第28話 虎の威を借る白狼
証言を聞き終えた後で、俺とフェリックスは精魂尽き果てたノワールを寝かせて部屋の外に出た。
万が一に備えて、サクラにはもう少しノワールの様子を見ておくように頼んである。
それにしても、証言から得られた情報量が多すぎて、頭の中を整理するのが大変だ。
「ところで、フェリックスさん。勇者パーティの任務が実は『偵察』だったっていうのは初耳なんですが、もしかして知ってたんですか?」
ギルドハウスの二階の廊下を歩きながら、俺は証言内容で気になったことをフェリックスに質問してみた。
「ええ、存じておりました」
「最初に会ったときに、勇者からの依頼内容について質問されて、俺は『討伐』と聞いていたって答えましたよね。どうして訂正しなかったんです?」
「あれはあくまで、ルーク殿がどんな情報を与えられていたのかを確かめるための質問でしたから」
涼しい顔でそう答えられてしまい、これ以上何も言えなくなる。
確かに、あのときフェリックスは俺の回答に対して否定も肯定もしなかった。
きっと内心では情報の食い違いに頭を悩ませていたのだろう。
「それともう一つ。ノワールの証言とは関係ないことなんですがね」
俺はフェリックスの前に回り込んで、面と向かい合う形で立ち止まった。
「どうして俺に解呪を任せたりできたんですか? もしかしたら恨みを晴らしていたかもしれないし、ひょっとしたら俺が本当に勇者殺しの犯人で、口封じを図る可能性もあったんですよ?」
するとフェリックスは、何だそんなことか、と言わんばかりの柔らかな笑みを浮かべた。
「その気があるなら発見した時点で実行していたでしょう。わざわざ脚の骨折を【修復】したりせずに」
「……直前で気が変わるってこともありえますよ」
「だとしても、私の目の前でやる意味はありません。公務妨害として重罪に問われるのは避けられませんし、場合によっては件の大臣が『口封じをしたのだ』と力尽くで押し切ってくることもありえます」
貴方がそれを考慮しないとは考えにくいですからね、とフェリックスは笑顔で付け加えた。
そもそもの俺の目的は、いわれのない罪を押し付けられるのを回避すること。
実際に犯罪者になったから濡れ衣ではなくなった、だなんて趣味の悪すぎる冗談だ。
「それと僭越ながら、ルーク殿が何かしらの凶行に及ぶよりも、私が剣を振るう方が格段に早いかと」
「ごもっともで」
「もちろん、最大の理由はルーク殿が信頼に値すると判断したからですよ」
「一番最初に言って欲しかったですね、それ」
軽口半分でそんな会話を交わしていると、受付嬢のマリーダが大慌てで階段を駆け上がってきた。
「あ! いたいた、ルークさん! 大変なことになっちゃったの! ちょっと来て!」
俺は思わずフェリックスと顔を見合わせた。
今日はずっと大変なことばかりだ。
一体、他に何が起こったというのだろう。
「分かった、一階だな。フェリックスさんは書簡の準備をお願いします」
ひとまずフェリックスと別れ、マリーダに連れられてギルドハウスの一階へ向かう。
何が異常だったのかはすぐに分かった。
酒場を兼ねたギルドハウスのメインホールが、普段では考えられないほどの大勢の人間で溢れかえっている。
そしてこの全員がカウンターに押し寄せて、管理人のマルコムに大声で何かを訴えかけていた。
協調性も何もあったものではなく、誰もが自分の都合を伝えようと躍起になっていて、発言内容が全く聞き取れない。
しかも、ここにいるのは冒険者だけでなかった。
グリーンホロウの様々な業種の住人が、必死になって懇願混じりの声を上げていた。
「おいおい……どうしたんだ、一体」
「あっ、ルークさん! 助かりました! 何とかしてください、この状況!」
「何とかする以前に、状況が全く飲み込めないんですが!」
マルコムが俺にすがり寄ってきたのを見て、群衆が言葉の矛先を俺に切り替えてくる。
だが全く聞き取れない。
言葉というよりも、空気の振動の大波が押し寄せてきている気分だ。
「ええい、全員で騒ぐなって! まずは君から話して! 他の人は一旦静かに!」
まずはどうにかして発言者を一人に絞ろうとする。
全員を黙らせることはできなかったが、三分の二くらいは口を閉じてくれたので、指名した冒険者の言葉がようやく聞き取れるようになった。
「武器屋さん、どうもこうもありませんよ! ドラゴンが山ほど湧いて出たんでしょ! 安全だっていう保証がないなら、もうこの町にはいられませんよ!」
そうだそうだと同意の声が次々に上がる。
大部分のEランク冒険者にとっては、ワイバーンですら勝ち目のない存在だ。
以前に一匹だけ現れて即座に倒されたときとは次元が違う。
群れ単位で出現したとなると、稼ぎ場を変えることすら視野に入れても当然である。
まず冒険者側の意見を聞いたので、次は冒険者ではない町民から話を聞いてみる。
「冒険者がいなくなったら俺達やっていけねぇよ! ただでさえ、ダンジョン認定されてから普通の温泉客が減っちまったんだ! 冒険者ギルドが何とかしてくれよ!」
こちらもこちらで当然の問題だ。
グリーンホロウの主要産業のうち、林業と狩猟以外は外部からやってくる人間に依存している。
ダンジョン認定で一般人の温泉客が減ったうえ、ドラゴン騒動でEランク冒険者がいなくなったら大打撃間違いなしである。
