第27話 勇者パーティ壊滅の軌跡 後編
翌日、勇者パーティはドワーフの長老から教えられた裏道を通って、ダークエルフの魔王が住まう魔王城へと乗り込んだ。
「今はまだ静かだけど、もう少し進んだら戦闘になるぞ。気を引き締めておけよ」
リーダーらしい指示を飛ばした後で、ファルコンはくだらないことを小声でぽつりと呟いた。
「魔王を倒したら金も女も思い通りだ。たまらねぇな」
……実力は勇者として充分なレベルだが、性格面に多大な問題がある。
それがファルコンに対する多くの人々の評価だった。
「よし、行くぞ!」
ファルコンの合図で魔王の兵士との戦闘が繰り広げられた。
兵士はダークエルフばかりで、それに加えて迷宮にいたものと似たゴーレムとも交戦した。
最初こそ一方的な戦いだったが、途中から見るからに強力な武具に身を包んだ兵士や、奇妙な金属でコーティングされたゴーレムが出現し、どんどん激戦になっていった。
「くそっ、ドワーフの爺め! 兵士は鉱山に集められてるから、城内にはほとんどいないんじゃなかったのか!」
予想外の抵抗に遭いながらも、勇者の進軍は止まらない。
名工が鍛えた勇者の剣も幾度となく刃こぼれし、その度に勇者の【修復】スキルで修理され続けた。
――ノワールの脳裏に一抹の不安が過った。
白狼の森のルークは、【修復】をするときに必ず素材を継ぎ足していた。
こうしなければ武器の強度が落ちると言っていたはずだ。
勇者はそんなことをせずに【修復】を繰り返しているが、問題は起こらないのだろうか。
「あれが玉座の間だな! 覚悟しろ、魔王!」
扉を破って突撃した先で、一人の勇壮なダークエルフと数名の戦士が勇者パーティを待ち受けていた。
「いかにも。余が魔族王ガンダルフである。よもやあの数を突破するとはな。認識を改めねばなるまいか」
「うだうだうるせぇな! さっさと死ね!」
「無粋な。そちらがそのつもりなら、致し方あるまい」
突進するファルコン。
迎撃として放たれる魔王ガンダルフの火炎弾。
それを撃ち落とすノワールの攻撃魔法。
割り込んできたダークエルフの戦士とファルコンが剣をぶつけ合い――
「なっ……!」
――勇者の剣が真っ二つにへし折れた。
これに驚いていたのは勇者パーティだけではない。
ダークエルフ達も予想外のアクシデントに目を剥いていた。
「くそっ!」
ファルコンはすかさず予備のショートソードを抜いて戦闘を続行したが、主力武装を失った不利は大きかった。
そこから先の戦況は坂を転げ落ちるように悪化し、一方的な蹂躙が繰り広げられた。
ブランとノワールは瞬く間に魔力を使い果たし、白兵戦能力があるファルコンとジュリアは気を失うその瞬間まで斬りつけられ、打ちのめされ続けたのだった――
――死闘が終わり、ノワールは気を失ったふりをして床に横たわっていた。
ブランは魔力の過剰放出で早々に昏倒し、ジュリアは血みどろになって倒れ伏した。
勇者もまた満身創痍に追い込まれ、魔王ガンダルフに首元を捕まれて、高々と持ち上げられてもがき苦しんでいた。
「げふっ……がはっ……! ……ちくしょう……! 最初から罠だったんだな……ドワーフのクソ共め、俺達をハメやがったな……!」
「『最初は』罠ではなかったと言っておこう。余は彼らに忠実な臣民であることを思い出させ、その忠誠を示させたに過ぎぬ」
いやに遠回しな表現だが、言わんとすることはノワールにも理解できた。
要するに救援要請そのものは本物だったが、自分達が到着する前に魔王に察知されていたわけだ。
ドワーフ達は罪の免除と引き換えに、勇者一行を魔王城に誘い込むための演技をしていたのだ。
やはりファルコンは欲を出すべきではなかった。
本来の指示通りに『偵察』に徹していれば、こんなことにはならなかったに違いない。
大事な局面で優先順位を見誤ったことが、この破滅的な結果を招いてしまったのだ。
「しかし解せぬな」
「ぐはっ……!」
魔王ガンダルフは無造作に勇者を床に叩きつけ、真っ二つになった勇者の剣を拾い上げた。
「この剣は最新鋭のゴーレムすらも容易に斬り裂いていたはずだ。それが何故、アウストリと打ち合った途端に折れたのだ」
「陛下、わたくしが解析してみましょう」
「任せよう、ノルズリ」
ダークエルフの戦士が剣を握ってスキルを発動させると、剣が折れた原因がすぐに判明した。
「分かりました。この剣、兵達との戦いで幾度となく破損していたようです。その度にレベルの低い【修復】スキルで取り繕ったようですが、アウストリと打ち合った際に限界を迎えたのでしょう」
それを聞いた瞬間、ファルコンが血塗れの顔を上げた。
「ふざけるな! 俺のレベルが低かったから負けただって!? そんなわけるか! 『あいつ』がいたら負けなかったっていうのか! そんなこと! 認められるかぁ!」
「うわ言だ。連れて行け」
