第6話 『日時計の森』
――冒険者になってかれこれ十五年経つが、俺は一度も故郷に帰っていない。
両親の反対を押し切って家を飛び出して、それっきりだった。
親父は、お前には冒険者なんて無理だと怒鳴っていた。
あのときは全力で反発したけれど、結果はこの様だ。
お袋は、いつでも帰って来ていいと言っていた。
どの面下げて帰れというんだ。情けないにも程がある。
「(これから……どうしたもんかな……)」
故郷に帰るつもりはない。
けれど、冒険者を続けるのかと考えても、すぐにイエスと答えることができなかった。
狭くて薄暗い迷宮で、餓えと渇きと孤独に苦しみながら、命の危険に晒され続けた二週間。
一生消えないであろう悪夢の記憶が、冒険者稼業への復帰に二の足を踏ませていた。
「おまたせしましたっ!」
そんな事を漠然と考えていると、滑り込むような勢いでシルヴィアが戻ってきた。
「ただの麦粥なんですけど、断食してたなら最初はこういうのがいいって、お母さんが」
「……助かる」
絶食が続いた直後にいきなり暴食すると、それが原因で死んでしまう。
理屈までは知らないが、その瞬間を目撃してしまったことならある。
「…………」
味気ないシンプルな麦粥が腹の底に染み渡る。
麦粥を美味いと思ったのは生まれて初めてだった。
シルヴィアに見られているのも忘れて、黙々と腹を満たし続ける。
「それにしても、あのときはほんとにビックリしましたよ。まさかダンジョンの一番底で、誰かが助けに来てくれるなんて……」
「……ダンジョンの底? ダンジョンの前じゃなくてか?」
「底ですよね? 第五階層でしたから」
「は?」
「え?」
明らかに話が噛み合っていない気がする。
俺は迷宮から脱出した直後にシルヴィア達を見つけたはずだ。
ダンジョンの底だなんてありえない。
けれど、シルヴィアが冗談を言っているようには思えなかった。
「……えっとだな。妙な質問かもしれないんだが、俺達が遭遇した場所はなんていうダンジョンだったんだ?」
「Eランクダンジョンの『日時計の森』ですよね? ほら、あそこに飾ってある絵のダンジョンですよ」
シルヴィアは壁に飾ってある額縁を指さした。
額縁にはダンジョンをかなり簡略化した絵が収められている。
絵の左半分には、五重の丸。
どうやらダンジョンを上から見た図のようだ。
絵の右半分には、斜面が階段状で底が平らな逆三角形。
こちらはダンジョンの断面図らしい。
すり鉢型、あるいは円形劇場と同じ形とでも言うべきだろうか。
「ああ……なるほど。開放型のダンジョンだったのか」
開放型とはダンジョンの形状分類の一つだ。
普通のダンジョンは出入り口を除いて外界と遮断されているが、開放型はそうではない。
いわば、ダンジョン内部が外気と太陽に直接さらされる『吹き抜け』構造なのだ。
つまり階段の先にあった森は、地上ではなく別のダンジョンの最下層に広がっていたのである。
「(てことは、『奈落の千年回廊』と『日時計の森』が階段で繋がってたってことだよな。ダンジョン同士が地下で繋がってるなんて、珍しいこともあるもんだ)」
キャリアだけは長いので、冒険者業界やダンジョンに関してはそれなりに詳しいつもりだが、知らないことはまだまだたくさんある。
世の中には、下っ端には知らされていない情報だって普通にあるはずだ。
「私達が『日時計の森』に行ったのは、おばあちゃんの薬に使う薬草を摘んでくるためだったんです」
「薬草を? 素人がダンジョンに潜るなんて、どう考えても危ないだろ。誰も止めなかったのか」
そう言うと、シルヴィアは不服そうに反論してきた。
「『日時計の森』は去年ダンジョン認定を受けたばかりなんです。私達は昔から普通に野草や薬草を取りに行ってましたよ」
「む……開放型ダンジョンは気付かれにくいっていうからな」
王宮がダンジョンを認定する基準は主に二つ。
一つ。魔獣を中心とした生態系が成立していること。
一つ。周辺の地表よりも相対的に低い位置にあること。
なので『日時計の森』のような、天井のないすり鉢状の地形であっても、ダンジョンとしての条件を問題なく満たすわけだ。
「けどダンジョン認定を受けたってことは、魔獣がいるんだろう? 現にドラゴンだっていたわけだから……」
「あんなのがいるなんて知りませんでしたよ! ギルドハウスの危険情報にも出てませんでしたし!」
シルヴィアに強い口調で反論され、俺は驚きに目を丸くした。
その理由は想定外にも程がある。
「……ギルドハウスも把握してなかったのか? あんなデカブツを?」
「本当です! ギルドの人に報告したらすっごく驚いてました!」
冒険者ギルドは各地に大小様々な出張所を保有する。
規模も様式も様々で、宿屋や酒場と一緒になっているものもあれば、独立した建物を持っていることもある。
そういった施設のうち、特に重要で大規模なものが『ギルド支部』と呼ばれる。
一方で、町や村レベルの出張所のことは『ギルドハウス』と呼ばれるのだ。
ギルドハウスの主な仕事は、周辺住民からの依頼の斡旋や、ダンジョンで入手した素材の換金だ。
しかしそればかりが役目ではない。
冒険者を通じて得た様々な情報を周辺住民に提供することも、ギルドハウスの大事な役割の一つである。
町や村からは情報料が支払われることになっており、地方のギルドハウスの重要な安定収入となっている。
だからこそ、ギルドハウスが危険情報の提供に手抜きをするとは考えにくい。
「ギルドが知らなかったならしょうがないな。責めるような言い方して悪かった」
「気にしないでください。私達を心配してくれたんですよね。でも本当に、普段は小動物みたいな魔物しかいなかったんです」
魔獣と一口に言っても性質は様々だ。
ドラゴンやフェンリルウルフのような強大極まりない奴もいれば、普通の狼に食い殺される程度の奴もいる。
弱い魔獣なら、専門家が調べるまで普通の動物と思われていてもおかしくはない。
「それで、おじさまは……えっと、その前に。お名前はなんていうんですか? 私はシルヴィアっていいます。春の若葉亭のシルヴィアです」
「……ルークだ。白狼の森のルーク」
俺達みたいな平民は貴族と違って『家名』を持たない。
地元なら名前だけで呼んだり、誰々の息子の何とか君みたいな呼び方で事足りる。
それ以外のシチュエーションでは、さっきのように故郷の地名や商売上の屋号を添えるのが一般的だ。
例えばシルヴィアの場合、町の外では『日時計の森のシルヴィア』と名乗ったりもするのだろう。
「ルークさんはどうしてダンジョンに……あれ? 寝ちゃった……」
麦粥を食べ終わって早々に、俺はベッドの上で目を閉じていた。
シルヴィアには悪いが、これ以上は意識を保っている余裕がない。
一秒でも早く体を休めろと本能が訴えている。
眠りに落ちる寸前、シルヴィアの柔らかな声が耳に届いた。
「ありがとうございます、ルークさん」
投稿開始のスタートダッシュは以上になります。
脱出完了&安全地帯の到達までは一気にいきたいなと思い、こういう形になりました。
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