第25話 悪辣なる者の気配
ノワールを休ませていた部屋に到着するなり、フェリックスはベッドの縁にノワールを座らせ、その正面に椅子を持ってきて腰を下ろした。
俺も当事者ということで同席しているが、精神的に不安定なノワールを刺激しないように、ひとまずは部屋の隅から様子を見ておくことにする。
そして同席者がもうひとり。女性の立ち会いがあった方がいいというフェリックスの要請で、サクラもこの場に同席している。
「銀翼騎士団のフェリックスと申します。我々は国王陛下から命を受け、勇者ファルコン未帰還の原因を調査しています。お話を聞かせていただけますか?」
「…………」
ノワールは俯いたまま口を閉ざしている。
「ご安心ください。真相究明の糸口となるのであれば、どのような事情があったとしても、貴女が罰せられることはないでしょう。国王陛下もそうお考えです」
どうやらフェリックスは、ノワールが他言できない事情を抱えているのではと考えたらしい。
しかしノワールは首を横に振った。
ここに来て初めての意思表示だった。
フェリックスの考えに対して『そうではない』と訴えているのか。
だとしたら、一体どうして事情を話そうとしないのだろう。
俺の苛立ちとフェリックスの困惑を敏感に感じ取ったのか、ノワールは今にも消え入りそうな声でぽつりと呟いた。
「……背中を……見て欲しい……」
「背中? ここへ運ぶときに見た限りでは、特に異常はないようでしたが」
「そうか、服越しじゃ意味がないんだな。サクラ。悪いけどノワールの服を脱がせて背中の状態を確かめてくれ」
心当たりは一つだけある。
断崖の下で彼女を見つけたとき、ノワールは何か重要なことを喋ろうとしたものの、唐突に痙攣して意識を失ってしまった。
その原因、あるいは原因の手がかりが背中にあるんじゃないだろうか。
「分かりました。失礼します」
フェリックスがきつく目を閉じ、俺が部屋の隅に視線を固定している間に、サクラがノワールの服を脱がせて背中の様子を確かめる。
「これは……! ルーク殿! フェリックス殿! これを見てください!」
焦りに満ちたサクラの声は、事態の異様さをはっきりと物語っていた。
俺とフェリックスは揃ってノワールに視線を向け、そして揃って言葉を失った。
ノワールの背中に奇妙な模様が浮かび上がっている。
まるで、何かの紋章を象った焼印でも入れられたかのようだ。
「これはまさか……魔族の呪印……?」
フェリックスが信じられないものを見たかのような顔で呟く。
「現物を目にするのは初めてですが、書物での知識ならあります。魔族が他者を隷属させるために用いるとされる、魔法の文様です」
「……なるほど。俺も噂で聞いたことがあります」
「この模様の意味は恐らく……特定の情報の伝達禁止。いわば口封じの呪印です」
もはや答えが出たも同然だ。
ノワールは魔王討伐のために潜ったダンジョンの奥で、魔族に呪印を刻み込まれて、そこで得た秘密を喋れないようにされてしまったのだ。
もしかしたら筆談すらも封じられているのかもしれない。
そうでなければとっくに試しているだろう。
「……ルーク殿。一つ不躾なお願いがあります。貴方の【修復】スキルで呪印を除去してはいただけないでしょうか」
フェリックスは俺の反応を窺いながら、そんなことを口にした。
「ルーク殿にとっては許しがたい人物かもしれません。ですが、一刻も早く彼女から情報を引き出さないわけにはいかないのです。もちろん充分な報酬をお支払いいたします」
「本職の解呪師を呼ぶっていう選択肢は?」
俺は内心をなるべく顔に出さないようにしながら、努めて冷静な態度で聞き返した。
「その場合、解呪師が到着するまでに時間が掛かってしまいます。万が一、勇者未帰還の裏に重大な問題が潜んでいた場合、その数日が致命的な結果を生む危険もあるでしょう」
恐らくノワールは、ドラゴンが出てきたと思われる大穴から転がり落ちてきた。
魔王を目指してダンジョンを潜っていた勇者パーティの一員が、あの大穴から地上に戻ってきた――これが意味することは唯一つ。
『日時計の森』には『奈落の千年回廊』へ通じる隠しルートだけでなく、更にその先へのショートカットも存在しており、それがドラゴンの大穴だったということだ。
「……ノワール。お前にはまだ説明してなかったが、俺の【修復】スキルは迷宮でさまよっている間に変化して、モノを分解したり生物を治したりできるようになったんだ」
