第50話 ミスリル職人の朝は早い
それからしばらくの間、俺は武器屋の仕事と製造依頼の進行に時間を注ぐことにした。
武器屋の仕事は、今までどおり足りない人手を冒険者の短期雇用で補うというやり方だ。
さすがにそろそろ正規の店員をと思っていたが、ちょうどいいタイミングで冒険者ギルドからの返答が届いた。
曰く――職を探している人材を一人紹介できるとのことだ。
グリーンホロウへの到着はもう少し先になり、実際に雇うかどうかは面会してから決めていいらしい。
恐らく俺のように冒険者を休業したか、あるいは完全に辞めてしまって次の仕事を探していた人物なのだろう。
どちらにせよこの斡旋は本当にありがたい。
二、三人は追加で雇わないと仕事が回りそうにないので、一人増えても即座に問題が解消するわけではないが、それでも重要な一歩であることに変わりはない。
冒険者ギルドの紹介なら、おかしな奴がやって来ることもないだろう。
そういった信頼も、冒険者ギルドが長年に渡って積み重ねてきた大きな武器なのだ。
同時に受けていた三つの製造依頼のうち、最初に完成品を受け取りに来たのは黄金牙騎士団だった。
担当者とその部下達は開店前から店の前で待っていて、開店早々に完成品の入った木箱を引き取っていった。
「ミスリル合金製の試作刀剣二十五本、確かに受領いたしました。報酬の半金は騎士団管理の貸し金庫に振り込みということでよろしいんですね?」
「ええ。手元に置いておくのは不安な大金ですから」
黄金牙騎士団からの依頼内容は、ミスリル装備の制式採用に向けた検証用の刀剣の製作だった。
簡単に言うと、ミスリルを何割の比率で剣に【合成】すれば性能とコストのバランスが良好になるのか、ということを調べるための実験台だ。
ミスリル比率が一割から五割までの五パターン、それぞれ予備含め五本ずつの計二十五本。
これらを試験運用して、一番評価が高かった割合を制式採用するという計画らしい。
無論、報酬は目玉が飛び出るくらいに高額だった。
店で売っているミスリル含有率数パーセントの剣ですら、販売価格は小金貨一枚に達する。
とてもじゃないが手元に置いておきたくない額の報酬だったので、騎士団の副業の一つである金融サービス業を利用して、貸し金庫に預かってもらうことにした。
……当然だが、この価格はぼったくりなどではない。
ミスリルの価格暴落を防ぐという名目で、王宮の方から安売り禁止の制限を受けているのだ。
「それにしても、ミスリル装備の制式採用とは思い切りましたね。黄金牙騎士団全体で採用するんですか?」
「いいえ、ホロウボトム要塞駐屯部隊のみです。対魔王軍限定の特別装備ですね。改造された勇者ファルコンのような存在が他にもいるなら、通常装備では
担当者の返答は真剣そのものだった。
かつて『魔王城領域』で消息を断った勇者ファルコンは、魔王ガンダルフの手に堕ちてドラゴンとの合成獣に作り変えられ、味方であったはずの黄金牙騎士団を襲撃した。
勇者本人が自分の意志で裏切ったのか、それとも精神まで改造されてしまったのかは分からないし、重要な問題でもない。
屈強な騎士達が束になっても歯が立たなかったことが問題であり、克服するべき課題なのだ。
あのときは俺が辛うじてファルコンを退けたが、それはあくまで奇策に奇策を重ねた末の幸運に過ぎない。
もう一度戦うことになったら間違いなく瞬殺されてしまうだろう。
「検証が終わり次第、本生産の依頼をさせて頂くことになると思います。それでは、また」
次に完成品を取りに来たのは、黒剣山のトラヴィスだった。
事もあろうに営業時間真っ只中だったものだから、店内がちょっとしたパニックになってしまった。
大勢の低ランク冒険者にしてみれば、Aランク冒険者のトラヴィスは圧倒的に格上の存在だ。
中には憧れの対象としている奴も珍しくない。
そんな奴がいきなり現れたらこうなるに決まっている。
「よぉ、ルーク。依頼してた奴は完成したか?」
「してるけどなぁ……もう少し落ち着いた時間帯に来てくれたら嬉しかったんだが」
「すまんな。こちらも空いた時間を見繕うのが難しかったんだ」
まぁ確かに、トラヴィスほどの冒険者ともなれば忙しいのも当然だ。
