第44話 たまには店長らしく
翌日。すっかり使い慣れたベッドの上で目を覚ました俺は、妙に食欲をそそる匂いが漂ってきていることに気がついた。
この店は他の民家から離れた場所にあるので、他所の家の朝食の匂いが届いてくることはない。
まさか店先で誰かがキャンプでも張っているんだろうか――なんて馬鹿らしいことを考えながら、寝室を出てダイニングルームへ向かう。
「おっと。その辺に置いてあった食料、勝手に使わせてもらってるぞ」
……何故かガーネットがキッチンに立っていた。
しかも簡単な朝食を作っているように見える。
どういう状況だと思いながらその様子を眺めていると、ガーネットは不服そうに眉をひそめた。
「何だその顔。文句でもあんのか? 腹が減ってたんだから仕方ねぇだろ。叩き起こして飯作れと言わなかっただけマシだと思いやがれ」
「いや……文句はないんだが、正直意外だな……と」
「騎士なら野営中の料理の心得くらいあるもんだぜ。冒険者だってそうじゃねぇか?」
ガーネットの言う通り、保存食や固いパンに頼る生活に飽きて料理を覚える冒険者は割と多い。
大きなパーティだと料理担当を雇っていることもあるが、そういうところは全体からすると少数派だ。
「一応、お前の分も作っておいてやったぞ。シルヴィアみてぇなスキル持ちと比べてもらったら困るが、寝起きの小腹を満たす程度なら充分だろ」
「……ありがたく頂くよ」
ガーネットが作った軽食に近い量の朝食を食べ終えてから、今日一日の仕事の準備を始める。
「そう言えば、従業員を増やすとかいう話はどうなったんだ?」
「ギルドハウスに頼んで探してもらってるところだ。冒険者を短期で雇う依頼も出してるから、当面はそれで間に合わせるしかないな」
「依頼ねぇ。昨日の今日で食いつくもんかな」
受付嬢のマリーダに依頼を申し込んだのは、昨晩の夕食の直後。
マリーダは急いで募集をかけると言ってくれたが、あの後すぐに掲示してもらえていたとしても、まだ一晩程度しか経過していない。
普通の依頼と同じく早朝に張り出されていたとしたら、俺の依頼が掲示板に乗ったのはついさっきということになる。
さすがに、今日の開店には間に合わないと考えた方がよさそうだ。
「すいませーん!」
……と思った直後、店の玄関の方から少女の声がした。
玄関先に立っていたのは、冒険者らしき少年少女の二人組だった。
「ギルドハウスから依頼を受けて来たんですけど、ホワイトウルフ商店さんで間違いありませんか?」
少女の方はやや長身で、色の薄い髪を長く伸ばし、くりっとした瞳で愛想のいい笑顔を振りまいている。
一方、少年の方はガーネットより小柄で、少女と比べると頭一つ分の違いがある。
インクよりもずっと黒い髪を短く整え、目付きの悪い顔に無愛想な表情を浮かべている。
何とも対照的な二人組だ。
どこを見ても正反対なので逆に感心してしまう。
「驚いたな。もう依頼を受けてくれたのか。二人とも初めて見る顔だけど、グリーンホロウには来たばかりなのかな」
「はい、そうです。昨日の真夜中に到着したばっかりで、財布もほとんど空っぽだったんですよ。だから今日すぐに始められる仕事を探してたんです」
少女が愛嬌のある態度で話している間にも、少年は口を閉ざしたまま喋ろうともしなかった。
「あ、私はメリッサっていいます。こっちはナギです」
「……よろしく」
ようやく少年の方も口を開く。
体格の割にやや低めの声だった。
「メリッサにナギ、だね。俺が店長のルークで、向こうにいるのが従業員のガーネットだ。今のところ正規の店員は俺達だけだから、忙しすぎて困ってたんだ」
「任せてください! 違う町にいた頃は道具屋さんで活動資金を稼いでたので、こういう仕事は慣れっこです!」
「そいつは頼もしいな。次の定休日までの短期契約だけど、よろしく頼むよ」
話し込んでいるうちに開店時間が迫ってきたので、さっそくメリッサとナギにも仕事に取り掛かってもらう。
慣れていると言うだけあって、二人の仕事ぶりはなかなかのものだった。
メリッサは輝くような愛想の良さで接客を行い、ナギは無愛想ながらも素早く身軽な動きで商品を運んでいく。
短期契約なのが惜しくなるくらいの働きだ。
しかし、彼らはあくまで探索の準備資金を稼ぐためにやって来たのであり、長期に渡って拘束することはできない。
冒険者とはそういうものなのだ。
「メリッサ……で合ってるよな、名前。相方のナギって奴、もしかして東方人か?」
仕事の合間に、ガーネットがメリッサに何気ない雑談を持ちかける。
「そうですけど、何か問題とか……?」
「まさか。こっちでは珍しいはずなのに、まさか『二人目』と出くわすとはなって思っただけだ」
「二人目? ひょっとして、ナギの他にも東方の人がいるんですか?」
「ああ、
ガーネットが言っているのはサクラのことだ。
このウェストランド王国において東方人はかなり珍しい。
定住者はほとんどおらず、サクラのように何らかの目的があって一時的に滞在する場合がほとんどである。
サクラとナギ……短期間で二人も目にするのは、確かにレアケースと言えるだろう。
そんなことを考えていると、この話題の張本人が店にやって来た。
「おはようございます、ルーク殿。お仕事は順調に――」
勢いよく玄関の扉を開けて早々に、サクラがナギとばったり顔を合わせる。
二人とも真顔になってぴたりと動きを止め、そしてほぼ同時に鋭く言葉を発した。
「
「カクエンの巫女!?」
聞き慣れない単語がナギの口から飛び出したが、それがサクラのことを示しているのは理解できた。
しかし、
「……知り合いか?」
とりあえず、当たり障りのない質問をしてみる。
サクラは困ったように小さく息を吐き、できる限り穏健な言葉を選んだ様子で説明をした。
「故郷での知人です。
「それはこちらの台詞だ、
お互いに『遭いたくない奴と出くわしてしまった』と思っているのがひしひしと伝わってくる。
どうやら友好的な関係というわけではなさそうだ。
むしろ敵対的とすら言えるかもしれない。
「そもそもだな――」
ナギが更に言葉を重ねようとしたところで、メリッサが二人の間に割って入った。
「わーっ! ストップ、ストップ! ほら、仕事しないと! ね?」
「……ちっ、分かったよ」
メリッサに背中を押され、ナギはしぶしぶ矛を収めた。
そして二人で作業に戻ろうとしたのだが――その直前に、メリッサが露骨な警戒心の籠もった視線をサクラに向けた。
サクラは視線に気が付かなかったようだったが、今朝からずっと見せてきた愛想のいい態度とは明らかに違う反応だった。
「なるほどね、ありゃ分かりやすいな」
ガーネットがこっそり俺の隣に来て苦笑を浮かべた。
「意中の男に自分が知らない昔馴染みの女がいたもんだから、横取りされやしないかと警戒してるんだぜ」
「どう贔屓目に見ても『休戦中の敵同士がプライベートで遭遇しました』って感じの反応だったんだがなぁ……にしても、意外だな」
「意外なもんか。愛想がいいからって中身まで能天気とは限らねぇんだぞ」
「いや、メリッサのことじゃなくて。お前が恋愛の機微を読み取れたことが凄く意外で――」
カウンターの下で、俺の足に鋭いローキックが人知れず繰り出された。