※コロナ関連の話です。ご自身や周りの方が辛い思いをされた方もいらっしゃると思います。
まだ若かったのに、昔たくさん吸っていたタバコのせいで、肺へのダメージが回復できませんでした。
父は無口な人間で、自分たちはあまり親しい関係性の親子だったとは言い難いと思っています。
それでも、父との数少ない思い出が頭の中をぐるぐる回って、また、多趣味だった父の
やり残した様々な夢を思うと無念で、この悲しみが癒える日は果たして来るのか、真っ暗な夜の中
その方は仕事の関係で出会ったそうなのですが、長い間、公私ともに親しくしていたそうです。
父の入院中もSNS経由で自分に連絡をくれ、父と自分たち家族を非常に心配してくれていました。
そして父が他界した数週間後に届いたそのメールは、その方と父の共通の友人の方たちで集まり、
屋外での会食という形でお別れ会のようなものを開催したというご報告でした。
(正直な所「コロナで亡くなった人を悼むのにわざわざ感染リスクのある会食なんか開かないでくれよ」
とも思いましたが…屋外ではあったようですし、葬儀も家族だけで行いましたので、故人のために何か
したいという気持ちを持っていただいたのでしょうという風に前向きに解釈しています)
そのメールには動画が添付されていました。父がSNSにアップしていた画像を
スライドショーのような形式で張り合わせた動画で、中にはかなり古い画像もあり、この方と父の間には
こんな思い出があったのだなと思いながら見ていました。
そしてその動画の最後に並んだ数枚の画像を見て、自分の目を疑いました。
それはおそらく会食時に撮られたもので、先程まで自分が見ていた父の写真が、
今思い返しても手が震えるくらい怒りが湧いてきます。
コロナにかかるまでは健康だった父。父の体を火葬した時、とても辛かった。
棺を火葬場の炉の中に送り、小一時間後に骨となって出てきたときの光景はまだ記憶に新しく、
思い出すのも辛くて涙が出てくるというのに。
どうして、その父がもう一度焼かれなくてはいけないんだ?
写真に写っていたのは、まだまだ元気で人生を楽しんでいる父だったというのに!
写真を焼くという行為について自分がイメージするのは、例えばニュースで流れるどこかの国のデモの映像で、
一部の過激な民衆が敵対勢力のトップの人物の写真を火にかけるとか、そういった侮辱的なものです。
父の友人たちが何を思って写真を焼こうと思ったのかは分かりません。
ですが、その行為は、自分の目には決して父を悼むものに映りませんでした。
気が狂いそうなほどの怒りをなけなしの社会性でなんとかなだめ、父の友人には
父の写真が焼かれているという光景に傷ついたこと、とてもではないが冷静ではいられないのでこれ以上の
やりとりを控えさせていただくこと、生前の父に対する友情への謝辞を述べ、すぐに連絡先をブロックしました。
普段あまり怒ることがなく過ごしているため、今も胸にくすぶるこの感情を
これからどうするべきか全く分かりません。
心の整理のためにこの文を書いていますが、着地点が全く見つかりませんでした。
時が経てば、この怒りは少しずつ収まっていくものなのでしょう。
ですが、自分はあの光景を許すことは、きっと一生できないでしょう。