第29話 消えた傷跡、消えない記憶
『日時計の森』第五階層でドラゴンと交戦した翌日。
ホワイトウルフ商店は開店以来最大の大盛況を迎えていた。
今後に備えて装備を整えようとする冒険者だけでなく、普通の町民までもが武器を買い求めに来店しているのだ。
剣。槍。弓矢。様々な武具が次から次に売れていく。
理由は分かりきっている。
ドラゴンとワイバーンの出現で不安を覚え、少しでも危険に備えておこうとしているのだ。
もちろん、素人がドラゴン相手に立ち向かっても勝ち目はないが、何の準備もしないよりはマシだと考えるのも当然の発想だ。
それに、『日時計の森』に現れるのがドラゴンだけだという保証はどこにもない。
一般人でも辛うじて抗える魔物が出てくる可能性は否定しきれないし、その場合は武器の有無が明暗を分けることになる。
「次の人どうぞ! 短剣四本、小銀貨四枚ね!」
「槍ですか? 身長くらいの? ルークさん、槍ってどこでしたっけ!」
「ルーク殿、狩猟組合から矢の追加発注が届きました! 狩猟用ではなく対魔物用の矢が欲しいとのことです!」
とても俺一人でさばき切れる状況ではなかったので、今日はシルヴィアとサクラにも手伝ってもらっていた。
それでもまだ明らかに人手が足りていない。
このままだとすぐにでも破綻してしまいそうだ。
「白狼の、ちょっといいか? 大事な話があるんだが」
忙しすぎて目が回りそうなタイミングで、明らかに客ではない全身甲冑の人物がカウンターにやってきた。
「ガーネットか。仕事でもサボりに来たのか?」
「んなわけあるかよ。フェリックスの奴、今日は休めだとさ。上司の身内に何かあったら困るんだろ。甘く見られたもんだぜ」
甲冑を鳴らしながら、ガーネットはやれやれとでも言いたげなジェスチャーをした。
「つまり、お前はもう元気なんだな」
「おうよ」
「だったら、これ頼んだ。箱の中身を向こうの陳列棚に並べてくれ」
腕が震えそうなくらいに重い木箱を、油断していたガーネットに無理矢理押し付ける。
「うおっ! 重っ! お、おい何だよこれ!」
「何って、砥石だが?」
「中身の話じゃねぇよ! オレも働けってことか!」
ガーネットはいたく不満な様子だったが、こちらとしても引く気は毛頭ない。
「見ての通り忙しくて死にそうなんでな。騎士の仕事の話じゃないなら後回しだ。接客が早く済めば話も早くできるぞ」
「そうですよ、ガーネット殿。後ろの行列を見てください。今日のルーク殿には休む暇などありません」
「ぐっ……わーったよ! やればいいんだろ、やれば!」
サクラからも注意され、ガーネットは半ばヤケになりながら商品陳列を手伝い始めた。
自分がやらせておいてアレだが、全身甲冑の騎士が武器屋で働いているというのは、何とも奇妙な光景に思えてくる。
それにしても、あんなに重い砥石入りの箱を軽々と小脇に抱えているあたり、ガーネットのスキルは身体機能の強化に向いたものであるらしい。
やがて夕方頃になると客足も減り、ようやく普段と同程度の混み具合になってきた。
「……ふぅ。ようやく落ち着いてきたな」
ガーネットの来訪には最初こそ多少イラッとしたが、結果的には来てくれたことに感謝したいくらいだった。
特に力仕事をあっさり終わらせてくれたのが本当にありがたい。
武器という金属の塊を取り扱う関係上、それを束ねたときの重さは尋常ではない。
商品補充のために奥の倉庫から木箱を取ってくるだけでもかなり体力が必要で、しかも今日は何往復もしなければならなかったため、ガーネットの来訪はまさしく渡りに船だったのだ。
「ルークさん。ちょっと休憩してきたらどうですか?」
「ええ、その通りです。ルーク殿だけはずっと働き詰めではないですか。店番は私達にお任せください」
「じゃあ、お言葉に甘えて。ガーネット、話があるなら奥で聞くぞ。休憩のついでだ」
「ふー、やっとかよ。日が暮れるかと思ったぜ」
ガーネットを連れて店舗兼自宅のダイニングルームへ移動する。
するとガーネットは念入りに戸締まりを確認し、おもむろにフルフェイスの兜を脱いでテーブルに置いた。
金色の髪が汗で顔に貼り付いている。
全身甲冑であくせくと駆け回ったからだろう。
更に兜だけではなく甲冑まで脱ぎ始め、上半身は真夏のように汗ばんだ薄いインナーだけ、下半身は甲冑姿のときのままというアンバランスな格好になった。
「着替えるなら、宿に帰ってからにしてくれないか?」
「ちげーよ。こいつを見せたいだけだ」
ガーネットは腰に下げていたナイフを手に取り、インナーの首周りを中心から縦に切り裂いた。
そして頬を薄く紅潮させながら裂け目を手で広げ、谷間のない胸元の胸骨辺りを俺に見せつけてきた。
あまり凝視していいものじゃないが、本人に見ろと言われたのできちんと観察をする。
傷一つない綺麗な白い肌だ。
ドラゴンの爪に裂かれて『内側』を無残に晒した痕跡は全く残っていない。
