第22話 ルークとガーネット
壊れた鎧の隙間から覗くガーネットの胸が、小さく上下している。
肉体を【修復】したことで呼吸が落ち着いてきたようだ。
「良かった……間に合ったか……」
それにしても、まさかガーネットの全身甲冑の下にこんな秘密が隠されていただなんて。
騎士だからと先入観に囚われていた。
思えば、
そのとき、崩れかけた土壁の向こうでドラゴンの咆哮が響き渡り、猛烈な地響きが草原を揺らした。
衝撃で土壁の一部が崩落し、乾ききった土がバラバラと降り注いでくる。
「うおっ! くそっ、最期の力を振り絞って大暴れしてやがる。もう少しで討伐できるとは思うんだが……巻き込まれないうちに、ここから離脱した方が良さそうだな」
ドラゴン退治はサクラ達三人に任せるしかない。
俺は気を失ったままのガーネットを抱き上げようとして、その重量に挫けそうになった。
「重っ……!」
当然だ。少女とはいえ人間一人分の体重に、全身を覆う板金鎧の質量が加算されている。
可能な限り軽く見積もっても、俺より大柄な男並みの重量になっているはずだ。
全身甲冑は世間で言われているより重くない――というのは、着用している張本人の主観に過ぎない。
あくまで重みが全身に分散しているから平気なのであって、他人が抱える場合は数字そのままの重量が襲いかかってくる。
しかも、気絶して脱力した人間は持ち上げ難く、非常に重たく感じてしまう。
これら全ての要因が合わさったせいで、ガーネットを抱き上げるという行為の難易度が跳ね上がってしまっていた。
「確かこういうときは……こう抱え上げれば……」
どうにかガーネットの身体を起こし、うつ伏せの状態で肩に担ぎ上げる。
この状態で、右腕を使ってガーネットの片脚と片腕を同時に抱え込んでやれば、意識のない人間を比較的マシに運ぶことができる。
かつて冒険を共にした奴が、気絶した仲間をこうやって運んでいたのを何度か見たことがあった。
「くっ……これでもまだ重いな……。いっそ鎧を【分解】すれば……いやでも、この手の鎧は凄まじく高いっていうしな……」
小市民的なことを気にしながら森に逃げ込み、ここへ来るときに通ったルートを逆に走り続ける。
その途中でガーネットが意識を取り戻し、ばたばたと暴れだした。
「うわっ! 何だこれ! オレどうなってんだ!?」
「暴れんな馬鹿! ……ぐえっ!」
ガーネットを担いだまま思いっきりすっ転ぶ。
「……そうだ、ドラゴン! あんにゃろ、よくもやりやがったな!」
即座に立ち上がって駆け出そうとするガーネットだったが、数歩と走らないうちにバランスを崩して転倒した。
「ぐはっ……!」
「無理するなよ。あんなに血を流したんだぞ。立つだけでも辛いんじゃないか?」
負傷は【修復】したが、ドラゴンの爪で切り裂かれる瞬間に噴き出した大量の血液は失われたままだ。
こんな貧血状態でまともに戦えるわけがない。
流石にガーネットもそれは理解できたらしく、顔を苦々しく歪めて地面に座り込んだ。
そして身体の状態を確かめるかのように視線を落とし――
「~~~~っ!」
――声にならない声を上げた。
「あ、悪い。鎧直すの忘れてた」
「ちょ……! おま……! 見……!」
怒りなのかそれとも羞恥なのかは分からないが、ガーネットが顔を真っ赤にして睨みつけてくる。
「仕方がないだろ。鎧を後回しにしないと間に合いそうにないくらい酷かったんだから。第一、最初から
背中側から鎧に触れて【修復】を発動させる。
「これでよしっと」
俺も地面に腰を下ろして一息つく。
戦闘力を持たない俺と失血状態のガーネット……現状では二人とも戦力外だ。
討伐が終わるのを待って合流するか、あるいはすぐに地上へ戻ってギルドへの報告を急ぐか。
どちらにしても、少し休息を挟んだほうが良さそうだ。
「……」
「……」
しばらくお互いに何も喋らない時間が過ぎる。
