政治家として愚の骨頂…「亡国」への道
このように、日本学術会議という「権威」を中心とする学会には「学問の自由」を自ら制限してしまっている深刻な問題がある。
しかし、それでも菅首相に強く言いたいことがある。絶対に「学問の自由」を侵害してはならないということだ。日本学術会議の新会員候補者から政府に批判的な6人を除外したことは、政治家として愚の骨頂である。即座に撤回すべきだ。
菅首相は、歴史に学ぶべきではないだろうか。「権力」が国民を統制しようとしたとき、まず学者の「学問の自由」を攻撃した。それが一番攻めやすいからだ。しかし、学者から「学問の自由」を奪うことを皮切りに、国民の「言論の自由」「思想信条の自由」を抑えつけて、「権力」への批判がない社会を実現した先に待っているのは、「亡国」だということだ。
戦前の日本がその典型例であることは言うまでもない。美濃部達吉の「天皇機関説事件」、京都大学で発生した思想弾圧事件「滝川事件」、矢内原忠雄・河合栄治郎(第190回)・津田左右吉らが、言論・著作活動を問題視されて大学教授職の辞職に追い込まれ、彼らの主著は発禁処分となった事件などが続いた。そして、軍部を批判できる者がいなくなった日本は無謀な戦争に突き進み、国土の大半が焦土と化してしまった。
世界に目を向けると、1933年のドイツで、「ドイツ学生協会」の学生たちが、「非ドイツ的な魂」に対する抗議運動を行う宣言をし、ドイツ各地の大学などが所蔵するナチズムの思想に合わないとみなされた2万5000巻を上回る書物を燃やす「焚書」が行われた。これは、ナチスによる厳しい検閲と思想・言論・文化の統制の始まりとなった。
ナチスは、ナチズムの考え方を強制する全体主義国家と化した。そして、ヨーロッパにおける第二次世界大戦を引き起こすが、連合国軍に敗北して無残に滅亡したのだ。
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現代は、保守や左派が主張する「絶対賛成」「絶対反対」で成り立つほど、単純にはできていない。どのような政治・社会問題でも、その現実的な解決策は、絶対的な「賛成」「絶対」の中間にある、多様な考えの中から見つけざるを得ないのだ。
だからこそ、「言論の自由」「思想信条の自由」「学問の自由」を守ることが重要になってくる。政府に批判的な立場だからというだけで排除するようなことがあってはならない。
社会から自由が失われるとき、人々は現実的な問題解決のすべを失い思考停止となる。その結果、衰退への道を歩むしかなくなってしまうのである。