第56話 平穏、そして
それからしばらくの時間が経ち、小雨が上がった頃になって、シルヴィアがバスケットを手に店へやって来た。
「おじゃましまーす。ご注文のランチ、持ってきましたよ」
「悪いな、わざわざ持ってきてもらって」
「これもお仕事ですから」
昼食の配達は春の若葉亭の正式な有償サービスである。
俺もガーネットも一応料理はできるのだが、さすがに仕事の合間を縫って昼食を作るのは難しいので、頻繁にこのサービスを利用させてもらっている。
もちろん届けに来るのがいつもシルヴィアだとは限らない。
春の若葉亭には何人も従業員が働いているので、その誰かが持ってきてくれることになっている。
ちなみに、春の若葉亭は配達以外にも出張調理サービスも請け負っていて、そちらのサービスにもたまにお世話になっている。
「今日はお客さん少なめなんですね」
「雨が降ったら大体こんなものさ。とはいえ、そろそろ増えてくる頃合いじゃないか?」
武器屋に来る客の多くは、特に一刻を争うわけでもないので、悪天候なら普通に来店を遅らせてくる。
こうなるのが分かりきっていたからこそ、睡眠不足のノワールに仮眠を取ることを勧めたのだ。
「とりあえず代金を……」
「すいません、これください」
シルヴィアに昼食の代金を支払おうとしたところで、客の冒険者が商品を持ってきた。
先にそちらの対応をしている間、シルヴィアはカウンター周りの商品をまじまじと眺めていた。
「……っと、悪い悪い。代金は三人分で小銀貨が……」
「ルークさん。これって前からあった商品でしたっけ」
そう言ってシルヴィアが指さしたのは、今朝ノワールが持ってきた
「ああ、それか。ノワールが【魔道具作成】スキルで作ってきてくれたんだよ」
「へぇ……どんな道具なんですか?」
シルヴィアが興味津々だったので、それぞれの効果と用途について説明してみることにする。
――まず、お守りの半分はアミュレットという分類に属するものだ。
効果はいわゆる魔除けと厄除け。
有害なものを退け、回避することに主眼を置いたお守りである。
――それ以外のお守りはタリスマンと呼ばれるものだ。
こちらはアミュレットとは逆に、持ち主に有益な影響を与えるために作られている。
一番シンプルな例はやはり『幸運のお守り』だろう。
「アミュレットにタリスマン……お守りってそんな区別があったんですね。知りませんでした」
「どれもスキルで魔力を込めて作られたものだから、気休め程度のおまじないと違って本当に効果があるぞ。ただし、効果を発揮するたびに壊れていく消耗品なんだけどな」
――そして巻物は、スペルスクロールと呼ばれる代物である。
巻物と言っても分厚いものではなく、少々大きめの紙を軽く丸めて紐で括ったものだ。
一本につき一種類の魔法が封じ込められていて、開いた状態で適切な量の魔力を注ぎ込むことで、スキルを持たない者であっても魔法を発動させることができる。
紐を解いて開かなければ発動しないのは、暴発を防ぐための一種のセーフティなのだと聞いている。
もちろんこれも消耗品であり、普通は一回の発動で使えなくなってしまう。
「消耗品でも、ルークさんなら【修復】で使いまわしたりできるんじゃないですか?」
「いや、消耗品のマジックアイテムの【修復】は難しいんだ。一番見た目で分かりやすいのはスクロールの場合かな」
スクロールを発動すると、素材の紙や羊皮紙が魔力の負荷で崩壊し、僅かな残骸を残して消滅してしまう。
文字通り、一回限りの使い捨てを前提とした造りになっているのだ。
「アミュレットやタリスマンの場合は、使い終わった
燃え尽きた松明に【修復】を掛けても、消費した油は元に戻らない。
【修復】スキルは無から何かを創造するスキルではなく、失われたものを生み出すことはできない。
刃こぼれなどの欠落が元に戻って見えるのは、他の部位から素材を流用して穴埋めしたからに過ぎず、材質の総量は全く変わらないのだ。
万全の【修復】を施すためには素材の補填が必要不可欠。
もしも燃え尽きた松明を【修復】スキルで元通りにしたいなら、わざわざ油の補充もしなければならないのである。
「使用済みの松明も補充用の油を用意しておけば【修復】できるけど、そこまでするくらいなら予備を持ってきた方が手っ取り早いだろ。マジックアイテムも同じだよ」
剣や鎧のように大きさも重さも無視できない装備品ならともかく、アミュレットもタリスマンも単なるアクセサリー程度のサイズに過ぎない。
わざわざ【修復】用の素材を別に持ち歩くなら、同じものを二つ身に着けても大差はないだろう。
「新品が手に入らないなら【修復】で使い回すのも選択肢のうちだろうけど、今はノワールがいるからな」
「なるほどー……ところで、そのノワールさんは?」
「色々あって奥で休ませてるんだけど、そろそろ起こしたほうがいいか」
ちょうど昼食も届いたので、目を覚まさせるにはいい頃合いだ。
カウンター業務を短期雇用の冒険者に任せ、店の奥に戻って寝室の方に向かう。
まずは来客用に空けてあった三つ目の寝室を覗いてみる。
「……いないな」
この住居兼仕事場で使用可能な寝室は三つ。
うち二つは俺とガーネットが普段から使っている寝室なので、この予備の寝室で休むように勧めたつもりだったのだが。
既に起きていてどこかに移動したのか、もしくは眠さのあまり違う寝室に入ってしまったのか。
「(ガーネットの寝室を覗くのは気が引けるし、まずはこっちから見てみるか)」
俺の寝室の扉を開けてみると、ベッドの上の掛け布団が人間の大きさで盛り上がっているのが見えた。
どうやら、勧めた部屋の隣だったので間違えて入り込んでしまったらしい。
「……どうしたもんかな、これは……」
相手が男なら、思いっきり揺するなり転がり落とすなりしてやったシチュエーションだが、流石にそれは拙い相手だ。
とりあえず声を掛けてみて、それで起きなかったらそのときに考えるとしよう。
「おーい、ノワール。そろそろ昼だぞ」
「んん……ブラン……もう少し寝かせて……」
「ノワール?」
「……はっ!」
がばっと跳ね起きたノワールは、俺が入り口のところにいることに気がつくと、盛大に慌てながらベッドから転がり落ちた。
混乱気味に
「ご、ごめん……よく寝れたから、もう大丈夫……」
「それはよかったけど、ここ俺の部屋だぞ。空き部屋は隣な」
「……………………」
ノワールがぴたりと手を止めて、一気に耳まで顔を赤くする。
言ってしまった後で気付いても手遅れだが、これは指摘しない方が良かったかもしれない。
「とりあえず昼食も届いたから、少し早いけど飯に――」
そのとき、店の方からガーネットの声が響いた。
「白狼の! 黄金牙のお客さんが緊急の用件だとよ!」