第52話 黒魔法使いは店員見習い
次の日から、ノワールに仕事を教えることが俺の作業内容に加わった。
一時的に今までより忙しくなるわけだが、誰かを雇うとなれば必要になって当たり前の工程だ。
最初に雇った冒険者のナギとメリッサはすぐに仕事をこなしていたが、それは彼らに道具屋で働いた経験があったからに過ぎない。
普通は上手く出来なくて当たり前。
武器屋だろうと冒険者だろうと変わらない共通の常識である。
「じゃあ、まずは陳列からやってみようか」
「わ、わかった……」
――早朝、開店直後で来客の少ない時間帯を狙って、ノワールに品出し作業をさせてみることにする。
商品の内訳は木箱一箱分の
冒険者が『日時計の森』を探索するために使うだけでなく、グリーンホロウ・タウンの住人の普段遣いとしても需要がある。
なにせ、ここは山中の町。
少しでも外に出れば、草木がどこまでも生い茂っているのだから。
「……んっ……!」
ノワールはカウンターに置かれた木箱を持ち上げようとしたが、少し引きずった程度しか動かなかった。
「…………」
「…………」
もう一回力を込めてみても、やはり全く持ち上がらない。
「……重かったか?」
「だ……大丈夫……! ほら、こうすれば……!」
ノワールはその場で木箱の蓋を開け、鞘に入った鉈を何本かずつ抱えて、カウンターと陳列棚を小走りで往復し始めた。
忙しなく動き回る姿を遠目に眺めながら、あいつもあんな風に動けたのか……と、本人には聞かせられないことを思ってしまった。
――昼過ぎになって客足が増してきたので、今度は会計を手伝わせてみる。
今までは会計カウンターのうち半分しか使えていなかったが、今日は試験的に全部を解放してみることにした。
会計を担当する従業員を、一人だけから二人同時に変更する形だ。
掲示してあるとおりの価格を請求し、釣り銭と商品を渡すだけの作業ではあるものの、行列が出来始めるとなかなかに焦らされてしまう作業である。
「値引き交渉や面倒な客が来たら、俺かガーネットを呼んでくれ。ミスリル製品を買いたいって客がいた場合も俺に交代だ。購入手続きが色々と面倒だからな」
「わ、分かった……」
ノワールが押しに弱い性格なのは最初から分かりきっているので、手に余ると思ったらすぐに呼ぶように指示しておく。
もっとも、これまでに厄介な客とぶち当たったことは滅多にない。
『魔王城領域』を探索する高ランク冒険者の一部は、俺が声を掛けたことをきっかけとして集まった連中だ。
これは他の冒険者の間でも周知の事実で、黒剣山のトラヴィスや黄金牙騎士団からの武器の発注を受けたことも知られている。
そんな場所でトラブルを起こす冒険者は本当にごく少数だ。
「……いらっしゃい、ませ……」
ノワールは淡々と作業を続けている。
慌てる様子もなくきちんとこなせているようだったが、愛想はびっくりするくらいになかった。
笑顔を見せるどころか、来客と目を合わせてもいないようだ。
もっとも、この店は愛想の良さを売りにしているわけではないし、ガーネットもノワールとは逆の意味で愛想がないのだが、直せるなら直しておいた方がいいだろう。
「なぁ、ノワール。かなりいいとは思うんだが、もうちょっとこう……笑ってみたりはできないか?」
客足が途切れたのを見計らって、ノワールにリクエストを投げかけてみる。
「わ、笑う……こう、か……?」
……ノワールは気の毒なくらいに顔を引き攣らせた。
「何か……ごめんな。無茶なこと言って」
「謝られると、その……逆に……」
そうか、ノワールが無理に笑おうとするとこうなるのか。初めて知った。
――やがて夕方になり、客足もそれなりに落ち着いてくる。
店舗の方をガーネットと短期雇用の冒険者に任せ、俺は事務室として使っている一室にノワールを連れて行った。
短期雇用の冒険者に任せている仕事は、どれも店舗だけで完結するものばかりだ。
ややこしい作業を教える暇がないというのもあるが、それ以上に、経営に関わる仕事を任せるわけにはいかないという事情が大きい。
例えば、発注や支払いに関する書類仕事。
こういう仕事は、どんな業種でも短期雇用の冒険者には任せられない分野である。
いつも俺だけがやっている作業なので、正規従業員を雇ったら是非とも分担させたいと思っていたのだ。
「わ……私がこんなこと、してもいいのか……?」
「俺一人で全部やるのもキツくなってきたからな。もちろん最終的な確認は俺がやるけど、その手前までは誰かに任せられるものなら任せたいんだ」
「……ガーネットもいるじゃないか。私は、その……」
「あいつにはいつも他の作業を任せてるから、これ以上は割り振りたくないんだよ。とりあえずやってみてくれ」
罪滅ぼしのために働いているという名目のせいか、ノワールは重要な仕事を担うことに難色を示していたが、とりあえずということで強引に押し切った。
ノワールは困り顔でペンを手に取り、見本の書類と白紙の紙をテーブルに広げると――猛烈な速さで紙面にペンを走らせた。
俺が書いた場合よりも半分以下の時間で、冒険者ギルドへの発注書が書き上がっていく。
「……できた、と思う……」
「凄いな……完璧だ。びっくりしたぞ。どうしてそんなに速いんだ?」
ただ速いだけではない。
文字は綺麗で読みやすく、インクの滲みもなく、ミススペルも見当たらなかった。
これなら作業効率が何倍にも向上する。
想定もしていなかった大きな収穫だ。
「そういうスキル……だから……」
ノワールは不器用にはにかみながら、先程の速筆についてぽつりぽつりと説明し始めた。
「魔法は学問……魔法使いは、スキルを得ただけじゃ、やっていけないんだ。魔導書を読み込んだり……貴重な書籍の写本を作ったり……自分の研究を本にしたり……【速読】と【速筆】は、とにかく便利なんだ……」
「なるほど……俺は魔法使いの業界には詳しくないけど、確かに大量の本とか文書に囲まれてるイメージはあるな」
俺には縁のない代物だったが、店先で魔導書に高値がつけられているのはよく目にしたことがある。
「にしても、魔導書って全部手書きだったんだな……都会の方だと印刷機が売られ始めたって聞くけど、そういうのは使ってないのか」
「あ、あれは駄目だ……!」
ノワールが珍しく声量を上げて声を上ずらせた。
「魔導書は筆者が手ずから魔力を込めながら書かないと意味がないんだ……! 物理的にインクを乗せただけじゃ第三者が簡単に改竄できてしまうし、文字情報だけじゃなくて魔力による二元的三元的な情報記述もできないから……あああ、ローズクロスロードの魔導諸賢歴訪記の活版印刷版を見たときの絶望感が蘇ってきた……! 項目ごとに異なる波長の魔力を付与した芸術的文筆がごっそりと削り落とされていて……あれは冒涜だ残虐だ魔導に対する虐殺だ……」
「わ、分かった、分かった。とにかく落ち着け。本当に頼むから」
絶望的な表情でわなわなと肩を震わせ、よく分からない内容を早口でまくし立てるノワールを、どうにかこうにか落ち着かせる。
この猛烈な早口っぷり、ひょっとして高速詠唱的なスキルが暴発してしまっているんじゃないだろうか。
――ともかく、今日は有益な発見が二つもあった。
一つは、魔法使いのスキルの副産物として、ノワールが事務仕事に高い適性を持っていたということ。
もう一つは、ノワールは今まで俺が気付きもしなかった強いこだわりと、触れちゃいけないスイッチのようなものを持っているということであった。