疫に感染し、倒れるまで多くのチフス患者の生命を救った」と刻まれている


※参考文献
『大戦秘史・リーツェンの桜』舘沢貢次(著)


関連サイト
肥沼信次(偉人医)語録
http://meigennooukoku.net/blog-entry-4238.html


略歴
■肥沼信次(こえぬま・のぶつぐ)
【1908年~1946年】日本の医学者。第二次世界大戦後のドイツで医療活動に尽力した。1908年10月9日、東京の八王子で生まれる。日本医科大学から東京帝国大学放射線研究室へと進む。ベルリン大学医学部で東洋人として初の教授資格を取得
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