第57話 最前線への急接近
「とりあえず昼食も届いたから、少し早いけど飯に――」
そのとき、店の方からガーネットの声が響いた。
「白狼の! 黄金牙のお客さんが緊急の用件だとよ!」
「何だって? ちょっと待ってろ、今戻る!」
俺はすぐに
ノワールも転びそうになりながら追いかけてきて、ほとんど同時に店舗に到着する。
「お待たせしました。用件は何でしょう」
そこにいたのは、黄金牙騎士団の制服を着用した男が一人。
『魔王城領域』での仕事中に何度か見たことのある顔だ。
「緊急の【修復】依頼です。今すぐ私と『魔王城領域』に来ていただきたい」
「例によって、詳しい内容は説明してもらえないんですかね」
「申し訳ありませんが、現在遂行中の作戦の内容に関わります。
騎士団から持ち込まれる依頼は大抵こうだ。
ホワイトウルフ商店を開いて以降の依頼だけでなく、冒険者ギルド経由の依頼も似たようなものだった。
ギルド支部やギルドハウスが受け付けた依頼は、基本的に全て一般公開された上で受注者を募ることになっている。
これは『世間に公表できない反社会的な依頼は受け付けない』という、冒険者ギルドの方針を反映したものだ。
しかし、騎士団や王宮は特例として――冒険者ギルドに様々な便宜を図ることを条件に――仕事内容を完全に伏せておくことが認められていた。
とにかく彼らは、軍事行動の情報が外部に漏れることを極端に警戒しているようなのだ。
「仕方がないですね、分かりました」
少なくとも、これまでに黄金牙騎士団が俺に持ちかけてきた仕事は、どれも重要性の高いものだった。
行ってみたら下らない仕事だったということはありえない、という程度の信頼感は抱いている。
――だが、営業中に今すぐ来て欲しいなんてことは初めてだ。
普通は何日も前から打診があって、それに合わせて臨時休業日を設けたり、定休日に予定をずらしてもらうといった調整をする余裕があった。
裏を返せば、今回は正真正銘の火急の事態ということだ。
「それじゃ、ガーネット。店の方は頼めるか」
「待て、白狼の」
ガーネットは俺の肩を掴んで引っ張り寄せ、密着しそうなくらいの勢いで耳元に口を寄せた。
「忘れんじゃねぇぞ。オレの本来の任務はお前の護衛なんだぜ。それだけは何があっても譲れねぇよ。店番なら他の奴にやらせるんだな」
俺以外には聞こえない程度の声量で、しかしはっきりと明確に、ガーネットは同行以外の行動を拒絶した。
その顔は真剣そのもので、余計な感情は何一つ感じられなかった。
「……悪い、そうだったな。けど、ノワールに店番を任せるのはまだ早いか……」
あくまでガーネットは、俺の護衛のために銀翼騎士団から派遣された騎士である。
従業員の仕事よりも護衛任務の方が優先されるのは当然だ。
となると選択肢は一つしか残ってない。
「みんな! すまないが今日はもう閉店だ! それと、今日の分の報酬は全額支払うから安心してくれ!」
来店客と短期雇用の冒険者に閉店を通告しながら、カウンター裏に置いた荷物と昼食のバスケットを取って出発の準備をする。
今はまだ、俺とガーネット抜きで店を回すことはできない。
ならば店を閉めてしまうのが最良の選択だ。
「本日分の損失は騎士団に請求しますからね」
「ええ。それも考慮の上で報酬予算を確保しております」
シルヴィアと冒険者達を帰らせてから、ガーネットを連れて店を出る。
すると、ノワールも私物の鞄を抱えて俺達の後を追いかけてきた。
「わ、私も行く……!」
「……駆け足で行くからな。ちゃんとついて来いよ」
「分かった……!」
宣言通りの急ぎ足で『日時計の森』を降り、ホロウボトム要塞に入って『ドラゴンの抜け穴』を抜け、可能な限りの早さで『魔王城領域』へ到達する。
シルヴィアが持ってきてくれた具材入りのパンは、早足で移動しながら食べてしまうことにした。
冒険者の俺と騎士のガーネットはそういう無茶な食べ方にも慣れていたが、ノワールは両方同時にこなすだけで精一杯のようだった。
「実は【修復】を依頼したいのは吊橋なのです」
要塞の地下側を通り抜けている最中に、迎えの騎士がようやく依頼内容の説明を始めた。
それと前後して複数の騎士と兵士が合流し、同行者がちょっとした部隊規模の集団にまで拡大する。
「『魔王城領域』の岩山地帯が渓谷で二つに分断されていることはご存知だと思います。先日、その渓谷を渡る吊橋を建設し、対岸側に陣地を構築いたしました」
「対岸は魔族の支配域ですよね。鉱山を制圧するための前線基地ってところですか」
あの鉱山で何を採掘しているのかは分からないが、魔王にとって有益な資源の供給源であることは間違いない。
制圧対象として選ぶのは自然な判断だろう。
「ですが、魔族の奇襲を受けて吊橋が落とされ、対岸の陣地が孤立してしまったのです」
「……その孤立した陣地が攻撃されている、と?」
「ご理解が早くて助かります。一刻も早く吊橋を復旧し、救援を送らなければ間違いなく全滅です」
退路と増援のルートを断った上での包囲攻撃――軍事のプロじゃない俺でも、その脅威は容易に想像できる。
ホロウボトム要塞を出て、岩山の中の大雑把な道を目的地めがけて急ぎ続ける。
その途中、ノワールが鞄からアミュレットとスクロールを一揃い取り出して、俺に渡してきた。
「これ……持っていてくれ……」
「助かる。できれば使わずに済ませたいところだけど」
走りながらアミュレットを腰に付け、スクロールをポーチにねじ込む。
俺がこれを使うということは、何かしらの害意ある干渉に晒され、しかも俺自身の手で反撃をしなければならない状況にあるということである。
「(……いや、今回ばかりは使わずに済んで当然なんて考えない方がいいな)」
魔族は人間同様に知性を持ち、魔王軍はそんな連中で構成された軍団だ。
橋を落として敵部隊を分断し攻撃するという作戦を取っているなら、こちらが橋を修理して応援に向かおうとすることも想定済みと考えるべきだろう。
【修復】中か、あるいは【修復】後か――どちらにせよ魔王軍からの攻撃に晒される可能性も覚悟しておいた方がいい。
「ご安心ください、ルーク殿。今回は高ランク冒険者にも協力を要請してあります。魔王軍の妨害に対する備えは万全です」
「それならいいんですけどね……」
魔王軍も高ランク冒険者がいることは織り込み済みだろうし、この騎士も本気で絶対に大丈夫だと考えているわけではないだろう。
俺が不安になっていると思って、安心させようとしただけのはずだ。
「見えました! あれが目的の吊橋です!」
最前線への急接近に緊張を覚えながら、俺は随伴の騎士が指差す先に目を凝らした。