第53話 少女と紅茶とケーキセットと
黒魔法使いのノワールを正規の店員として迎えたことで、ホワイトウルフ商店の日常業務は一段と安定性を増すことができた。
特に書類仕事の所要時間を大幅短縮できたのが大きかった。
これまでは、当日中の書類仕事を終わらせられずに翌日へ繰越になり、それが積もり積もった結果、最終的に定休日を使って帳尻を合わせる羽目になることもあった。
しかし、今週は全て予定通りに完了した。
そのおかげで、ようやく定休日を『休日』として過ごすことができるようになった。
店舗は休みでも俺は休みではないという状況が、ようやく改善され始めたのだ。
――そして定休日当日。
俺はガーネットを連れて春の若葉亭を訪れていた。
仕事絡みでもなければ依頼絡みでもない。
純粋に来客として、春の若葉亭の食堂を利用しに来たのだ。
「おい、白狼の。本当に何注文してもいいんだな?」
「ちゃんと食いきれる量にしておけよ」
窓際のテーブルの椅子に体重を預けながら、ガーネットは楽しそうな顔でメニュー表を眺めている。
ガーネット本人には伝えていないが、今日ここに来た理由は、俺が外食をしたかったからではなく、こいつに好きなものを食べさせるためだ。
数日前、ノワールを雇うかどうかという話になったとき、ガーネットはノワールの動機を嫌悪して不服そうにしていた。
いざ仕事をさせ始めてからは何の問題もなく接してくれているが、内心ではあまり気分が良くないのでは、と思わずにはいられない。
というわけで、久々のまともな休日を利用して気分転換をしてもらうことにしたのだ。
ご機嫌取りをしようと考えて思いついたのが『食事を奢る』だったのは、我ながら安直としか言いようがない。
けれど、仕方がなかった。
俺はまだ、ガーネットという人間の趣味嗜好をほとんど知らなかったのだから。
「おっ、クリームケーキセットだとよ。こんなもんまで始めたんだな。ちょっと頼んでみるか」
「意外だな」
「クリームケーキセットがあることじゃなくって、オレが頼むことがだな? 見え透いてんだよ」
ガーネットがテーブル越しにずいっと身を乗り出してくる。
図星を突かれてしまったので、誤魔化すようにそっと視線を逸らす。
「でも珍しいじゃねぇか。田舎町でこんなに砂糖使ったモンを売ってるなんてよ。その分、値段もすっげぇけどな。ほれ、見てみろ」
「……うわっ、小銀貨一枚じゃ足りないのか」
砂糖は南方でしか作れない貴重な甘味料だ。
当然ながらウェストランドでは輸入に頼るしかなく、一昔前までは本当に特権階級や大金持ちしか使うことができなかった。
俺が子供だった頃の甘味料といえば蜂蜜くらいのもので、それですら気軽に使えるものではなかったのだ。
しかしアルフレッド王がウェストランドを実質的に統一して以降は、南方との交易も桁違いに活性化し、砂糖の流通量も激増して値段がかなり下がってきている。
だがそれでも、蜂蜜と比べてワンランク上の甘味料であることに変わりはない。
「うおっ、マジか! 紅茶も入荷したってよ! こりゃ一緒に頼むしかねぇな。おーい、シルヴィア! 注文取ってくれ!」
ガーネットは喜色満面といった様子でシルヴィアを呼んだ。
紅茶も国外からの輸入品であり、主な産地はサクラの故郷がある東方だ。
こちらも砂糖ほどではないが金の掛かる嗜好品で、昔は砂糖を入れて飲むことが特権階級の贅沢だったという。
ウェストランドの発展と共に価格が下がったのは砂糖と同じだが、今も庶民が日常的に飲んでいるのは、紅茶ではなく身の回りで調達できるハーブティーである。
「はーい、何にしますか?」
「クリームケーキセットを二つ頼む。飲み物は紅茶にしてくれ」
「セット二つに紅茶ですね」
「にしてもよ、こんなもん仕入れるなんて思い切ったな」
「高ランクの冒険者さんや騎士様達からリクエストが多かったんですよ。すぐに用意しますから待っててくださいね」
注文を取り終えたシルヴィアは、調理場へパタパタと走り去っていった。
ガーネットは頬杖をつき、上機嫌に食堂の中を見渡している。
明らかに、好きなものが届くのを心待ちにしているときの雰囲気だ。
「紅茶、好きなんだな」
「まぁな。一緒に食うなら甘いモンも悪くねぇ。こっちに来てからはさっぱり縁がなかったけどよ」
「この辺りで前々から紅茶が出てた場所っていうと、本当にごく一部の高級店くらいだっただろうしな」
グリーンホロウ・タウンは温泉を軸とした休養地として発展してきたという。
前にガーネットと行った浴場を始めとした高級志向の店も少数ながら存在しており、そこでは高級品の飲食物も提供されていたはずだ。
そんな場所でしか取り扱われていなかった高級志向品が、春の若葉亭のような大衆向けの店舗でも提供されるようになったのは、大きな変化だと言えるだろう。
グリーンホロウ・タウンの経済は顕著に変わってきている。
遠因となったのは間違いなく俺だが、この変化が本当に喜ばしいものなのかどうかは未だに分からない。
「ん? 見ろよ、白狼の。オレ達の他にもケーキセット頼んでる奴がいるぜ」
ガーネットが小声でそう言いながら、店の隅の席を目線で示した。
そこにいたのは陰鬱な雰囲気の一人の男――二槍使いのダスティンであった。
二つ名の由来となった二本の槍も、呪紋を染められた布で厳重に梱包されたまま、店の隅に立てかけられている。
「お前の知り合いだったよな。似合わねぇな、おい」
「安心しろよ。後少しで俺達も同じことを思われるようになるからな」
ガーネットに軽口を飛ばしながら、俺は内心で重苦しい思いを抱えていた。
確かにダスティンは見た目に似合わないクリームケーキセットを食べているが、決して美味しそうにはしていない。
普段と何も変わらない幽鬼のような表情のまま、作業的にケーキの断片を口に運んでいるだけだ。
――それはそうだ。あいつは甘い物など好きではない。
甘い物が好きだったのは、十年前に死んだあいつのパートナーだ。
蜂蜜や甘い果物をこよなく愛し、現金の代わりに当時はまだ貴重品だった砂糖を報酬として喜んで受け取ったりする奴で、ダスティンはいつも呆れ気味だった。
俺がそいつと顔を合わせた回数は、最期の場所となったダンジョンを除けば両手で数えられる程度だが、それでも強く印象に残っている。
あの頃のダスティンは、皮肉屋だが確かな温かみを持った奴だった。
ダスティンは既に変わり果ててしまったが――それでもやはり、あいつが好きだったものを忘れることはできないのだろう。
「……おい、白狼の。どうかしたか?」
ガーネットが小首を傾げる。
あまり目にしたことのない表情だ。
ひょっとして、暗い気分になりかけていた俺を心配したのだろうか。
「いや、何でもない。他の席をあんまりじろじろ眺めるもんじゃないぞ」
「分かってるっての」
そうこうしている間に、シルヴィアの元気な声が俺達の席に投げかけられた。
「クリームケーキセット二つ、おまたせしました!」