第30話 運命を変える書状
「そうだ、白狼の。忘れるところだった。フェリックスから伝言を預かってるぜ」
全身甲冑を着込み直しながら、ガーネットがそんなことを言い出した。
この手の甲冑は一人で着用できるのだろうかと思っていたが、特に問題もなく装着できているようだ。
最初からそういう造りになっているのか、あるいはガーネットが特別器用なのだろうか。
「お前の処遇を決める日程が固まったそうだ。明日の夜、営業時間が終わったらギルドハウスに来てくれだとさ」
「……頼むから、そんな大事な伝言は忘れないでもらいたいもんだ」
「しょうがねーだろ。出かける寸前に押し付けられたんだから。あいつも忙しいんだよ」
細かいところに突っ込んでも時間の無駄になりそうなので、とりあえずもっと詳しい話を聞き出してみることにする。
「ところで、俺の処遇を決める日程ってどういうことなんだ? もう決まっていて、明日教えてもらえるってわけじゃないのか?」
「オレもよく知らねぇよ。フェリックスが言ってたのをそのまま伝えただけだ」
そうしているうちに、ガーネットは甲冑を着用し終えていた。
フルフェイスの兜をしっかり被って顔を隠し、ダイニングルームの出入り口へと踵を返す。
「……っと、危ねぇ危ねぇ。一つ聞きたいことがあったんだった。白狼の。恨んでる相手が自滅したって聞いたとき、どんな気分だった?」
気楽さや粗暴さに彩られたいつもの喋り方とは違う、どこか沈み込んだような声色だ。
兜を被っているうえに後ろを向いているので、表情はまるで読み取れない……はずである。
しかし、ガーネットが今どんな顔をしているのかという想像図が、不思議と鮮明に思い浮かんできた。
「改めて聞かれると反応に困るんだが……そうだな、一言で言うなら『胸の奥の引っかかりが取れた』ってところかな」
「それ、スッキリしたってことか?」
「端的に言えばそうかもな」
「けどよ! 勇者が本当に死んだのかは分かんねぇんだし、自分の手で仕返しもしてねぇんだろ? お前はそれで……ああ、くそっ……」
ガーネットは俺に背を向けたまま言い募ろうとしたが、うまく言葉が浮かんでこなかったらしく、苛立ちを振り払うように首を横に振った。
恐らく、ガーネットが聞きたかった内容はこうだ。
――お前はそれで満足なのか?
もちろん、俺のことを気遣っているわけではないはずだ。
自分が『同じ状況』になったとき、どんな風に振る舞うべきなのか悩んでいるのだろう。
だったら俺は、それを踏まえた上で返答するだけだ。
「贅沢を言いだしたらキリがないだろ? これで全部終わりかどうかは分からないけど、ひとまず今のところは満足できてるさ。当然、状況が変わったら気持ちも変わるかもしれないけどな」
「…………」
「ただ俺の場合、被害に遭ったのはあくまで自分一人だけだった。自分のことだからこそ、適度に気持ちの整理がつけられたんだ」
ガーネットが沈黙を保っている間に、畳み掛けるように続きを口にする。
「もしも大事な奴が同じ目に遭わされたとしたら、自業自得で破滅した程度じゃ許せなかっただろうな。他の連中が何と言おうと、自分の手で心ゆくまで報復したがったと思うぞ」
「……はははっ! お前って意外と過激なんだな。復讐は良くないとか言い出すかと思ったぜ」
背を向けたまま笑うガーネットの声からは、隠しきれない嬉しさと安堵が感じられた。
まるで、自分の考えを肯定してもらえたかのように。
「別に俺は聖人君子じゃないからな。他の奴を憎んだり妬んだりすることもあるし、イラつくとかうざったいとか思うことも当然ある。例えばお前のことだって、最初はいつぶん殴ってやろうか本気で考えてたくらいだ」
俺の冗談めかした口振りに、ガーネットはまるで友達とふざけ合う子供のように笑いだした。
「あははははっ! そりゃあいい! 今からでも川辺で殴り合ってみるか?」
「嫌なこった。それ殴り合いじゃなくて、こっちが一方的にボコられるだけになるだろ。俺の弱さを甘く見るなよ?」
よし、どうやらガーネットの調子が戻ってきたらしい。