「……別に何ともないじゃないか。まさか【修復】にミスでもあったのかと思ってびっくりしたぞ」
「ああ、お前の【修復】は完璧だったぜ。それが問題なんだ」
どういうことだと俺が聞き返すよりも先に、ガーネットはすかさず言葉を続けた。
「お前のスキル、治しちまった傷は元に戻せないのか?」
「は……?」
ガーネットの発言の意味が理解できずに首を傾げる。
傷を元に戻す? ドラゴンにやられた負傷のことか? そんなものを戻したら今度こそ死んでしまうだろう。
いくらなんでも、そんな要求はしないはず。
つまりガーネットが言っている傷とは、ドラゴンから受けたあのダメージとは違うはずだ。
【修復】した胸元。元に戻したい別の傷。となると答えは一つ。
「ああ、なるほど……ドラゴンにやられる前から胸に傷跡があったけど、爪に抉られて『上書き』されたわけか。で、その傷跡だけ元に戻したいと」
「そういうこと。できるか?」
「言葉が足りてないっての。できるかどうかは……やってみないことには何とも言えないな」
俺は食事用の椅子に腰を下ろし、ダイニングテーブルに頬杖を突いた。
「基本的に、【修復】スキルは対象物に宿る『どんな形をしていたか』っていう記憶を参考にして復元するんだが、その記憶をどれだけ引き出せるのかは状況によって変わってくるんだ」
これは、かつてサクラにした説明をもっと詳細にしたものになる。
「そうだな……例えば、彫刻が施された木の板があるとして、その表面が削り落とされてしまったとしようか」
「オレの体と傷跡の例え話だな」
「正解。このとき、彫刻があったと知らない奴が最速で【修復】を試みた場合、記憶を引き出しきれずに『まっさらな木の板』の状態に戻ってしまうことがある……というか、ほとんどそうなるんだ」
あのときの俺もそうだった。
最速最短で致命傷を塞ぐことに尽力した結果、無傷の状態をベースに【修復】を施すことになり、以前から存在した傷跡の存在が反映されなかったわけだ。
焦らずに【修復】すれば結果も変わるが、あの状況ではそんなことは不可能だった。
「その状態から彫刻を復元できるかというと、やってみなけりゃ分からない。彫刻が施されてからの期間だとか、前の【修復】からの時間経過だとか、本当に色んな要素が絡んでくるんだ」
「色んなっつーと、他には?」
「彫刻家が気合い入れた奴なら復元しやすくて、適当に作った奴なら戻しにくいとか。山ほどあって数え切れないな」
「うげ……そんなことまで影響あんのかよ」
ガーネットが心底面倒臭そうに表情を歪める。
俺だって同じ気持ちだ。
数ある【修復】案件の中でも、【修復】の巻き戻しはかなり面倒な部類に入る。
「……白狼の。とにかくやってみてくれ。頼む」
「お前が素直に頼み込むとなると、こいつは相当だな。ひょっとして名誉の負傷とかだったのか? 消したら逆にお偉方から怒られるような」
「なんつーか……まぁ、そんなところだよ」
言葉の濁し具合から察するに、どうやら違ったらしい。
騎士としての名誉の負傷というわけではなく、けれど決して消したくはない傷跡。
理由は見当もつかないが、試すくらいなら渋る理由もないだろう。
今の俺がどこまでやれるのかを知るいい機会だ。
「じゃあ、その傷のことを強く思い浮かべてみてくれ。お前が記憶を強く引っ張り出していれば、ひょっとしたら成功率が上がるかもしれないからな」
それこそ『試してみる価値はある』という奴だ。
【修復】される側に宿る記憶が【修復】結果を左右するなら、もしかしたら意味があるかもしれない。
俺はガーネットの胸に手を当てて、静かに魔力を流し込んだ。
「スキル発動、【修復】開始……」
その瞬間、頭の中に強烈な光景が流れ込んできた。
――炎。煙。屋敷が燃えている。人間が焦げる臭いが漂ってくる。
記憶の持ち主は、母親らしき女性に手を引かれ、燃え盛る屋敷の廊下を走っていた。
焼けた柱が倒れて行く手を塞ぐ。
振り返れば目と鼻の先に剣を構えた男の姿。
『ガーネット!』
母親はこの記憶の持ち主――幼い娘を抱き寄せてうずくまった。
その背中に長剣が突き立てられる。
無情な刃は我が子をかばう母の肉体を刺し貫き、その切っ先が幼い少女の胸に傷を刻み込んだ――
「――――」
【修復】を終え、ガーネットの胸から手を離す。
傷一つなかった胸の中心、ちょうど胸骨によって守られた辺りに、古い刀傷の痕跡が浮かんでいた。
「できた……と思う。確認してくれ」
「おおっ、すげぇ! バッチリ元通りになってやがる! ありがとな、白狼の!」
ガーネットは少年的な満面の笑みを見せた。
……今のイメージは一体なんだったのだろう。
まさか【解析】が妙な作用を起こして、ガーネットが思い浮かべていた記憶を読み取ってしまったのだろうか。
しかしそれを確認する勇気はなかった。
俺みたいな赤の他人が踏み込んでいい領域ではない気がしたのだ。