第37話 これまでの全てを
「(とは言ったものの、逃げ場はどこにもなさそうだな……!)」
周囲は右も左も崖のような斜面。
浅い川の上流は恐らくドラゴンの巣窟で、下流に行けば魔族の生息圏。
そして上空から迫る仮面の竜人――
「……一か八かだ!」
崖面に触れて【解析】を発動させる。
この岩山に坑道が張り巡らされているのなら、岩肌から近いところにも坑道が通っているかもしれない。
「あった……! スキル、発動っ!」
厚さ数メートルの岩壁を素早く【分解】し、その残骸を向こう側に吹き飛ばす。
即座に穴の中へ転がり込み、坑道の地面を埋め尽くしていた砂と石状の残骸に【修復】スキルを発動。
開けたばかりの穴を最大速度で封鎖する。
ちょうど穴が塞がりきる瞬間に、仮面の竜人が川辺に着地する姿が垣間見えた。
「間に合った……けど……ここは坑道じゃないのか……?」
『坑道』という言葉から思い浮かぶイメージは、岩が剥き出しになった人工の洞窟だ。
しかし、ここは違う。
まるで神殿か何かのように整えられた、石造りの床と壁。
天井は『魔王城領域』の空のような光を湛え、通路の隅々までを照らしあげている。
「遺跡……みたいだな……」
想定外の光景に唖然としていると、厚い石壁に凄まじい衝撃が叩き込まれた。
「あの野郎、岩をぶち破るつもりか!」
なんて力技の追跡だ。
奴に諦めるつもりがないのなら、俺の選択肢は二つに一つ。
セオドアを始めとする高ランク冒険者が駆けつけてくれると期待して、内側から壁を【修復】し続け、魔力切れと時間切れのどちらが早いかの根比べに持ち込むか。
あるいは通路の奥へと逃げて、隠れ場所か脱出経路のいずれかが見つかることを期待するか。
「(どちらにせよ、迷ってる暇はない……!)」
前者は魔力結晶の存在が有利になるが、奴の破壊力が未知数なのが不安材料。
駆けつけた味方が返り討ちに遭ってしまう可能性すらある。
後者は『通路のどちら側に逃げたのか』という形で撹乱できるが、行き止まりに駆け込んでしまったら目も当てられない。
「……ええいっ!」
決断を下すや否や、俺は壁に最低限の【修復】だけを使用し、すぐさま全速力で走り出した。
真っ向から破壊と復元を競い合うには、相手の手の内が読めていないのが致命的過ぎる。
こちらは魔力結晶のバックアップ付きの【修復】が唯一の手札なのに、相手がそれ以上の切り札を隠し持っていたら目も当てられない。
脇目も振らずに走り続け、遂に通路の先の領域に辿り着く。
「こいつは……裏目を引いたかな……?」
行き着いた先は広大な円筒形の空間だった。
現在位置は円筒形の上端付近。
内側に沿って螺旋階段が途切れなく続き、底の様子は暗くて目視することができない。
どう考えても地中へ降りていく経路だ。
『魔王城領域』の平地部分よりも更に深く。
人が踏み入れてはいけない領域にまで繋がっているような気すらした。
「今更引き返すわけには……」
通路の奥で岩壁が粉砕された音が響き渡る。
「……いかないみたいだな」
俺は覚悟を決めて、古びた螺旋階段を駆け下りていった。
円筒形の空間の石壁には、一定間隔ごとに出入口のような穴が開いていて、その奥にがらんとした空洞が広がっていた。
まるで部屋だ。家財道具一式を引き払った無人の家だ。
「もしかして、ここは町の遺跡なのか?」
ダンジョン内の遺跡や遺物を調べることが好きな奴らが見たら、気を失うくらいに驚いて喜びそうな光景だ。
ノワールによると、『魔王城領域』に生息する魔族はドワーフとダークエルフの二種類らしい。
この遺跡は人間の俺が動きやすい寸法で造られていて、明らかにドワーフの体格とは釣り合わない。
となると、ここはダークエルフによって造られた遺跡なのだろうか。
あるいはどちらでもない未知の魔族が――
「(……って、そんなこと考えてる場合じゃないんだっての)」