部屋の隅の椅子から立ち上がり、ゆっくりとベッドの方へ歩いていく。
「分かるか? 俺は確かにお前の背中を治せるかもしれないが、お前の体をぶち壊すこともできるんだ。呪印もろともに背中の皮を破壊する――とかな」
裸の背中を向けたままのノワールが、剥き出しの肩をガタガタと震わせる。
あれは寒さではなく怯えから来る震えだ。
よく聞けば、がちがちと歯の根が合わない音も聞こえてくる。
手酷く復讐されても仕方がないという自覚があって、自分達の所業への報いに怯えているのだ。
大きな胸を隠すように体を抱いていた手が、二の腕をきつく握り締めて跡を残す。
呼吸もどんどん乱れ、上手く息を吸えていないようにも見える。
「食い物もなしに迷宮で放逐された奴が、その実行犯にどんな感情を抱くのか。再会したらどんな目に遭わせてやりたいと思っているのか。ちゃんと理解できてるから、さっきはあんなに謝っていたんだろ?」
「ルーク殿……!」
サクラが何か言おうとして立ち上がろうとしたが、俺は手振りでそれを制して言葉を続けた。
「まぁ……覚悟はしておけよ」
震えるノワールの背中に手を押し付けて魔力を注ぎ込む。
次の瞬間――
「なっ……!」
「あぐうううっ……!」
ノワールが苦悶の声を上げる。
同時に、崩れかけた呪紋の一部がノワールの体表から剥がれ、まるで食虫植物の蔦や不定形生物の触手のように、俺の右腕に絡みついてきた。
右腕に激痛が走り、【修復】スキルの力が急激に弱くなっていく。
「こいつ……生きてやがる! 焼印なんかじゃない! 火傷の痕に擬態して貼り付いてやがったのか!」
ミミック――冒険者なら誰もが知る名前が脳裏を過ぎる。
宝箱や迷宮の内壁に擬態するタイプの魔物。
こんな擬態をするタイプは見たことも聞いたこともないが、触手の形は擬態された宝箱から出てくるモノとよく似ている。
「俺の魔力を吸い上げてるのか……! させるかよっ!」
左手で右腕を掴み、こちら側の手でも【修復】を発動させて、両手で同時にミミックの【分解】を試みる。
ノワールの背中を右手で。そして右腕を左手で。
【修復】スキルの二重発動にありったけの魔力を注ぎ込んでいく。
周りの連中が俺達に呼びかけてきているが、言葉の内容がまるで耳に入らない。
「(ミミックを呪印に擬態させて、呪印の効果とミミック自身の能力の二段構えで封印を組んでいたわけか……こいつを仕込んだ奴はとんでもなく悪辣だな!)」
呪印による口封じ。ミミックによる魔力封じ。
これではノワールのような魔法使いは完全に無力化されてしまう。
結果論だが、解呪師を呼ばなくて正解だった。
きっとミミックからの攻撃には対応できなかったことだろう。
「おおおおおおっ!」
弱り始めた呪印ミミックを、ノワールの背中から力尽くで引き剥がす。
そして、右手に渾身の魔力を込めて握り締めた。
「これで……どうだ!」
「ピギイイイイイイッ!」
どこから発声しているのかも分からない断末魔が部屋に響き、呪印ミミックがバラバラになって弾け飛ぶ。
後に残ったのは、傷一つない白く綺麗なノワールの背中と、触手の跡に沿って焼け爛れた俺の右腕だけだった。
「……よし。我ながら完璧な仕上がりだ」
ほっとした様子のサクラとフェリックスの視線を浴びながら、自分の右腕のダメージを【修復】する。
長く冒険者稼業を続けるコツは、優先順位を見誤らないことだ。
目の前の利益に囚われて、もっと大事なものを失ってしまったら笑い話にもならない。
そして今は、ノワール相手に勇者パーティへの恨みをぶつけて溜飲を下げるよりも、この町に迫っているかもしれない危機の情報を掴むことが最優先。
流れ者同然の俺を受け入れ、頼りにしてくれているグリーンホロウ・タウンのために動く方がずっと大切だ。
それにやはり、他人に顔向けできないようなことはやりたくはない。
相手が勇者本人ならそうも言っていられなかったが、元から恨みの薄いノワール相手なら、きちんと治してきちんと話を聞き出す方がメリットが大きいのだ。
……だけどまぁ、少しくらい脅しつける程度は許容範囲だったと思う。
優先順位の低い方を諦めるのは大切だが、そのときに気持ちの整理をつけるのも同じくらいに大切なのだから。
「起きろよ、ノワール。知ってること、洗いざらい全部話してもらうぞ」
次回からいよいよ勇者パーティ未帰還の顛末が判明します。
(長くなったら前後編になるかもしれません)