その沈黙を破ったのはガーネットだった。
「……なぁ、白狼の。何で隠してたんだとか聞かないのか?」
「ん? そりゃあ、知られたくない事情があるから隠してるんだろ? だったら無理には聞かないさ。そもそも、騎士団のお偉いさん絡みの事情なんて、怖くて首突っ込めないしな」
笑いながらそう答えると、ガーネットは驚いた様子で
「ど、どうして分かったんだよ!」
「騎士団のお偉いさん絡みってとこか?」
だったら理由は単純だ。
「フェリックスはブラッドフォードから『副長』と呼ばれてただろ。俺だって騎士団の役職名くらいは知ってるぞ。副長は団長の補佐役でかなりの上位なんだろ?」
「…………」
「そんな副長サマが『カーマイン』とかいう人物に『命令違反として報告する』と言っていて、お前はそいつを『兄上』と呼んだんだ。つまりお前の『兄上』の『カーマイン』は騎士団団長かそれ以上の地位の人間だと考えるのが自然だ。何か間違ってるか?」
自慢じゃないが記憶力には自信がある。
小耳に挟んだ有力情報を的確に覚えておかないと、万年Eランクなんて有様で冒険者稼業を続けていくことはできなかったからだ。
「……そこまで分かっちまうのかよ」
「流石に『弟』じゃなくて『妹』だったのは予想外だけどな」
性別を見誤ったのは完全に先入観から来る思い込みだった。
やはり俺にもまだまだ未熟なところがあるらしい。
「団長の妹となると、一般人を蹴っ飛ばしても注意しにくいのかもな……とも思ってたんだが、よく考えたらあのときフェリックスはこっちを見てなかったんだな」
先程ガーネットからローキックを受けたところを、わざとらしくさすって見せる。
フェリックスとブラッドフォードは、あのときサクラからの説明を受けていたので、俺とガーネットの方に顔を向けていなかった。
もしもその瞬間を目撃していたなら、間違いなくいつものようにガーネットをきつく叱っていただろう。
「ぐっ……そ、それはだな……」
ガーネットは口ごもり、視線を左右にせわしなく動かし、金髪をがしがしとかきむしって、やがて覚悟を決めたようにまっすぐ俺を見据えた。
「あんな真似をしちまった理由はある。だけどアンタは『違った』みてぇだ」
「ミスリル密売人を憎んでる……とかいう話と関係が?」
「……! それを誰から……って、フェリックスしかいねぇよな。ブラッドフォードは本気で無口過ぎる野郎だし……」
「詳しい事情は話さなくてもいいさ。必要ならまたそのときにでも」
そう言って立ち上がろうとしたのだが、ガーネットに強く腕を引っ張られて再び地面に座らされる。
ガーネットは深く息を吸いながら顔を上げ、今度は顔を伏せながら息を吐き出し、呼吸を整えてから再び口を開いた。
「言い訳はしねぇ。ここで意地張ってたら母上に叱られちまう。白狼の。オレが悪かった。それと、傷を治してくれたことにも礼を言わせてくれ。本当に助かった」
そしてガーネットは、地面に座り込んだまま深々と頭を下げた。
失血のせいでうまく立ち上がれないのを考えれば、これがきっと彼女の精一杯なんだろう。
治療中に『後で謝らせてやる』とは言ったが、まさかこうも真っ向からされるとは思っていなかったので、戸惑って返事の言葉が出てこない。
「……意外と素直なんだな、お前。分かった。これまでのことは水に流すとしようか。俺が見たらまずいモノを見ちまったことも含めて、綺麗さっぱりとな」
「見たらまずい……? ……っ! お、お前な! それはオレが何も言わなくても忘れろよ! 綺麗さっぱり忘れろ! マジだからな!」
「は? いや、そっちの話じゃなくて……ぐわっ!?」
ガーネットが顔を赤くして怒りながら俺の肩を揺さぶる。
俺は素顔と性別のことを言っていたのだが、どうやらガーネットは違うことを連想してしまったらしい。
やたらと強い力でぐわんぐわんと揺さぶられて、記憶が物理的に転がり落ちてしまいそうな気がしたのだった。