もう8月も後半。
本当は実家にPCを持ってきているので、着いたら書こうと思っていたのだけれど、エアコンの壊れた首都圏の家じゃ何もする気力…というより本当に何もできません。
暑さがそのままストレスに変換されている感じです。かといってもう実家を出ている以上、やれるところは家主である父への働きかけとデータ収集。また裏方か…という感じ。
帰る前に久々にNちゃんに会って、縁の切れたT君の情報が少しだけ来たけれど、まあルートはそこだけで、そこから来るときはぶっちゃけ恥も外聞もない状態だよなぁ、どうしようもなくね?っていう感じではあります。ま、それもそれだ。
バンドリ!のギターの話も、ギター関連が趣味とはいえ楽しい話ではないので、今回は別の趣味の話です。
「多趣味だねぇ」なんて言われますが、依存先増やさないと安定しないというのが実際。
そんなこんなで今回は白い鯨の話。酔っぱらった鯨じゃないよ。それは酒。
白い鯨。白鯨といっても生き物ではなく車です。
個人的にモータースポーツとしてグループB、A、2003年までのWRカーのWRCが好き。故に興味は薄れているけど今年はトヨタとヒュンダイがトップを争ってますな。
会社規模の話は別として、僕個人としてはヒュンダイを応援したいところ。2000年前後の、プジョー、シトロエン、トヨタ、フォード、スバル、三菱が本腰入れてワークス参戦する中打って出てきてリタイヤにリタイヤを重ね、ドライバーもチャンピオンのユハ・カンクネンがいたとはいえそのチャンピオンも10年前の話。言い方は悪いけれど、他社との圧倒的性能差(技術の差)が見えている状態で、「当時」のトップドライバーを擁することもできず、契約問題で撤退したりしながらも、今ではトップを走るようになったというところにカッコよさを感じます。
今回はそんな車メーカーと車の話です。
なんでかっていうと僕がそのメーカーを個人的に心の中で応援してるから。
とヒュンダイの話から入りましたけれど、1999年当時、そんなメーカーがほかに2つありました。
セアトとシュコダ。
今回はそのシュコダで1999年から2003年まで参戦していた、シュコダ・オクタビア WRC。
シュコダってあまり他人に通じないメーカー(日本に正規輸入されてない)なんですけれど、チェコの自動車メーカーで、1991年にフォルクスワーゲン傘下に入ります。とはいえ、周りから見れば、「時代遅れの東側の車」だったわけです。
チェコの車メーカーと言ってもあまりわかってもらえないのですが、チェコは工業国。オタク、な方に伝わりやすく言えば、ガルパンのカメさんチームの戦車、ヘッツァーである「プラガ38(t)」を一部生産していたメーカーと言えば伝わるでしょうか。
戦車の型式等は詳しい方がしているのでお任せするとして、
そんなシュコダが1999年にWRCに出てくるときの車、それが白鯨と呼ばれた(揶揄された)シュコダ・オクタビアです。
僕の同人のサークル名の半分はここからきてますね。
今でこそかっこいいな。すごい。って思えますけど、20年前の当時の僕から見れば、ヒュンダイ・アクセントと同じで、
気が付くとリタイヤ
順位は常に下
テレビに映るのはほぼ一瞬
メーカーのポイントは常に最下位
な感じでした。今から20歳も若く、当然考えも浅かったので、当時は強かったプジョー206、ドライバーはマーカス・グロンホルムが好きでした。今も好きですが。
話を戻しますが、
1986年ツールドコルスにおけるトイボネン、クレスト組の転落・死亡事故を決定打に(1985年のツールドコルスでも死亡事故発生)グループBが終了。グループAに移行して、そこから1992年までのランチア帝国。そしてその後のWRCを席捲した日本車勢力により、1997年、WRカーに規定が変わります。
それまで量産モデルでの参戦だったものが、量産ラインナップにない車輛でもよくなることにより、生産台数の多くないメーカーの新規参入を促すという方向になりました(と書いておきますが、複数の大手欧州メーカの販売戦略的なものが大きく作用しています。当時のスバル・インプレッサ、三菱・ランサーエボリューションの市販車が4WDなのに対しプジョー206に4WDモデルが存在しない・・・・とかの面をみても…)。
その結果参戦してきたのが、ヒュンダイ、シュコダ、セアトでした。
その時シュコダは4WDの車を作ったこともなく、CADもないような状態。トヨタがセリカ、三菱がギャランとランサー、スバルがレガシィとインプレッサの時(1993年ごろ)に彼らはキャブレターを使った車を走らせている。そんな圧倒的な技術差が誰から見ても明らかな状態でにターボと4WD、電子制御を学んで1999年にシュコダ・オクタビアWRCで参戦してきます。
当然結果は散々。
