「心失者には生きる意味がない」この解釈の錯誤は事件をミスリードする

相模原障害者殺傷事件が僕たちに突きつけたもの【第8回】
森 達也 プロフィール

……予定の時間はとっくに過ぎている。遅刻の上に延長。もう一度詫びる僕に、「遅刻は気にしないでください」と郡司は答える。「どうしても時間を守れない。それも怠慢とか不誠実ではなくて発達障害の特性ですから」

「僕が?」

思わず言った。でも知っている。僕も軽度の発達障害だ。ただし自己診断ではhyperactivity(多動)のないADD。アスペルガーもあると思う。だから多くの人より常に遅れる。ずれる。結果としてはADHDと同じだ。周囲とうまく調和できない。小学生時代に給食がまったく喉を通らない時期があった。好き嫌いのレベルではなく、家の外ではどうしても嚥下ができないのだ。椅子の後脚だけでバランスをとろうとして授業中に何度も倒れていた。忘れものはほぼ毎日。自分が見ていないときに世界が変容しているのでは、との思いにとりつかれ、授業中に何度も後ろを振り向いていた時期がある。素早く振り向かないと世界の変容に追いつかない。通知表の備考欄には、毎回のように「協調性が乏しい」とか「注意力が散漫」などと書かれていて、母親はいつもため息をついていた。気がついたら多くの人と違うことをしている。意識的ではない。できれば協調したい。でもできない。

「作品を観たり読んだりしながら、きっとそうだろうなと思っていました。ちなみに私もADDです。だから、森さんの今回の時間の遅れもあまり気にしないというか、やっぱりね、という感じでした」

そう言ってから郡司は、「自分がどう思われるかとか、あんまり考えないタイプですね。でもそれが強さだったりするのかな。そういう人も必要です」とつぶやいた。たぶん慰め。ありがとう。今さら生きかたは変えられない。

 

(つづく)