第51話 償いなんかいらない
ひとまずノワールを家に上げ、ダイニングルームのテーブルに座らせる。
そして俺も向かいの椅子に腰を下ろし、用件をじっくりと聞く構えに入った。
ダイニングルームにはサクラとガーネットも居合わせていたが、二人とも露骨に警戒心を剥き出しにしていた。
何かあったらすぐさま攻撃に移るつもりだと、表情と態度がはっきりと物語っている。
やはり勇者ファルコンの元仲間というのが大きいのだろうか。
まさしく針の
俺ならよほどのことがない限り近付きたくもないシチュエーションだ。
「で、こんな時間に一体何の用なんだ?」
「…………それは……」
ノワールは必死に呼吸を整えてから、意を決したように口を開いた。
「騎士団から聞いたんだ……君が人手不足で困っていると……」
「そういえば、忙しくて困ってるって話は前にもしてたな」
「だから……私をここで働かせて、くれないか……」
予想外の発言に思わず目を丸くする。
用件の内容は幾つか予想していたのだが、これは完全に想定していなかった。
「お前、黄金牙騎士団に雇われてるんじゃなかったのか。まさかタダ働きなのか?」
「いや、ちげーだろ」
ガーネットにこつんと後頭部を小突かれる。
「困っているところを力になって罪滅ぼしがしたい、償った気分になって楽になりたい。大方、そんなこと考えてるんだろ? 都合のいいこった。やられた側の気持ちを何も考えちゃいねぇ」
遠慮のない口調でそう言いながら、ガーネットはキッチンの方に向かって何やらごそごそと探し始めた。
ガーネットがここまでキツく当たる理由はおおよそ想像がつく。
本人から直接聞いたわけではないが、彼女は過去に母親を殺害されているらしい。
その犯人がぬけぬけと『罪滅ぼしをしたい』などと言い出してきたらと想像して、著しく不快な気持ちになっているのだろう。
「……そのとおりだ。否定のしようもない……だけど、償いたいというのは本当なんだ……『けじめ』になるようなことを何もせず、漠然と過ぎたことにしてしまうのは……耐えられない……」
ダイニングテーブルの上で、ノワールがぎゅっと拳を握り締める。
「給金なんかはいらない……君の力にならせてもらえたら、それだけで……」
「ルーク殿。ひとつよろしいでしょうか」
サクラが刀の柄に手を添えたまま会話に割り込んでくる。
それを見て、ノワールはびくりと肩を震わせた。
「聞いたところ、彼女はあの勇者と共に捕らえられていたそうですね。更には血を分けた妹も未だに虜囚の身とのこと」
「…………」
「根拠はありませんが、魔術的な操作や人質を取っての脅迫を受けている可能性は否定できないのでは?」
「……そ、それは……」
「それは心配しなくても大丈夫だろ」
俺の口から否定の言葉が出てきたことに、サクラだけでなくノワールも驚きの表情を浮かべた。
「呪いや魔術に関しては銀翼騎士団が念入りに調べているはずだ。そうじゃなきゃ、身柄を解放して他の騎士団に預けたりするわけがない」
さり気なくガーネットに目配せすると、ガーネットは無言で深く頷いてみせた。
「工作活動のために送り込まれたのだとしても、対象は俺じゃないだろう。こいつが地上に戻ってきた時点では、俺は魔王に喧嘩を売るようなことは全くしてなかったんだからな」
「確かに……順序が逆ですね。彼女が現れたからこそ、ルーク殿は魔王城攻略に深く関わるようになったのですから」
「だろ? 俺以外をターゲットにして何か企んでるんだとしても、黄金牙騎士団が厳重に目を光らせてるだろうしな」
俺は根拠もなくサクラの懸念を否定したわけではない。
銀翼騎士団と黄金牙騎士団。
二つの騎士団の存在が『ノワールは魔王の刺客である』という仮説を否定――あるいは万が一そうだった場合の備えとなっている。
