すべての事件には特異性と普遍性がある。その二つを見定めることで事件の骨格は明瞭になる。でも事件が注目されればされるほど、市場原理に従ってメディアは特異性ばかりを強調するようになる。逮捕された直後の植松が護送されるときの表情を、ほとんどの人は覚えていると思う。護送車の中で植松は、薄笑いやほくそ笑みのレベルではなく、何が嬉しいのかまさしく爆笑していた。19人を殺害した直後だ。僕も狂気を感じた。誰もが感じたはずだ。しかしその特異性は他の写真やエピソードと重なり合いながら、残虐性や冷酷さを強調する方向にばかり向かい、彼の精神状態を疑う方向には進まない。
かつて長崎文化放送で記者とアナウンサーを兼任していた郡司真子は、精神医療の専門家ではない。しかし退職後にいくつかの職を経て、主に発達障害を研究するオーティズム・パートナーシップでトレーニングを受け、現在は発達支援教室「るりえふ」の代表だ。
発達障害とは何か。広い意味では精神障害のひとつ。成長過程(発達期)において、身体や学習、言語、行動のいずれか(あるいは複数にまたがって)に現れる不全的な症状。大きくは三つに分類される。
発達障害者支援法が施行された2005年以降、この概念は急激に広がった。言い換えればそれまで、発達障害は名前のない存在だった。つまり認められていない。小学生時代、授業中にじっとしていられない子供はクラスに何人かいた。学期末にはほぼ必ず、通知表の備考欄に「落ち着きがない」「注意力が散漫」「みんなと協調できない」などと記載される。そして母親がため息をつく。なぜおまえはみんなと同じことができないの。なぜ授業中に椅子の後脚だけでバランスをとることに熱中するの? なぜ玄関に置いてある体操服を毎回忘れるの? そう言われても自分でもわからない。できればみんなと同じようにしたいのだ。でも気がついたら違うことをしている。これが脳の障害に由来しているとは、当時は誰も思わなかった。性格の偏りや真摯さが足りないからだと思われていた。
現在の僕の周囲にも、多動で空気をよむことができない友人や知己が相当数いる。彼らの多くは、「落ち着きがない」「物をなくしやすい」「順序だてて行動ができない」「何かを始めると周囲が目に入らなくなる」などの特徴から、おそらくADHD(注意欠如多動性障害)と推測できる。学齢期の小児の5~11%に発生していると推定されるのだから、確率的には決して不自然ではない。彼らは場や空気を読むことが苦手だ。だから多数派に対して抗うように見える。しかし本人たちに抗っているという意識は希薄だ。いつのまにかそうなっている。その意味では王様は裸だと叫んだ子供に近い。
特に子供の発達障害についてのスペシャリストである郡司真子に、相模原だけではなく最近の事件と裁判について質問した理由は、多くの精神科医とは違う視点を与えてくれるのでは、と直感したからだ。一時間以上も待たせてしまった後ろめたさと焦りから、「今この段階で相模原事件や裁判について僕が考えていること」と最初に僕は言ったけれど、取材はまだ始まったばかりなのだから、「今この段階で考えていること」を言い換えればモティベーションであり仮説でもある。取材を続ければ変わる。そうでなければ取材の意味はない。