しかも今は『魔王城領域』の探索という大仕事を抱えているわけだから、俺以上に多忙だったとしてもおかしくはない。
「ほら、依頼どおりのミスリルコーティング済みガントレットだ。使い勝手は自分で確かめてくれ」
「ううむ……実に見事なものだ。重さも問題なし。実戦で使うのが楽しみだぞ」
「不満があったらすぐに言ってくれ。微調整もアフターサービスってことで請け負ってるからな」
最後にやって来たのはサクラだった。
閉店時間の少し前、客もほとんどいなくなって一息ついた時間帯を見計らっての来店だ。
依頼受諾からそれなりに日数が経ってしまったが、ようやくこれを渡せるときが来た。
「待ってたぞ。ほら、依頼の刀だ」
「は、はい……!」
サクラは逸る気持ちを抑えながら鞘と柄を握り、刀身を少しだけ露出させた。
金属の輝きを帯びた緋色の刀身。
火を連想させる色合いとは裏腹に、触れれば冷水のように冷たく、氷の塊かと思ってしまうほどだ。
これは熱を吸収するヒヒイロカネの性質が色濃く出ているからだろう。
鋼と合成させた状態でもドラゴンブレスを吸収し尽くしてしまうほどなのだから、純ヒヒイロカネともなれば触れるだけで体温を奪ってしまうのだろう。
燃えるような赤色。熱を吸収して炎を纏う刃。氷もかくやの冷たい刀身。
矛盾しているように思える要素が当たり前のように同居している。
東方の人間がこれに神秘性を感じ、神降ろしなんて大事業に使おうと考えたのも当然だと納得してしまう。
「ああ……本当に緋緋色金の……ありがとうございます、ルーク殿……!」
サクラはすっかり感極まった様子で、喜びに満ちた表情を浮かべている。
「念の為に確認しておくけど、刀剣としての性能は保証してないからな。ヒヒイロカネが武器に向いてるかどうかも分からないんだから」
「ええ、もちろん存じています。総緋緋色金造であることが重要なのです。どの刀匠にも成し得なかったことを、こんな簡単に……」
「できるようになるまでのことを考えたら、簡単とは言いにくいけどな」
ずっと【修復】スキルだけに頼ってきた十五年間。
難関ダンジョン『奈落の千年回廊』でさまよい続けた極限状態。
それらの結果として【修復】スキルが進化し、ヒヒイロカネを裏技的に加工することができるようになったのだ。
実際の作業時間が短くとも、その裏には膨大な努力と苦難が隠れている。
「ところで、ずっと使ってた刀を総ヒヒイロカネに作り変えたわけだが、これからは何を使って戦うつもりなんだ?」
「知人の伝手をたどって新たな刀を調達するつもりですが、それまでは西方の剣で補おうと思っています」
「やっぱり予備は持ってなかったか。造っておいてよかったよ」
俺はカウンターの裏からもう一対の刀と脇差を取り出してみせた。
サクラは驚いた顔でそれを鞘から抜き、目を丸くした。
今までサクラが使っていたヒヒイロカネ合金製の刀とよく似た、薄紅色の刀身。
「こ、これは……!」
「刀に使われていた元々の鋼と、預かっていた予備のヒヒイロカネ鉱石、それと少しばかりのミスリルを【合成】してみたんだ。元の刀は儀式用にしたんだから、戦闘用の武器がないと不便だと思ってさ」
「ルーク殿……何から何まで、本当に……」
「報酬は前払いでたっぷり貰ってるんだから、せめてこれくらいはやらないとな」
今にも嬉し泣きしそうなサクラをなだめながら、今日一日働いてもらっていた冒険者に閉店作業の指示を出す。
まったく、ガーネットがこの場にいなくてよかった。
店の周りの掃除を任せていなかったら、どんな風にからかわれたか分かったもんじゃない。
「……あのー、店長。お客さんが……」
玄関を閉めに行ったはずの冒険者が、何故か困惑顔で戻ってきた。
「悪いけど閉店時間だから、帰ってもらってくれ」
「お店のお客さんじゃなくって、店長に用事がある人みたいなんです」
なるほど、そっちの意味での来客だったか。
サクラにダイニングルームで待っているように言ってから、店舗の玄関へと向かう。
仕入れの話だろうか。それともギルドハウスからの連絡だろうか。
とにかく玄関先に立っていた人物に話しかけようとして――俺は思わず言葉を失った。
「……ノワール!」
勇者ファルコンのパーティ唯一の帰還者。
黒魔法使いのノワールが俯き気味に佇んでいた。