国会の内外で勢いに乗る野党は、安保法案の「廃案」を目指して一直線に進んでいるようにみえる。だが、そこに落とし穴はないのだろうか。安倍政権は、衆参両院で圧倒的な多数派を形成していることを忘れてはならない。国会で野党がどんなに厳しい追及を続け、国会の外で反対派が安倍政権を幾重にも取り囲もうとも、最終的に法案が衆参両院で否決されることはないのだ。ここで考えるべきは、野党が「違憲」「廃案」一直線で突き進み、挫折した時、なにが起こるかではないだろうか。

首相は端から野党を相手にしておらず
安保法案は廃案に追い込めない

 この連載では、安倍政権登場後、すっかり元気をなくし、影が薄くなった野党について論じてきた(第53回第65回第92回)。野党は、安保法案でも「廃案」に追い込むのに失敗したら、「一強の安倍政権」に対する「無力感」に襲われて意気消沈してしまうのではないだろうか。

 また、野党政治家だけに限らない。「特定秘密保護法」成立後のように、マスメディアや国民の中の反対派も、安保法案成立後、一挙に「委縮」してしまうかもしれない(第72回)。

 そもそも論だが、安倍首相はどんなに野党の追及が厳しくても、反対派の抵抗が激しくても、全然平気なのではないだろうか。それは首相が、安保法案を国会提出する前に訪米し、「日米防衛ガイドライン」の改定に合意し、「夏までに安保法制の関連法案を通す約束」をして、野党をわざわざ大激怒させたことでわかる。

 戦後日本では、安全保障政策に関しては、できるだけ多くの政党の賛成を得て成立させるというのが、国会の「慣行」となっていた。安全保障政策を進めるときは、自民党単独の賛成はできるだけ避けて、55年体制下であれば、できれば民社・公明という中道政党、90年代後半以降であれば民主党までの同意を得ようとしたものだ。

 例えば、イラク特措法を成立させて、自衛隊をイラクに派遣した小泉純一郎首相(当時)でさえ、民主党とコンセンサスを得ようとして一定の努力をしていた。たとえ与党が圧倒的多数を握っていたとしても、慎重に事を進めるものだったということだ。

 安倍首相は、国会審議が始まる前に、大っぴらに日米首脳会談で「約束」してしまうことで、戦後政治の「慣行」を堂々と破ったといえる。当然、野党は態度を硬化させたが、これは首相が失敗したということではない。「故意犯的」に怒らせたと考えるべきだろう。「安全保障政策は国民の幅広い合意を得て進める」という慣行こそ、首相が最も否定したい「戦後レジーム」そのものだからだ。