保守とリベラルによる言論統制合戦:
自由・独立を失う社会は、衰退の道を歩むしかない

 筆者は、年頭の当サイト記事「5つのポイントで占う2015年」で、以下の通り指摘していた。

 『安倍首相による統制の強化は、リベラル陣営の強硬な反発を生み、活動を活発化させるだろう。だが、リベラル陣営は日本人が本来持つ「多様性」を重視するわけではない。むしろ、リベラル陣営こそ、言論統制の本家本元的な側面を持っている(中略)。

 このような動きは、ある意味保守陣営の統制よりも性質が悪いものとなるだろう。保守の統制は下品なだけだが、リベラルは一見教養があるように見える上に、大学教授という権威を身に纏っているからだ。要するに、保守だけではなく、リベラル両陣営からも言論を統制する動きが起こり、日本社会全体に自由に発言できない空気が広がっていく懸念がある』

 現在の日本社会は今、この通りに進んでいるのではないだろうか。国政選挙で連勝を重ね、衆参両院で安定多数を確保した安倍晋三政権は、「やりたい政策」への意欲を隠さなくなり、言論統制的なやり方も目立ってきていた。しかし、これに反発したリベラル陣営によって、猛烈な反対運動が始まった。

 リベラル陣営による反対運動は、保守側の自民党若手議員の勉強会での大放言のような、下品なことを言って批判されると首相自ら平謝りという単純なものではない。大学教授や識者のような知性・品格・権威を纏った人たちが、次第に自由な言論がしづらくなる空気を作り、周到に異論を排除している。そして、社会全体を画一的な考えに染めようとしているのだ。

 日本社会は「右傾化」したと言われる。だが、その反動として急速にリベラルも強くなり始めていることを見逃してはいけない。そして、どちらも人々の言論を統制しようとして競い合っている。その結果、日本社会では、現実的な思考を持つ多数派である「中道」的な人々が、自由に意見を言いにくい空気が流れ始めている。

 現代は、保守やリベラルが主張する「絶対賛成」「絶対反対」で成り立つほど、単純にはできていない。どのような政治・社会問題でも、その現実的な解決策は、絶対的な「賛成」「絶対」の中間にある、多様な考えの中から見つけざるを得ないのだ。だからこそ「言論の自由」「思想信条の自由」「学問の独立」を守ることが重要になってくる。社会が自由・独立を失う時、人々は現実的な問題解決の術を失い思考停止となる。その結果、衰退への道を歩むしかなくなってしまうのである。