人は災害時(非常時)に無償で人を助ける ・そもそも、人はなぜ無償で人を助けるのか(日本人に限定せず) たいていの伝統的社会には個人同士や家族同士、集団の間に、深く根づいた責任と結合がある。そして、社会という概念自体が共感や親愛の情で結ばれたネットワークをベースとしていた。人々は本心では社会的なつながりや意義深い仕事を望んでいて、それに大きなやりがいを得る。しかし、わたしたちの経済や社会の仕組みがそのような共感や親愛の情で結ばれたネットワークを希薄にし、そのやりがいの達成を妨げる。しかしながら、災害時など緊急事態においてはその経済や社会の仕組みが機能しなくなる。そして、通常の経済や社会が機能しなくなったときにこそ、人々は自由に、本来求めている社会的つながりや意義深い仕事を望むことができ、自分のやりがいを達成することができるため人々は災害時に他人を助けようとする。(Solnit 2009=2010: 12-18)
災害直後、人々は不確かな未来を分かち合い、みんなが同じ境遇にあるせいか互いに対し連帯感と共感を持つ。そのような連帯感、共感から人々は互いに助け合う。さらに災害時に人々は長期的ビジョンに立たず、ただ差し迫った生死を分ける要求だけを持つ。そのことから将来を思い悩むような心配事から解放され、人はその時点で楽に気前よくなれる。このようなことから他人を助けるという行動をとると思われる。(Solnit 2009=2010: 43-48) 災害にあうことで平常時に想像していた恐怖を体感することになるがそのなかで少しでも助かる方法を探そうとし、具体的に取り組まなければならないことを探し出す(恐怖を感じている暇もない)。 それに対して、ほとんど被害にあわなかった人々は狼狽し、ほかの可能性に思い至らないことが多い。よって災害の中心地から遠ざかれば遠ざかるほど人々の恐怖も大きくなる。(Solnit 2009=2010:30-31)
<文献リスト> ・Solnit,Rebecca. , 2009=2010、高月園子 『災害ユートピア――なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』 亜紀書房
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