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【19-12】新天地・杭州で研究室開設

2019年9月26日

髙畑 亨

髙畑 亨: 浙江大学 システム神経・認知科学研究所 教授

略歴

兵庫県神戸市出身。2005年総合研究大学院大学で基礎生物学の博士号取得。2008年からバンダービルト大学心理学研究科でポスドク研究員。2014年11月より現職。霊長類大脳皮質進化の原因となった遺伝子・細胞メカニズムの解明を目指す。

 私はアメリカポスドク留学を始めて4年以上経った2012年夏ごろから独立PI(研究室を運営する代表者)としてのポジションを得るべく就職活動を開始しました。ただ、そういったポジションを得るような研究者は、東大やMIT等超有名大学の出身で、Nature等超有名ジャーナルに論文を複数持っていて・・・というような人ばかりなので、どちらも無い私には大変難しい就職活動でした。

 しかし、当時バンダービルト大学で私がいた研究室のお隣で教授をしていた知り合いの中国系アメリカ人のAnna W. Roeという先生が、「今度中国の大学で霊長類のシステム神経科学の研究所を新設して、PIを15人ぐらい雇用することになったのだけれど、Toruも応募してみてはどうか」と誘って頂き、実際に応募して採用に至りました。私の研究業績だけではなく、普段の私の研究への取り組みやプレゼン、論文抄読会主催などの活動を見て評価してもらえたようでした。

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写真1:筆者と筆者のデスク。オフィス内には熱帯魚や観葉植物など自分の趣味で柔らかい彩りをつけています(もちろん自費で)。

 私は大学院生の頃から一貫して「人という種は他の動物とは何が違っていて、その違いは進化的にどのようにして生まれたのか」という命題に自分なりの解答を導きたいと思い、研究を続けております。現在では、「視床から発せられる何らかのシグナル分子が、霊長類特有の大脳皮質領野形成に重要な役割を果たしているのではないか」という仮説の元、2-3の研究プロジェクトを走らせており、現在は5名の博士課程の学生、1名の修士課程の学生及び1名の秘書が私の研究室に在籍しております。

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写真2:実験室で大学院生が組織染色で使うバッファーの作り方を習っているところ。

 16m2の部屋3つが我々専用の実験スペースに、1つがオフィスとして与えられており、その他複数の共通実験スペースで研究を行っている状況です。学生・秘書たちは他の研究室のスタッフたちとともに大部屋にデスクを与えられています。

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写真3:研究室ミーティングの時に大学院生たちとケーキを分け合っているところ。大学は毎年ファカルティメンバーの誕生月にケーキのクーポン券をプレゼントしてくれます。

 比較神経解剖学が専門なので、動物はアカゲザル、リスザル、マーモセットにラットと複数種使用しています。研究所は、磁気密度7テスラのMRIスキャナーを中心に、内因性光学イメージング機器、二光子顕微鏡、電気生理記録設備、自動化蛍光顕微鏡等、最新の設備を備えており、特に所長のAnnaの専門を反映して、霊長類における脳機能イメージングに強い研究所となっています。

 私が所属していた基礎生物学研究所等、日本の多くの研究所は、「近い実験技術を使う異なる研究分野の人たちが集まっている」という印象が強かったですが、こちらは「近い研究分野で異なる実験技術を使う人たちが集まっている」という感じで、足りない技術を補うための共同研究がほぼ所内だけで済むというやり易さがあります。

 日本と比較して中国で研究室を運営する上での利点というと、人件費及び中国産製品の安さ、資金の潤沢さなどの他に、国策の「割り切りの良さ」が挙げられるかと思います。というのも、中国では発表論文の数、インパクトファクター(それぞれの科学ジャーナルの水準の高さを示す指標の数字)、被引用回数などの『数字』に執着して評価を受けることが多く、「将来どういう役に立つか」「研究所の方針に合った活動を行っているか」というような基準での評価がほとんど問題にならないということです。

 日本では昔は研究者でも終身雇用・年功序列の雇用体系でしたが、1990年代になると競争原理を多く取り入れた基礎研究が推進されました。2004年の国立大学の独立法人化後、「すぐに結果の出る研究」「医療・産業に応用できる研究」が推奨されかつ資金やポジションの獲得競争も激化し、そうすると若手の「研究離れ」が顕著になって批判を受けました。そして最近は逆に「すぐには成果の出ない研究」「役に立つかどうか分からない研究」の重要性が叫ばれ「インパクトファクター至上主義の見直し」が求められるなど、10-15年単位でいつも揺れ動いているように見えます。

 しかし中国では一貫してインパクトファクターを求められ、数字の上で国際社会上優位に立ちたい政治的意図が垣間見えますが、ある意味でそういう所が「ブレ」の無い一党政治の良さなのかも知れません。我々基礎研究者はその業績がどの国のどの大学に帰属されるかというような国際競争には関心が無く、自分の研究分野でできるだけ質の高いプロジェクトに挑戦したいと常に考えていて、中国政府の需要と利害が一致していて居場所が確保できるというわけです。

 逆に不利な点というと、第一には中国国内に自分の人脈が無さ過ぎて、学生・ポスドクや競争的資金の獲得が難しいということです。中国人の同僚を見ていると、中国人研究者の知人から大学院生やポスドクを紹介してもらって質の高いスタッフを獲得していたり、元ボスの主催する研究会に招いてもらって、そこで大型資金のグループ申請のメンバーになるように誘ってもらったりと人脈を通じて自分の基盤を拡げている様子が見られますが、私にはそういう機会はほとんどありませんでした。

 それに、競争的資金申請書のフォーマットや好まれる書き方などもよく分からず、手探りの状況です。採択された申請書例も見せてもらったことがありますが、全て中国語だし研究分野も違ってあまり参考にはなりませんでした。一応英語での申請も認められてはいますが、中国語で書いている方が好まれるそうなので、初めは自分で英語で書きそれを大学院生に中国語訳してもらうという方法を取っているのですが、最近の申請では提出直前に中国人の同僚に見てもらったところ、「中国語訳がまるでなっていない。文法的誤りも多い。このままでは内容以前に文章の稚拙さだけで落とされる」と指摘を受け、大慌てでスタッフ総動員で直してもらったということもありました。設備や試薬を買い揃えるにしても、どのメーカーのどの製品が自分たちの目的に合っているかよく分からず、聞ける人もおらず、ひとつひとつ調べるのに大変に時間と手間がかかりました。

 私生活面ではやはり不自由があります。特に医療と子供の教育という二つの問題が大きく、健康で独身ならばあまり関係ないですが、私も含めて妻子のいらっしゃる日本人研究者は、妻子を日本に残して単身赴任していたり、高い学費を払って子供をインターナショナルスクールに通わせたりしているようです。それにインターネットの規制が非常に厳しく、例えば何か調べ物をしたいと思っても日本のウィキペディアにすらアクセスできないという環境です。

 いろいろと難しい面も書きましたが、何かしらの不自由があるという点ではどの国のどのポジションでも同じだと思いますし、どうにか粘って頑張れば克服できる道というのは開けてくるもので、もし中国でチャンスをもらっているが迷っているというような人があれば、私の記事など参考にして挑戦するかどうか判断していただければと思います。中国では新しいチャレンジは好まれますし、成果を挙げた人には日本よりもずっと多くの報酬が用意されているようです。

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写真4:研究所のある大学キャンパス内の池・華家池。中国らしい風景が大切に残されています。

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