こいつに一体どんな過去があって、何を思って騎士をやっているのかは知らないが、沈んだ空気を背負われるのはどうにも気分が良くない。
「……あー、思いっきり笑ったらスッキリした。んじゃ、オレは帰るぞ。店の方はもう落ち着いてんだろ」
「シルヴィアとサクラにはお礼に飯を奢るってことになってるんだが、お前もどうだ?」
「いや、気持ちだけ受け取っとく。傷の【修復】代を働いて支払ったってことにしといてくれ」
そしてガーネットは籠手に覆われた手をひらひらと振りながら、鼻歌交じりに店を出ていった。
翌日、俺はガーネットから聞かされたとおり、営業時間が終わってすぐにギルドハウスへ足を運んだ。
受付嬢のマリーダに用件を伝えると、フェリックスはもう到着していると言われ、ギルドハウスの奥の部屋へと通された。
「ご足労頂きありがとうございます、ルーク殿」
部屋にいたのは、平服姿のフェリックスとブラッドフォードの二人だった。
もっともブラッドフォードは護衛か何かのように佇んでいるだけなので、実質的には俺とフェリックスの二人での会話になる。
「ガーネット……さんから大まかな話は聞きました。書簡を出してからまだ三日も経っていないのに、もう対応が決まったそうですね」
少し悩んでしまったが、ちゃんとガーネットにも敬称をつけておく。
本人がそれでいいと言うから、普段はかなり砕けた態度で接しているわけだが、一応は銀翼騎士団の一員でありフェリックスの部下だ。
こういう場ではきちんと表現した方がいいだろう。
「正確には、ルーク殿への対応が発表される日取りが決まったという段階です。私も内容までは知らされていません」
「昨日もそう伝えられましたけど、一体どういうことなんですか?」
「説明の前にこちらをご覧ください」
フェリックスから渡された封書を見て、俺は息を呑んだ。
双頭の竜をモチーフとしたエンブレム――このウェストランドに生まれ育った人間ならほぼ間違いなく知っているであろう紋章。
「これ……王宮の紋章じゃないですか」
「現在、国王陛下は国内の各地を巡回し訪問なさっています。そして一週間後に、グリーンホロウから山を下った先の街道を通過なされる予定です」
大事になってしまった予感がひしひしと湧き上がってくる。
「それってつまり……」
「ルーク殿に対する各種の処遇は、一週間後に陛下自らがお教え下さるそうです。そちらの封書には正式な召喚状が封入されています。現時点でお伝えできるのはここまでです」
予想もしなかった展開に言葉が出ない。
確かに、ミスリル製品の製造販売の許認可は国王の名において決定される。
大臣がぶち上げたトンデモ犯人説を国王が否定するというのも、物事の流れとしては想定の範囲内だ。
だが、まさか国王と謁見することになるなんて、これっぽっちも想像していなかった。
「それともう一つ……こちらは全く関係のない案件なのですが、どうしてもと頼まれたことがありまして……」
フェリックスは急に言いよどみ、視線を気まずそうに泳がせ始めた。
「……実はルーク殿の噂を聞きつけたとある貴族から、屋敷に飾るオブジェの製作の依頼が来ているのです」
「オブジェ? 貴族から、俺に?」
「はい。ですが、とにかく変わり者として知られている人物でして、芸術家に珍妙な代物を作らせることを趣味としているようなのです。こちらが依頼品の完成予想図らしいのですが……」
渡された新たな封書の中身を広げ、俺は思わず絶句した。
もちろん、さっき言葉を失ったのとは全然別の理由だ。
「石の台座に突き刺さった剣……みたいに見えますね」
「まさにそのとおりのようです。何があっても抜けない剣を造ってほしいとのことで……来客に挑戦させて楽しむとか何とか……」
「ああ……そういう……」
さっきまで胸に満ちていたシリアスな感情が、ぬるま湯に塩を溶かすかのように消え去っていくのが分かった。
何なんだこれは。
王侯貴族からの封書という点では同じなのに、落差が酷すぎる。
「……断って頂いても、構いませんよ……?」
フェリックスがこんなに曖昧な苦笑を浮かべたのは、流石に初めて見た気がした。