第59話 どちらもお断りだ
俺達は先導の騎士と少数の兵士に守られながら、岩山の荒れ地を走って目的地の付近まで移動した。
高台で一旦立ち止まり、駆け足で五分ほどの距離にある陣地の様子を確かめる。
陣地はあえて開けた場所に造られており、向こう側から吊橋がある場所へ攻め込むのを遮り、逆に向こうへ攻めるときの拠点となるように考えられているのが見て取れた。
全体的な形状は正方形に近い。
周囲を木製の防壁に囲まれ、更にその外周を何重ものバリケードが敷設されていた。
「戦闘は既に次の段階に……ってところだな」
陣地の包囲は解除されているものの、戦闘は未だに継続している。
魔族側の部隊は陣地の奥側に戦力を結集させ、そこから一点突破を謀っているようだった。
これに対し、黄金牙騎士団は増援部隊を陣地に入れて防衛力の増強を図りつつ、再包囲されないよう周辺にも戦力を配置していた。
「戦闘が終わるまで、俺達はここで待機していればいいんですか?」
「はい。あと少しすれば、ホロウボトム要塞からの援軍も到着するはずです」
先導の騎士と今後の方針の確認をしていると、疲労困憊のノワールが遅れて追いついてきた。
「あ……あれ……? もう包囲されてないのに、まだ戦ってる……? ど、どっちも……撤退して、ない……?」
「当然だろ。むしろこっからが正念場だぜ」
現状に戸惑いを見せるノワールに対し、ガーネットが騎士の視点からの説明を加える。
「『魔王城領域』の山岳地帯が深い渓谷で二分されていて、それぞれの側が人間と魔族の勢力圏になっていることは、当然把握してるよな」
ガーネットは尖った石を握って、固く乾いた地面に簡単な図を描き始めた。
「今回、黄金牙は手薄だった谷の向こう側に侵攻を試みた。狙いは魔族が資源を採掘している鉱山の制圧。さっきの吊橋とあの陣地はそのための足がかりだ」
「そ、それは……説明してもらった……な」
「魔族にしてみりゃ看過できねぇ作戦だ。だから土地勘に物を言わせた奇襲で吊橋を落とし、孤立した陣地を包囲して確実に仕留めようとしたわけだな」
俺は軍事に詳しいわけではないが、標的を包囲することのメリットとデメリットくらいは知っている。
メリットは自軍の被害を抑えられること。
激しい抵抗が予想される場合に有効で、長引けば長引くほど相手を弱体化させることができる。
デメリットは自軍も大量の食料を確保しておかなければならないこと。
否応なしに長期戦とならざるを得ないので、食料が足りなければ逆に自分達が追い詰められることになってしまう。
また、大人数を集めなければそもそも包囲することができない、という弱点も抱えている。
しかし、魔王軍にとってはデメリットも弱点もないも同然だ。
ここは魔族の勢力圏。
孤立無援となった騎士団側の陣地と違い、魔王軍は人員や食料を補給しやすいのだ。
後は包囲を破る最も確実な手段である『増援』さえ阻止し続ければ、魔族側の戦術的勝利は揺るがなかったはずだ。
――その企みを打ち破ったのが、つい先程の戦闘なのである。
「結局、包囲は崩されて陣地に増援が到着したわけだが、だからといって魔族が撤退するわけがねぇ。包囲戦以外の手段に切り替えて攻め落とそうとするだけだ」
「じゃ、じゃあ……騎士団が撤退しないのは……?」
「陣地を解放した時点で、全員救出して撤退するってのも確かに選択肢の一つだ。だがな……」
ガーネットは石で地面に刻んだ図表に、追加の記号をガリガリと書き込んだ。
「……ここで撤退しちまったら、この侵攻ルートは二度と使えねぇ。魔王軍が徹底的に防御を固めるだろうからな。しかも、防衛のための拠点が逆侵攻の足がかりに使われる可能性だってある」
「なるほど……だからどちらも、必死になっているのか……」
ノワールは納得顔で何度も頷いた。
説明を終えたガーネットに、先導の騎士が驚いた様子で話しかける。
「お見事な分析でした。我々の騎士団にお誘いしたいくらいですね。どうです、ご一考いただけませんか」
「はははっ、冗談きついぜ」
表向きには身分を隠しているが、ガーネットは銀翼騎士団所属の騎士だ。
しかしこの騎士はそれを知らないので、即座に笑い飛ばされたことを不思議そうにしていた。
「それにしても、ここからだと戦闘の様子がよく見えないな……」
俺が高台の縁に立って目を凝らしていると、ノワールがバッグからカラスを模した人形を取り出した。
「……私が、見てみようか……」
カラスの人形が本物のように羽ばたき、陣地の方へ飛んでいく。
【黒魔法】スキルによる使い魔との感覚共有。
生きた黒猫などを使うことも多いと聞くが、ノワールは【魔道具作成】スキルで自作した人形を使用していた。
「戦闘は……壁際……突破は……されてない……サクラは……どこだろう……人が集まり過ぎて……お、大きなゴーレムもいる……人間の三倍か、四倍くらいの大きさ……分厚い鎧を着ているのか……?」
ノワールは目を瞑ったまま、使い魔越しに得られる情報を説明している。
「……っ! あ、あれは……!」
「どうした、ノワール!」
「援軍が……魔族の援軍が……近付いてる……!」
それを聞いた瞬間、先導の騎士が顔色を変えてノワールに詰め寄った。
「なんですって! 援軍の規模と編成は分かりますか!」
「……魔族の兵士は……陣地を攻めてるのとは、鎧が違う……魔王城にいた兵士と同じ……」
「まさか、魔王ガンダルフの近衛兵を投入したのか……! それほどまでに本気を……もっと詳しい情報は!?」
ノワールは更に意識を集中させようとしたが、その直後にびくりと体を震わせて目を見開いた!
