第20話 『奈落の千年回廊』
「まさしくドラゴンの骨格……どうやら、ここでドラゴンが討ち取られたことは間違いないようですね」
白骨化したドラゴンを前にしたせいか、普段は冷静沈着なフェリックスも少しばかり興奮気味だ。
ドラゴンの骨の山の周囲には何人もの冒険者が集まっていて、目の色を変えてガリガリと骨を削っている。
小さな袋ひとつ分でも数枚の銀貨に変わる。
駆け出し冒険者にとっては貴重な収入である。
ちなみにベテラン冒険者の姿が見当たらないのは、初心者の稼ぎ場を荒らす奴は軽蔑されるという冒険者業界の暗黙の了解のためだろう。
「おい。ちょっと待てよ、フェリックス。なんかおかしくねぇか?」
フェリックスが興味深そうにドラゴンの白骨死体を眺める傍らで、ガーネットが疑念のこもった言葉を口にする。
「ドラゴン討伐は一ヶ月前って話じゃねぇか。いくら死体の一部が金になるからって、こんな馬鹿でかい死体が一ヶ月で白骨になるわけがねぇ。どう考えてもデタラメぶっこいてやがるぜ」
「いいや。ダンジョンだとこうなるんだよ」
他の騎士にも疑いを抱かれると面倒なので、すかさず否定を差し挟む。
「植物にもスキルみたいなモノがあるって話はしたよな。動物の死体を素早く分解して養分にするってのも、その一環なんだ。人間なら二、三日で白骨死体にされちまうこともあるぞ」
俺が最近経験したケースでいうと、勇者に置き去りにされた迷宮でスケルトンと化した白骨死体が好例だ。
あそこで死んだ冒険者は、発光苔の魔力的な作用で分解されて栄養になり、残った骨がスケルトンになって他の冒険者を襲うようになる。
さすがにスケルトン化が起こるダンジョンはごく一部だが、死体の急速分解は大抵のダンジョンで発生する普遍的な現象である。
もちろん、生きた動物には魔力抵抗があるので、生物がその影響をうけることはない――ごく限られた例外的なダンジョンを除いて。
「肉や内臓はそうやって無くなって、鱗や爪は冒険者に拾われて、骨や角はあんな風に削られるわけだ」
冒険者の中には、速攻でダンジョンに潜ってドラゴンの肉を切り取った奴もいるかもしれないが、全体からするとほんの一部の質量に過ぎないだろう。
「んなもん信じろってか? 適当言ってんじゃ……」
「ガーネット。それは後で冒険者ギルドに確認を取れば分かることでしょう。そもそも我々の任務には関係のないことです。度が過ぎるようならカーマイン殿に報告せざるを得ませんよ」
「……むぅ」
フェリックスに冷静な態度で言い返されて、ガーネットは押し黙った。
疑いをかけられている身としては、相手側にフェリックスのような人間がいるのがとてもありがたい。
結論ありきではなく、きちんと合理的に判断してくれるだけでも、俺の疑いを晴らす大きな力添えとなってくれる。
「マジな顔すんなよ、フェリックス。んなこと分かってるって。今のはただの雑談だぜ。なぁ、白狼の」
「まぁ……ダンジョンに潜ってる気分の悪さは紛れるかな」
「だろ?」
ガーネットが露骨に話を逸らしながら周囲を見渡す。
どうやらガーネットにとって、カーマインとかいう人物は相当な弱点のようだ。
「にしても、ドラゴンが出た場所にあんな軽装で集まるなんて、無謀というか勇敢というか。それともただの馬鹿なのかね」
「あ、ひょっとしてお前、ドラゴンが怖いからフル装備だったのか」
「んなわけあるかっ!」
「のわっ!」
鋭いローキックが俺の足にクリーンヒットした。
「痛たた……安心しろよ、あれからギルドが警戒を強めてるけど、地域一帯でのドラゴンの目撃情報は完全にゼロだからな。ワイバーンの一匹すらいなかったそうだぞ」
「違うっつってんだろ! 怖いわけねーだろ! 舐めんなクソが!」
そんな具合に大した意味のない雑談を続けながら、今日の目的地を目指して広場を離れる。
ここからはサクラではなく俺が道案内をすることになる。
行き先は大樹の根本に開いた穴。
俺が『奈落の千年回廊』から脱出したときに通ってきた階段だ。
暗い階段を降りていくと、短い廊下のようなスペースに出て、すぐに迷宮の壁と同じ質感の行き止まりにぶち当たる。
「この壁の向こうが『奈落の千年回廊』です」
「分かりました。ガーネット、まずは強度を確かめてみましょう」
「おう。ぶっ壊せたら偽物ってことだからな。覚悟してろよ、白狼の」
フェリックスからの指示を受け、ガーネットが短い廊下の奥に移動して、何やら準備運動のような動作を始めた。
全身甲冑の動く音が狭い空間にガシャガシャと響く。
「行くぜ! スキル発動ッ!」
ガーネットは凄まじい勢いで廊下を駆けて助走をつけ、目にも留まらぬ速度で行き止まりの壁に前蹴りを叩き込んだ。
突風と衝撃が狭い地下空間を揺るがす。