第一戦ではスタート前にリタイヤ。その後もトラブルでリタイヤを重ね、4戦目に12位で完走。シュコダのエースドライバー(アルミン・シュバルツ)は、1999年はそこ(アクロポリス)が唯一の完走という状態。1999年の自動車会社のタイトルはトヨタで、通算109ポイント獲得の中、シュコダの得点数なんと6(そう、僕のツイッターにある個人サークル名は、参戦車両のオクタビアと、1999年の通算獲得ポイント数6ptをあわせたものです)。
もうこの時点で分かり切っていることですが、このマシンじゃどうやっても勝てない。それでも新型車なんて到底投入できない。彼らは必死でこのマシンを進化させながら2003年まで戦います。シュバルツがインタビューで言ってますが、予算はトップチームの半額以下。
インプレッサ、ランサーエボリューション、206、どれもスポーツカーなイメージの中、シュコダでスポーツカーのイメージを持たれることはない。彼らは信頼性の向上に集中します。結果2000年はアルミン・シュバルツのリタイヤは1戦のみ。
そして2001年、特別予算を確保し、トヨタが売却したサファリラリー向けのケニヤの施設を買い取って耐久性のテストを繰り返し、車の耐久性に問題ないと足場を固めたうえで、他チームがマシンを温存すると踏み最初から飛ばすという勝負に出てきます。
どのラリーも厳しいものではあるけれど、サファリは特にサバイバルラリー。当時どの車もシュノーケルを付けて走行していました。新谷かおる先生の「ガッデム」を読んだことがある方には過酷さよくわかるかと。
コースの厳しさ故に、イコールコンディションに近くなるのを分かったうえで、自分たちの状況を冷静に俯瞰し、勝負を挑んでくる。そして、結果は3位表彰台。「サファリの3位は計算通り」と胸を張るのはよくわかります。
ただ、当時のラリー番組でも、最終日は3位が現実に近づいたこともありそれなりに写ってはいますが、それでもプジョー、三菱、フォード、スバルなどが多く映っているところを見ると、外から見ると大穴だったんだな、と。
そして、
シュコダ・オクタビアにとってこの3位が最初で最後の表彰台、そしてこれに続くファビアもこれを超えることはできず、2005年にWRCから撤退します。が、2008年WRCのサブカテゴリに復帰。そして2015年から2018年と4年連続WRCの一つ下のカテゴリであるWRC2で企業タイトルを獲得しています(2016年からはドライバータイトルを獲得しているのもシュコダのドライバー。そして三年とも別選手)。
WRC2というWRCの一つ下のカテゴリではあるけれど、親会社のフォルクスワーゲンがWRCに出ていたことを考えれば、ある意味市販車に近いカテゴリをメインで戦うというのはまっとうな選択だと思います。
と、ここまで競技車で書いたけれども一般車を見たときに、フォルクスワーゲン傘下のポルシェならば、車として「フォルクスワーゲンとは違うたぐいの車」となるけれど、シュコダのメインは前述してきた車の下世代のファビア、オクタビアであって、それぞれが、フォルクスワーゲンのポロとゴルフと同じクラス(エンジンも共通)。自分たちの車を売るにはまず親会社の車が立ちはだかり、ファビアのクラスならその他にプジョー、シトロエンの同クラスおよびスズキのスイフト、オクタビアならアウディA3にホンダのシビックがライバルという、シュコダ単体の資本力が大きくない以上車そのもので勝負しなければいけないというすごくきつい立場(挙句国も近い)にありながら、それらに割って入っています。これからも頑張ってほしい。
マツダだったらBe a driver.
ホンダだったらThe Power of Dreams
トヨタならDrive your dreams
フォルクスワーゲンならDas Auto.
BMWならTHE ULTIMATE DRIVING MACHINE
といったスローガンを掲げています。
状況を冷静に俯瞰し、自身の能力を見極め、的確な判断をもって戦い続けるシュコダのスローガンは、
SIMPLY CLEVER
流石だと思いました。
そしてほかの事にもその考え方は通じる。
僕にとって、心にとめておきたい言葉の一つです。
トヨタみたく資本力があるなら、それにものをわせたタイトルの取り方は理にかなっているけれど、モータースポーツだから取れるやり方であるってことは認識した方がいい。金と力にものを言わせるやり方ってやってはいけないものがあるから。そして、それを認識して、力業でやりたい放題やるようなのを、決断力があるとか持ち上げるのはもうやめましょうや。そろそろ、周りをよく見て、自分で考えて判断できるようになって欲しい。
シュコダ、日本に正規輸入されないかなぁ…そしたら頑張ってファビア買うのに。
日本メーカーじゃシュコダのプラモデルないんだよなぁ‥‥。
今週のお題「わたしと乗り物」