「ああっ……!」
「どうしました!」
「……撃ち落とされた。あの距離で、気がつくなんて……普通じゃ、ない……」
先導の騎士はノワールからもたらされた情報に肩を震わせ、急いで配下の兵士達に指示を飛ばした。
「
「は、はいっ!」
兵士達が錬金術師製の小型装置に火を灯し、三色の異なる色の煙を立ち上らせる。
その間にも、先導の騎士は地図を広げてノワールから詳しい話を聞き出していた。
「何ということだ! 敵増援がこの位置なら、ホロウボトム要塞からの増援はまず間に合わない! そうなったら勝ち目はない……現時点で既に攻城ゴーレムに肉薄されているんだぞ! これだけでも脅威だというのに……!」
狼煙から一分も経たないうちに、馬を駆った二人の騎士が、陣地から全速力で駆けつけてきた。
「増援というのは
「ああ、そうだ! 大変なことになった!」
急転していく事態を前にして、ガーネットがぽつりと呟く。
「……なぁ、白狼の。指を咥えてぼうっと見てるのと、尻尾を巻いて逃げ出すの、どっちがお前好みだ?」
「何を突然」
俺は当たり前のように――ガーネットが期待していたとおりに――その二択を鼻で笑った。
「どちらも断固お断りだ。黄金牙騎士団が負けるってことは、グリーンホロウの安全が脅かされるってことだろ。それに、あそこにはサクラもいるんだぞ」
「だよな。そう言ってくれると思ったぜ!」
ガーネットは不敵な笑みを浮かべると、騎士が降りたばかりの馬の手綱を引っ掴んで走り出した。
俺もすぐにその意図を察し、全力疾走で後を追いかける。
騎士が馬を取られたことに気付いたときには既に、ガーネットはひらりと鞍に飛び乗っていて、俺もその後ろに乗り込んだ後だった。
「なっ! 貴様、何をする!」
「一頭借りるぜ!
「仕事を一足早くこなすだけだ! 陣地【修復】の依頼をな!」
制止の声を無視して疾走する二人乗りの騎馬。
俺はガーネットの細い腰をしっかり掴み、振り落とされないことだけに意識を傾けた。
「門を開けろ! 白狼の森のルークを連れてきた!」
陣地の防衛部隊は唐突な出来事に混乱しながらも、俺の顔を見て慌てて門を開いた。
騎馬に乗ったまま陣地内に突っ込むと、四方八方から切羽詰まった声が耳に飛び込んできた。
「防壁外部に配置した部隊を支援するんだ! 弓も魔法も片っ端から使え!」
「消火を急げ! 食料庫を死守しろ!」
「攻城ゴーレムをこれ以上近づけるな!」
「駄目です! ゴーレムの破壊、間に合いません! どうしても一撃は喰らいます!」
ガーネットは馬を加速させて陣地内を一気に横切り、魔王軍に攻められている奥の門の手前で急停止した。
わざわざ言葉を交わさなくとも、俺のやるべきことは理解している。
転がり落ちるように馬を降り、必死に駆け回る兵士の波を素早く潜り抜けながら、ポーチから取り出した魔力結晶を握り込む。
「ゴーレムの攻撃、来ます! 破片と衝撃に警戒を!」
「【修復】――発動っ!」
防壁に手を着いて渾身の魔力を叩き込む。
それとほぼ同時に、分厚い金属装甲に覆われた巨大な拳が木造の防壁を貫通した。
――次の瞬間。
飛び散った大小無数の破片が空中で静止し、高速で逆流するかのように元の位置へ戻り、巨大ゴーレムの腕を逆に弾き飛ばした。
防壁の向こうで岩の巨体が転倒し、地面が激しく揺さぶられる。
ゴーレムの拳よりも、俺の【修復】が浸透する方が早かった。
壊されると同時に直すことで、防壁の破壊そのものを打ち消すことができたのだ。
「…………お、おおおおおおおおっ!」
数秒の間を置いて、陣地に騎士と兵士達の歓声が響き渡った。