1950年に日本学術会議は、「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない」という声明を出した。その後も、1967年に改めて「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を出している。そして、2017年3月24日「軍事的安全保障研究に関する声明」を発表した。その内容は、「軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究について、その目的、方法、応用が妥当かという観点から技術的倫理的に審査する制度を設ける」こと、そして「大学、学会等において、それぞれの学術分野の性格に応じて、『ガイドライン』等を設定することを求める」というものだ。

 この方針の背景には、防衛省・防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」が開始されたことがあった。2015年 に3億円で開始され、2016年には6億円、2017年には110億円に増額され、「科学研究助成金」などの研究助成金が減額されていく中、さまざまな学者がこれに応募していたのだ。その潮流に対して、日本学術会議は、「研究成果は時に科学者の意図を離れて軍事目的に転用され攻撃的な目的のためにも使用されうるため問題が多い」という懸念を表明し、この方針を決定するに至った。

 その後、全国の各大学・学会で「軍学共同」反対運動や「軍事研究」抗議活動が活発化した。国の防衛関連技術や、転用可能民生技術の研究への教員の応募を禁止する動きが続出したのだ。

 要するに、日本学術会議の方針決定に基づいて、各大学・学会で事実上の「ガイドライン」が設定され、学者たちはそれに従ったということだ。そして、これが菅政権が日本学術会議に目を付けた理由なのではないかと思うのだ。

 菅政権は、日本学術会議に強い圧力をかけることによって、日本の学界全体の「学問の自由」を抑え込むことができると考えたのだ。言い換えれば、日本学術会議を「権威」として、それに学者が従う日本の学界の体質が、「権力」による「学問の自由の侵害」を容易なものにしてしまっているのだ。

学者の世界でも「学問の自由」を守り切れていない

 繰り返すが、菅政権の「日本学術会議の新会員の任命拒否問題」について、多くの学者が「学問の自由の侵害」だと批判を展開している。しかし、批判があふれている今の状況に疑問を呈したい。

 私は以前この連載で、学者たちが集い「学問の自由」「言論の自由」「思想信条の自由」を守る府であるはず大学に次第に広がる、自由な言論がやりづらい「空気」の存在を指摘したことがある(第112回)。

 例えば、安保法制の国会審議が行われていた時である(第109回)。さまざまな大学で、「安保法制成立に反対する声明」を学者が連名で出す動きが広がった。私は、学者の連名での意見表明というものに肯定的ではないが、百歩譲って、それも「言論の自由」だと認めることはできる。

 ところが、安保法制にたいして、主に「国際貢献」の観点から肯定的な考えを国会に呼ばれて表明した同志社大学の村田晃嗣学長(当時)に対して、同じ大学の学者たちが集団で「大学の名誉を傷つけた」と批判した。さすがにこれは、やりすぎだったのではないだろうか。