第38話 最後の手段
「ファルコン……なのか……?」
勇者ファルコン。
『奈落の千年回廊』に俺を置き去りにし、魔王ガンダルフの虜囚となったはずのあの男が、ドラゴンと歪に混ざりあった姿と化してそこにいた。
「貴様ガ! 生キテイテ! 何故! 俺達ガ! アアアアアアアアッ!」
絶叫と共に、牙の隙間や胸と背中の傷口から炎が噴き出す。
どうしてファルコンが怪物の姿に――そんなこと考えるまでもない。
方法までは分からないが、魔王に囚われた後で『作り変えられた』に決まっている。
「ルゥゥゥゥゥクゥゥゥゥ!」
装甲を失ったファルコンの胸部が膨れ上がり、数本の歪んだ刀身に貫かれた傷口から鮮血と炎が溢れる。
次の瞬間、猛烈なファイアブレスが一直線に襲いかかってきた。
「くっ……」
ヒヒイロカネの脇差を振るって炎を迎撃しようとする。
しかしタイミングが合わなかったのか、それとも威力が大き過ぎたのか、防ぎ切れなかった炎が容赦なく皮膚を焼き焦がした。
「……ぐうっ……!」
「ガアアアアアアアアッ!」
ケダモノじみた咆哮が炎の残滓を突き破り、ドラゴンの前肢の形をした左腕が俺の頭を鷲掴みにする。
視界が高速で縦にブレる。
額に激痛が走り、生暖かい感覚が顔中に広がる。
顔面を石の床に叩きつけられたのだと気付いたのは、頭を掴んだまま力尽くで起こされた後だった。
「……はは。やっぱり、真っ向勝負じゃ敵わないな……」
視界の半分を血で染められたまま、ドラゴンと混ぜられたファルコンの顔を真っ直ぐ見据える。
焼け付く息が頬を
ドラゴンと同じ質感の眼球が、憎悪の光を湛えて俺を睨みつけている。
「貴様ガ! 貴様ガ! 貴様ガ! 俺達ヲ!」
「おいおい……冗談言うなよ、勇者サマ。俺は何にもできないド三流だったじゃないか」
「黙レ! 貴様ガ!
「――――」
完全に不意を打たれて、思わず反応するのを忘れてしまう。
少しの間を置いて口を突いて出たのは、言葉ではなく笑い声だった。
「……は、ははは。あははは、あはははははっ!」
「貴様ァ! 何ガ可笑シイ!」
全力で投げつけるかのような勢いで、再び顔面を石の床に叩きつけられる。
今度はどこかの骨に亀裂の入る音がした。
それでも俺は、腹の底からこみ上げてくる笑いを抑えることができなかった。
事情を知らないからとはいえ、とんでもない勘違いだ。
酷い八つ当たりを受けた憤りよりも、俺とファルコンの認識のすれ違いっぷりが可笑しくてしょうがない。
「……俺は何にも隠しちゃいなかったさ。他人よりも多少スキルレベルが高いだけの【修復】スキル。それが俺の全部だったんだ……」
それぞれの手に脇差と魔力結晶を握り締めたまま、身を捩って仰向けに体勢を変える。
視線の先では、竜人と化したファルコンが俺を見下ろしている。
恐らく、最初に建築現場へ襲いかかったのは魔王の命令だろう。
次に、俺を見つけて攻撃を仕掛けたのは、きっと五体満足で生き延びていた俺への怒りと八つ当たりだ。
そしてそれ以降――要塞を無視してこんな地下まで俺を追い続けた理由は、誤解からくる逆恨みに違いない。
「傷を治せるようになったのも、壁を壊せるようになったのも、お前達に置き去りにされた後のことだ。必死に生き延びようとあがいて、あがいて、あがき続けて……その末に、いつの間にかできるようになっていた……それだけなんだよ」
初めて、ファルコンの顔に怒り以外の感情が浮かんだ。
困惑、焦燥、あるいは動揺。
ファルコンは酷い油断と慢心をやらかす悪癖こそあったが、根本的な頭の出来自体は決して悪くはない。
だからこそ悟ったのだ。
自分が抱いていた決定的な誤解の存在を。
白狼の森のルークが最初から隠された実力を明らかにしていれば、自分達はこんな目に遭わずに済んだのだ――という、都合のいい責任転嫁の誤りを。
「もしも、何事もなく……五人でここまで辿り着いていたら……きっと俺も、同じ目に遭ってただろうな。分かるか? 勇者サマ」
「……黙レ……」
「お前がこうなったのは、他の誰でもないお前自身の責任だ。自滅したんだよ、お前は!」
「黙レエエエエエエッ!」
ファルコンが俺の頭を踏み潰すべく脚を振り上げる。
俺は仰向けのままで魔力結晶から大量の魔力を引き出し、石造りの床に【分解】の魔力を叩き込んだ。
石造りの床が一瞬のうちに砕け散る。
崩落する足場。
まるで底の見えない暗闇がぱっくりと口を開け、瓦礫と俺達を飲み込もうとする。
「……っ!」
ヒヒイロカネと鋼を【合成】させた脇差を大穴の断面に突き立て、岩と【融合】させて固定、それにぶら下がることで落下を回避する。
俺の重みで刀身が曲がり、あっという間に折れそうになるが、絶え間なく【修復】し続けてどうにか形を保たせる。
最初に床を【解析】した時点で、数メートル程度の岩の層の下が空洞になっていることはわかっていた。
これが俺に残された『最後の手段』だ。
そしてファルコンは――
「アアアアアアアアッ!」
――片翼を目いっぱいに広げ、必死になって腕を伸ばすも、その手は何もつかめない。
胸を貫いていた歪な刀身が片方の翼の付け根を潰し、ファルコンから飛行能力を奪っていたのだ。
「ジュリアァァァァァァァァァァッ!」
果てのない暗黒へ墜ちていく勇者が残した最後の叫び。
それは俺に対する怒りでも、魔王に対する憎しみでもなく、この場にいない恋人の名前だった。
数秒――あるいは十数秒の時間が過ぎ、遥か遠くから微かな水音が響いてきた。
「地底湖……か。悪いな、勇者サマ。今度は俺が置き去りにする番みたいだ」
本当、皮肉なものだ。
迷宮に置き去りにされた俺は新しい力を得て生還し、置き去りにした勇者は怪物の姿に変えられて地下深くに墜とされた。
視線を上げ、周囲の岩と土を寄せ集めて大穴を【修復】して、振り返ることなく元の場所に戻る。
「…………やっと、終わった」
石造りの冷たい床に仰向けで横たわる。
左手に握り込んでいた魔力結晶が、黒く変色して崩れ落ちていく。
勝利の高揚感らしきものはなく、代わりに言い表しようのない疲労感が胸を満たす。
心身ともに極限まで酷使したからだろうか。
あるいは柄にもなく、勇者の末路に哀れみを覚えでもしたのだろうか。
……正直、理由はどちらでもいい。
とにかく今は、一秒でも早く皆の顔が見たかった。
ここは紛れもなく迷宮の底。けれど、あのときとは全く違う。
今すぐにでも帰ることができる。
そして、俺の帰りを待ってくれている人達がいる。
たったそれだけのことが、堪らなく嬉しかった。
次回は第一章のエピローグとなります。