ただし状況は最悪だ。新型コロナ状況下の現在、かつてのような取材はできない。さらに(僕自身の怠慢というかどうしても人より遅れてしまうところが大きな要因だが)、植松の一審判決は現段階で確定してしまい、今の彼は確定死刑囚としてブラックボックスに押し込められている。もう会えない。手紙の交換もできない。いまできることは、事件について多くの人に話を聞くこと。聞きながら考えること。これを進めるしかない。郡司が言った。
「裁判で解明がなされない。なぜあんなことをやったのか。結局はそれがわからない。去年、新幹線で人を殺傷して無期懲役判決を受けた人がいたけれど」
「小島一朗ですね」と僕は言った。2018年6月9日に新幹線車両内で女性二人を襲って男性一人を殺害した小島一朗は、法廷で「見事に殺しきりました」「3人殺せば死刑になるので2人までにしておこうと思った」「無期懲役囚になりたい」などと述べ、実際に無期懲役の判決を言い渡された際に「控訴はいたしません。万歳三唱します」と被告席で叫んで両手を上げて万歳した。犯行時に22歳だった小島は5歳のころ、通っていた保育所から「アスペルガー症候群」の疑いを指摘されている。
「軽い知的障害や境界知能、あるいは発達障害の子供を育てる親御さんは、……私たちもそうなんですけど、今とても危惧しています」
「何を危惧しているのですか」
「今の社会の流れです。悪いことをしたら死刑。その傾向がとても強くなっている」
「えーとつまり」と僕は言った。「その危惧は、障害のある自分の子供が相模原事件のように危害を加えられたら、ということではなくて」
「もちろんそれもあります。でも発達障害とか軽度知的障害など境界知能の子供を育てている親の中には、もしもこの子が罪を犯したら、と脅えている人はたくさんいます。ちゃんと裁いてくださいって覚悟はしていると思うけれど、でも最近の裁判については、なぜ彼らが犯罪を起こしてしまうのかについての考察がまったく抜け落ちていて、社会は自己責任を前提にしていて、それはどうにかしないといけないと思っています。スクールバスを襲撃して2人を刺殺してから自殺した登戸の通り魔事件も、犯人は同じようなタイプです」
2019年5月28日、神奈川県川崎市の登戸駅付近で、包丁を持った51歳の男がスクールバスに乗る列に並んでいた小学生や保護者を襲い、2人が死亡して18人が重軽傷を負った。終始無言のまま子供や保護者を刺し続けた男は、直後に自分の首を刺して自殺した。
「彼らの責任能力について郡司さんは……」
「その議論以前に、このまま死刑で殺してしまっていいのだろうかと思ってます。植松は自分の考えを変えるきっかけや出会いがなかった。だからとても急進的に、自分が正義だと思って行動を起こしてしまった。いろんな人が面会しているけれど、誰も彼と話ができていない。もちろん、彼の認知の歪みとか理解力のなさもあるけれど、彼の心を引き出す対話ができていない。許せないみたいな論理で対峙してしまっては、重度障害者を殺害した彼の心が理解できない、殺してはいけない理由を気づかせることができない。
植松は今も自分のやったことは正しいと思っているし、反省もしていない。そのまま死なれてしまったら困ると私は思っていて……」
「彼の精神状態を郡司さんは、発達障害の観点からはどのように見立てますか。知的障害はない。普通に学校教育を受けて大学にも行っている。弁護団は大麻精神病という見立てで責任能力はないと主張したけれど、僕はこれにも違和感がある」