「ね、ねぇ……本当にどうにかならない……?」
マリーダが耳元でひそひそと囁きかけてくる。
「このままだと、うちの酒場もシルヴィアのとこの宿もダメになっちゃうかも……」
「…………」
さすがに、春の若葉亭まで被害を被るとなると見過ごせない。
俺は群衆によく声が届く場所まで進み出て、思いっきり声を張り上げた。
「安心してください! これほどの事態になった以上、王宮や冒険者ギルドから応援が派遣されることになります! ダンジョンの安全は保証されます!」
決して口先だけの誤魔化しではない。
前者はフェリックスから直接教えられた情報であり、後者は冒険者ギルドの基本的な方針だ。
これを聞いて、群衆の何割かは安堵した様子だったが、なおも納得しない者も多いようだった。
「でも、その人達が来るまでは危険なままなんだろ? 一週間くらいか? だったら、それまでは別の町に避難した方がいいよな」
「冗談言わんでくれ! 何日も客が来なかったら、仕入れたばかりの食材が全滅だ! 丸ごと大損しちまうよ!」
せっかく静まりかけたのに、無秩序な大騒ぎが再開してしまう。
いずれ安全が確保されると分かったら、今度はそれまでのタイムラグが問題視されてしまった。
俺のホワイトウルフ商店は、銀翼騎士団がミスリルの剣を買うために支払った大金の存在もあって、何ヶ月かは客が来なくても大丈夫だ。
しかし、他の店はそうはいかない。
場合によっては、数日の空白が致命傷になってしまうだろう。
「大丈夫です。銀翼騎士団の副長が強力な防壁を張ってくれます」
「相手はドラゴンなんでしょ。人間のスキルで本当に何日も封じてられるの?」
「やっぱり一時避難しといた方が……」
「そうだよな……命あっての物種っていうし……」
説得を試みてはみるが、なかなか効果が現れない。
冒険者の大部分は『増援が到着するまで別の町に拠点を移す』という安全策に心が移っていて、町民側にとって最も望ましくない結末が見えてきた。
これを覆すには、安全策を捨ててもいいと思わせるメリットを提示するしかないだろう。
「……ええい、この手段だけは使いたくなかったんだが……」
そもそも、二度に渡ってドラゴンが現れた原因は、実は俺かもしれないのだ。
これ以上グリーンホロウに迷惑を掛けないためにも、手段は選んでいられない。
たとえ、それが虎の威を借る狐のような真似であったとしても。
「――注目っ!」
群衆のうち、冒険者の方だけを向いて再度声を張り上げる。
「皆も知ってのとおり、俺は十五年間ずっと冒険者稼業を続けてきた。ランクはまるで上がらなかったが、同業者の知人はとにかく多いつもりだ。今回は、町のためにそいつらにも声を掛けてみようと思ってる」
二槍使いのダスティン。黒剣山のトラヴィス。百獣平原のロイ。ドラゴンスレイヤー、セオドア・ビューフォート――
十五年の間に知り合ってきた高ランク冒険者の名前を列挙するたびに、冒険者達の間に驚きと衝撃が走る。
友好的な関係の奴もいれば、俺を露骨に見下していた奴もいる。
ほぼ同期と呼べる奴もいれば、あっという間に俺を抜き去っていった奴もいる。
しかし、ドラゴンが生息し魔王が支配する未探索の地下空間と聞けば、間違いなく食いついてくるであろう連中だ。
「恐らくそいつらは、自分の仕事をサポートさせるために、現地で低ランク冒険者を雇うことになると思う。つまりはお前達だ。高ランク冒険者に顔を売り、仕事ぶりを間近で学ぶまたとない機会だな」
この場にいる冒険者達の態度が明らかに変わった。
高ランクと仕事を共にできるというのは、低ランク冒険者として決して見逃せないチャンスだ。
普段はできない経験を積むことができるし、気に入られればパーティに誘われることすらあり得る。
ランクアップの推薦をしてもらえることだって夢ではない。
「だが、そういうときに雇われるのは大抵『度胸のある奴』だ。能力の高さは期待されてないわけだから、いざという時にビビって逃げない奴が好まれるのは当然だろう?」
冒険者達が無言で視線を交わし合っている。
安全策よりも得る物が多い選択肢を提示してやれば、彼らの気持ちは間違いなく揺らぐ。
揺らがないような奴は、最初から冒険者になどなっていない。
小銭を安全に稼ぎたいだけなら、もっとマシな仕事は山ほどあるのだから。
「ところでマルコムさん。増援が到着するまでの間、第五階層の監視業務をギルド名義で冒険者に依頼するって話でしたよね」
「え? あ、そう、だったかな……?」
「ですよ。どこのギルドハウスでもやることですからね。こういう仕事を積極的に受けた奴ほど、ギルドハウスから高ランク冒険者に紹介されやすいっていうのも常識で――」
そう言うが早いか、冒険者達がマルコムの方に殺到する。
かなり
さり気なく群衆から離れて椅子に腰を下ろすと、マリーダが満面の笑顔で水を持ってきてくれた。
「ありがと! これで何とかなるかも! それにしても、凄い友達が沢山いるんだねぇ!」
「できればやりたくない手段だったけどな」
「え、どうして?」
「そりゃあお前……」
水をぐいっと飲んでから、言葉の続きを皮肉たっぷりに吐き捨てる。
「……出世しまくった顔見知りに頼るんだ。自分が桁外れに情けない存在だったって、嫌でも思い出しちまうだろ?」