本日の日記

上手に

2020年10月5日(月曜日)

「上手くいかないなぁ~」
こんなことを思う日は
「きっと 他のことが上手くいく」
と思ってください。
パワーがアップしますし、やる気も出て来ます。

松原照子の印

本日の世見

マリー・アントワネット

2020年10月5日(月曜日)

  • フランス
  • 古代文明・歴史

王妃マリー・アントワネットは、何故パリの市民にあれほどまでに嫌われたのでしょうか。
あの当時、世界中で気象が乱れていました。
農作物の出来は最悪だったのです。
1789年の10月。
食糧難に苦しむパリの市民達は、ヴェルサイユに向かいデモ行進を始めました。
ルイ16世とアントワネットと子供達の身柄は、革命政府に拘束されました。
王家の人々は囚人と変わらぬ扱いをされ、タンプルの牢屋に入れられました。
マリー・アントワネットといえば、あなたはどんなイメージを持たれますか?
私などは、「豊かなブロンドの髪の王女様」としか浮かびませんが、劣悪な環境で大量の脱毛を経験し、激しい不正出血が処刑される日まで続いたといいます。
私ね。
マリー・アントワネットのことが気になるのには理由があるのです。
1793年10月15日、アントワネットは処刑判決が下されたのですが、10月15日って私の誕生日と同じなのです。
死の処刑台に向かう37歳のマリー・アントワネット。
逃亡を危惧され、後ろ手に縛られ馬車に乗せられたアントワネットは、帽子を被っていました。
刑の執行が近付くと、自ら頭を振って帽子を払い落としたといいます。
その時のマリー・アントワネットの髪は無惨に切りそろえられていたのですから、美化されて伝わる処刑執行の光景ではなかったのです。
処刑人の名はサンソン。
ギロチンの刃が落とされ、アントワネットはアッという間に絶命しました。
フランスの敵であるアントワネットには埋葬命令が下りず、彼女の遺体は半月もの間、マドレース墓地の草むらに腐るまま放置されていたのですから胸が痛みます。
「フランスの敵」マリー・アントワネット。
彼女の人生って、どう言えばいいのでしょうか。

松原照子の印