彼らを騙し抜くほどの仕込みが用意されているなら、俺ごときがどう足掻いたところで手も足も出ないだろう。
もちろん、ノワールのことを信用しているのかと言えば、答えはノーだ。
しかし同時に、過剰な疑念を抱く必要はないだろうとも考えているだけである。
「ルーク殿がそうお考えなら、私からは何も申し上げることはありませんね」
サクラは俺の説明で納得したらしく、静かに身を引いた。
残る問題は、俺がノワールの懇願を受け入れるかどうかというただ一点である。
「黄金牙騎士団に雇われて水先案内人をするっていう話は、今も続いてるんだよな」
「……ああ。そちらの仕事は月に数日……それ以外は待機することになっていて……」
ノワールがぽつりぽつりと話している間に、ガーネットが冷たいハーブティーを淹れてきて俺とノワールの前に置いた。
「ほらよ。安心しろ、毒なんかは入ってねぇからな」
「あ……ありがとう……」
これはシルヴィアが持ってきたハーブを、昼間のうちに煮出しておいたものだ。
食品を長持ちさせる効果のある薬草がブレンドしてあって、煮出してから丸一日はそのまま置いておけるので、グリーンホロウでは飲み水代わりによく利用されている。
ノワールがハーブティを一口飲み、ほうっと息を吐く。
ハーブの香りのお陰か、ノワールの気持ちも落ち着いてきたようなので、話を一気に先に進めることにする。
「前にも言ったと思うけど、俺はお前に大した関心は抱いちゃいない。勇者どころか妹の腰巾着みたいな奴だったからな。良くも悪くも興味なし、だ」
当然、加害を黙認していただけでも同罪だと考える奴はいるだろう。
そう考える奴がいることは否定しない。
しかし俺はそう考えなかった。ただそれだけである。
「お前が罪悪感を抱えたまま過ごしたとしても、勝手に償った気分になったとしても、俺にとってはどうでもいいんだ。勇者本人ならまだしもな」
「…………」
「わざわざ手間暇かけて責め立てるほど暇じゃないし、自己満足するのを見咎めるほど物好きでもない。正直、好きにすればいい」
「…………そ、それじゃあ……」
ノワールは判決を待つ囚人のように、息を呑み縮こまっている。
「だけど、お前の提案は受け入れられない。あれは駄目だ」
「……そうか、しょうがない、な……」
「給料は要らないって? タダ働きなんかさせてたら、妙な噂が立って店の評判が落ちるだろ。うちで働くっていうなら相場通りの金は受け取ってもらうぞ」
「え……」
いつも俯き気味の目を丸く見開いて、ノワールは俺の発言の意味を必死に理解しようとしていた。
サクラは腕組みをしたまま微笑みを浮かべ、ガーネットは肯定とも否定とも取れない顔でそっぽを向いている。
ウェストランド国王アルフレッド陛下の即位から二十年。
今どき奴隷労働なんか時代遅れにも程がある。
たとえどんな事情があったとしても、給料を支払わずに働かせるなんて、悪評の原因にしかならないのだ。
「もしも受け取る気分じゃないなら、町の方で適当に使ってこい。町の経済が回れば俺にとっても得だからな」
「ほ、本当に、いいのか? ここで働かせてもらっても……」
「何だ、その顔は。働かせろって言い出したのはお前だろ? こっちは猫の手も借りたいくらいに忙しいんだからな」
「あ……ありがとう、ありがとう……ルーク……!」
ノワールはダイニングテーブルに身を乗り出して、深々と顔を伏せた。
まったく、本当に妙なことになってしまった。
一日でも早くスタッフを増やしたかったのは間違いないが、まさか動機が『罪滅ぼし』な奴が第一号だなんて。
何はともあれ、ようやく正規の店員を増やせたことは確かだ。
俺はすぐに頭を切り替えて、明日からの時間配分の考え直しと、不服そうなガーネットの機嫌を取る方法を考えることにしたのだった。