無常にも勇者はモノのように引きずられて、玉座の間から連れ出されてしまった。
勇者が叫んでいた『アイツ』とは、白狼の森のルークのことだろう。
ただ一つのスキルしか使えない三流のEランク冒険者だったが、そのスキルに限っては勇者を上回っていた。
もしも彼を置き去りにしていなければ、武器を万全の状態に保てていて、魔王を倒すことができただろうか。
あるいは、非戦闘員を連れ歩くデメリットが大きくて、もっと早くに敗れ去っていただろうか。
ノワールには分からなかった。
もはや冷静な思考を働かせる余裕すらなかった。
「さて、こやつらにも戒めをくれてやらねばな。久々にあれを使うか」
魔王ガンダルフが囁くように呪文を唱えると、褐色の霧のようなものが周囲を包み込み、ノワールの背中に激痛が走った。
「あ、ぐうううっ!」
「ほう? まだ意識があったか。苦痛を味わいたくなければ大人しくしているがいい。その呪詛は、人間ごときに打ち消せるものではないのだからな」
その後、勇者を除く三人は地下の大きな牢獄に幽閉された。
閉じ込められる以上のことはされず、食料も体を動かす自由も与えられていたが、それだけでも苦痛を感じるには充分だった。
背中に刻み込まれた呪印のせいか、魔力はせいぜい最大時の百分の一程度までしか回復せず、脱出の見込みは全くなかった。
――このときのノワールは、呪印の効果を魔力回復の阻害だけだと考えていた。
口封じを施されていたと気付くのはずっと後のことである――
しばらくしてジュリアが牢獄から連れ出された。
ジュリアは勇者の居場所を教えるよう騒いでいたが、聞き入れられることはなかった。
そしてジュリアは二度と戻ってこなかった。
姉妹二人だけの幽閉生活にも慣れてきた頃になって、今度はブランが牢獄から連れ出された。
ブランは泣き叫んで抵抗したが、ノワールにできることは何もなかった。
そしてブランも二度と戻ってこなかった。
やがて孤独に心が折れそうになったとき、遂にノワールが牢獄から連れ出された。
ノワールは抵抗することなく地上階へ連れ出され――
――そのとき、凄まじい衝撃が魔王城を揺るがした。
城内が大混乱に陥り、ノワールを連行していた兵士も大慌てで持ち場を離れた。
反射的に、ノワールはその隙を突いて逃走を図っていた。
混乱に乗じて城を脱出してドワーフの町に潜伏するも、すぐに兵士が街中に配備されたため、弱った脚に鞭を打って地下空間の荒野へ逃げ出すしかなかった。
それ以降は何故か追っ手がやって来なかった。
ノワールは誰にも追われることなく、ドラゴンから必死に姿を隠しながら、一階層上の迷宮へ通じる扉を目指した。
「……嘘……」
遥か遠方に扉が見えたとき、ノワールは追っ手が来なかった理由を理解し、そして絶望した。
扉の周りには兵士が配置され、簡素な拠点が構築されていた。
あんなもの、ここに来るときは影も形もなかった。
――ああ、簡単な理屈だ。
地上へ続く唯一の扉を封鎖してしまえば、わざわざ追っ手を放って探させる必要はない。
荒野をさまよって野垂れ死ぬか、ドラゴンの餌食になるか、強行突破を図って捕らえられるか。
いずれにせよ、ノワールの末路は決まったようなものであった。
「助けて……助けて……誰か、誰か、誰か……」
うわ言のように繰り返しながら、ノワールはドラゴンが飛び交う荒野へと引き返した。
絞りカス同然の魔力では、姿を隠す魔法を維持するのにも限界があった。
ドラゴンの羽ばたきの風を浴びただけでも、それに含まれる魔力によって、薄っぺらい魔法が吹き飛ばされてしまうだろう。
「……あれ、は……」
いよいよ正気を失いそうになった寸前、ノワールは地下空間の片隅で起きていた異変に気がついた。
行きがけに見かけた巨大な扉。
それが何故か開け放たれ、巨大な穴がぽっかりと口を開けていた。
扉が開いていた理由は知らない。どこに繋がる穴かも分からない。
しかし、これにすがる以外に手段はないのだと直感した。
ノワールは細い体に残された力を振り絞り、扉の向こうにあった急傾斜の坂を必死に登った。
無我夢中で登って登って登り続けた。
やがて斜面が終わり、平坦な場所に出て、洞窟の先に光を見た。
地上だ――! ノワールは根拠もなくそう信じ込んで光に向かって駆け出した。
――その先が断崖絶壁であることなど考えもせずに。
…………。
体中が痛かった。
…………。
すぐに、崖から落ちてしまったのだと理解した。
…………。
折れてしまった脚が吐きそうになるほど痛かった。
…………。
自分はここで死ぬのだと理解した。
…………。
「大丈夫か! 悪い、ガーネット! ここで待っててくれ!」
「おう! 行って来い!」
全てを諦めかけたそのとき、誰かが駆け寄ってくる気配がした。
体に残った力を振り絞って顔をあげると、そこにいたのは、二度と出会うことはないと思っていた、あの――