今の俺には好奇心に身を委ねる余裕なんかない。
螺旋階段を無我夢中で駆け下り続け、遂に円筒形の空間の底まで到達する。
「行き止まり、か……いや、ひょっとしたらどこかに隠し通路が……」
芸術的な模様が彫り込まれた石造りの床に触れ、魔力結晶の出力を借りて【解析】を発動する。
周囲一帯の物理的な構造が、頭の中に流れ込んでくる。
その直後、突如として落石じみた衝撃が足場を揺らし、スキルが強制中断させられてしまった。
「(まさか! もう追いつかれたのか!)」
そう直感して振り返った瞬間、激痛が胴体を刺し貫いた。
「――――がふっ」
目の前には仮面の竜人。
腹に深々と突き刺さる一振りの剣。
鮮血が石造りの床を濡らす。
竜人は俺の体から悠々と剣を引き抜こうとして――
「…………!?」
――しかし抜き去ることができなかった。
肉と刃が癒着してしまったかのように、軽く引いた程度では動きもしなくなっていた。
「……捕まえた……!」
まさか『この使い方』が生きるとは夢にも思っていなかった。
酔狂な貴族に依頼された、決して抜けない剣を造るために考えた【融合】という応用。
あのとき石と剣の間で実現したそれを、自分自身の肉と剣の間で再現したのだ。
そして、仮面の竜人が動揺を見せたこの一瞬こそが好機。
胴体を貫く剣から【分解】で欠片をそぎ取り、竜人の鎧に押し付ける。
「発動ッ!」
鎧を素材に【修復】された数本の歪な剣が、仮面の竜人の胸部を密着状態から刺し貫いた。
「グガアアアアアッ!」
仮面の下で絶叫が響くと同時に、貫かれたばかりの傷から炎が噴出する。
俺はとっさに引き抜いた脇差――サクラから預かったヒヒイロカネ合金製の刀をかざし、炎を吸収させて防ぎ止めた。
サクラが振るったヒヒイロカネの刀は、ドラゴンのブレスすらも吸収してのけた。
ならばこの程度、防ぎ切れないはずがない。
「これなら――どうだっ!」
灼熱を帯びた脇差で竜人の首めがけて斬りかかる。
竜人は苦しみ悶えながらも反応し、仮面の部分をぶつけて防御しようとした。
脇差の刃が仮面を滑るように溶断する。
しかし俺の技術が足りなかったのか、竜人の動きが巧みだったのか、顔面を深く断つには至らず仮面を弾き飛ばすだけに留まった。
「グオオオ……!」
竜人が後方へ飛び退く。
首狙いの一撃は失敗に終わったが、密着状態からの【修復】で放った奇策の剣は見事に胸を貫き、片方の翼の付け根を抉るように引き裂いていた。
「くっ……」
腹を貫いた剣の【融合】を解除して抜き捨て、傷を【修復】しながら次の一手のために身構える。
真っ向から切りかかっても間違いなく通じない。
相手の肉体を直接【分解】するのは、魔力抵抗の存在によりまず不可能。
【修復】や【融合】といった奇策は二度も通用しないだろうし、そもそも【融合】で剣を止められたのは偶然致命傷にならなかったからだ。
更に言えば、あいつが油断してゆっくり引き抜こうとしたりせず、最初から力尽くで抜き去られていても駄目だった。
そんなことをされていたら、周囲の血肉ごとちぎり取られていたに違いない。
「(やれることは全部やった……これで倒れないなら、後は『最後の手段』に懸けるしか……)」
運の悪いことに、螺旋階段は竜人を挟んだ反対側にある。
逃走と脱出の可能性を考え始めた直後、仮面を失った竜人が人間的な声で叫びを上げた。
「ルークッ! 貴様ガ! 貴様ガアアアアアアッ!」
灼熱の脇差で斜めの刀傷を受けたその顔を、俺はよく知っていた。
肌の多くを鱗に侵食され、瞳がドラゴンのそれに置き換わり、口から鋭い牙を剥いていたとしても――決して見間違えることはない。
「ファルコン……なのか……?」
勇者ファルコン。
『奈落の千年回廊』に俺を置き去りにし、魔王ガンダルフの虜囚となったはずのあの男が、ドラゴンと歪に混ざりあった姿と化してそこにいた。