高速移動系――あるいは身体強化によるゴリ押しの超加速か。
もしも人間相手に放たれていたら、全身甲冑を装着していようとぺしゃんこに蹴り潰していたであろう、強力無比な一撃だった。
「……ちっ」
ガーネットが苦々しく舌打ちをする。
甲冑に覆われた足が除けられ、壁の表面に円形のヒビとへこみが生じているのが見えた。
しかしそれらの損傷はあっという間に塞がっていき、一秒と掛からず元に戻ってしまった。
『奈落の千年回廊』の壁が勇者ですら破壊できなかった理由の一つが、これである。
「どうでしたか?」
「石っぽいのは表面だけだな。内側は金属の塊みてぇだ。めちゃくちゃ硬ぇし、多少ヘコんでも表面もろとも直りやがる。勇者でも壊せねぇわけだぜ」
俺が【分解】したときと同じ分析をすらすらと口にされ、内心で少し驚いた。
ガーネットのことは、態度や言葉遣いのせいでチンピラのように感じていたが、やはり騎士らしい知識や教養も相応に備えているようだ。
「フェリックス。ミスリルってのは壊れても勝手に直る代物なのか?」
「まさか。恐らく迷宮に魔法が掛けられているのでしょう。魔力は地脈から汲み上げられますし、ミスリルは魔力との親和性が高いので効果も持続年数も向上します」
「ふん。どこの誰が造ったのか知らねぇが、ご苦労なこった」
ガーネットが再び後ろに下がり、フルフェイスの兜を被った顔を動かして、俺に壁の方へ行くよう要求する。
どうやら今度は俺の番ということらしい。
「……あんまり長居したくないんで、手早く済ませますよ」
壁に手を置き、スキルを発動させて魔力を注ぎ込む。
すると以前もそうなったように、迷宮の壁が細かな破片に【分解】された。
「うおっ!?」
「迷宮の壁がこうも容易く……」
驚くフェリックス達を尻目に、あらかじめ持ってきておいたナイフと迷宮の壁の破片を【合成】する。
「店で売っている白銀の剣はこうやって作ったものです。ミスリルがどうとか全く分かりませんでしたよ。現物を見たことすらありませんでしたし」
「なるほど……ブラッドフォード、破片の回収を。それとルーク殿、できればドラゴン殺しの剣の素材にした壁からも、サンプルを回収させて頂きたいのですが」
うっ、と思わず口ごもってしまう。
かつての経験のせいで、迷宮の奥へ踏み込むことに凄まじい嫌悪感があった。
「どうしても必要ですか?」
「はい。この迷宮の壁全てがミスリル製である保証はどこにもありません。先程のサンプルもそうです。確実な証拠とするためには複数地点からの採集が必要不可欠です」
「……わ、分かりましたよ」
逃げたがる足に気合いを入れて、更に壁を【分解】していく。
脱出時に直した壁の枚数だけ【分解】を繰り返し、見覚えのある白骨死体のところにたどり着く。
「ここです。さっさと回収して地上に戻りましょう」
「お、何だお前、ビビってんのか?」
「置き去りにして同じ目に遭わせてやろうか?」
ガーネットが兜越しでもニヤニヤ笑いが透けて見える態度で顔を近付けてきたが、俺の方は
今回ばかりは軽口に軽口で返す余裕はない。
「止めなさい、ガーネット。ルーク殿、回収は終わりましたから、そろそろ探索を切り上げましょう」
フェリックスの仕切りでその場を収め、大急ぎで階段を登って『日時計の森』の第五階層に戻る。
もちろん、途中で壁を【修復】しておくことも忘れない。
「ふぅ……やっと終わった……」
「あー、暗くて狭くて気が滅入るっ!」
「そんなところで半月もさまよってた俺の気持ち、少しは理解してもらいたいもんだ」
「鎧の中まで砂っぽい気がしてくるな。さっさと宿に戻って着替えてぇぜ」
ガーネットは俺の愚痴を聞き流し、金属鎧を鳴らしてぐっと伸びをすると、一人で先に歩き出した。
俺達もその後を追い、ドラゴンの白骨死体のある開けた場所まで差し掛かる。
「フェリックス殿。せっかくですから、記念に竜骨を持ち帰ってはいかがですか?」
「ああ、いいですね。喜ぶ騎士は多そうです。少々分けて頂いて、部下への土産にしましょう」
サクラが何気なくそんな提案をしたので、フェリックスとブラッドフォードが歩みを緩める。
しかしガーネットは、振り返りもせずにそのまま歩き続けていった。
「勝手にしてろ。オレは先に戻ってるからな」
直後、進行方向上の木々が弾けるように吹き飛んだ。
吹き抜ける暴風。落雷のような咆哮。
誰もまともな反応ができないうちに、ドラゴンが目障りな小石を払うかのように前脚を振るう。
巨大すぎる爪が間近にいたガーネットの肉体をかすめ、紙切れのように吹き飛ばす。
弾かれるように脱げた兜が、大きな弧を描いて俺の足元に転がり落ちた。
その兜は前面が深々と抉られ、生々しい血糊がべっとりとこびりついていた。