世界史の牢獄

彌永信美『幻想の東洋 オリエンタリズムの系譜』上下,ちくま学芸文庫,2005年(青土社,新装版,1996年)


前回(2月15日)も取り上げた彌永氏の著者から。ただし,この浩瀚な書物をこの小さな日記でうまく取り扱うのは困難なので,下巻に収められた付論「<近代>世界と「東洋/西洋」世界観」だけを紹介したい。
『幻想の東洋』の初版は,1987年に青土社から出版されている。サイードの『オリエンタリズム』の邦訳が刊行された数ヶ月のことである。
著者は,しかしながら,サイードの「オリエンタリズム」という用法には,当初から違和感があったという。(詳細は,前回紹介した『歴史の牢獄』に収められた「問題としてのオリエンタリズム」を参照。)

オリエンタリズム問題には二つの側面がある。その一つは,「表象する者とされる者」という二分法であり,もう一つは世界を「東と西」に分ける二分法である。前者は「支配する者とされる者」,「差別する者とされる者」,「優者と劣者」という上下関係を本来的に内在させているが,後者には,原理的にはそうした上下関係はなく,「東と西」が並列的に対置されることも可能である。」(下巻,167頁。以下,下巻という表記は省略。)

ところがサイードは,「前者の問題を集中的にとり上げて考察・批判の対象とする」。ここに著者は問題点・疑問点を指摘する。

「第一に,それは帝国主義的文化一般に対する批判とどのように違うのか。「オリエント」を強調することによって,それは他の被植民地や被侵略地域(アメリカ,アフリカやオーストラリアなど),あるいは帝国主義によってしいたげられた人々にたいする暴虐から注意をそらしてしまう結果を招きはしないか。」(167-168頁)

もちろん,オリエンタリズム批判者がこうした結果を望んでいるわけではないだろう。むしろ,オリエント表象=支配の問題点を明らかにすることにより,世界の各地で起こっている同じような問題への関心を喚起しようとしているのだと,そのように言うことだろう。

「また,それは「異文化表象」一般というより大きな問題とどのように違うのか。ある強力な文化が,周辺の異文化を侵略したり圧倒したりするとき,その主体者がそれらの異文化を表象する言説には,(みずからの罪意識を隠蔽し,その行動を正当化するために)ほとんど必然的に相手を貶める傾向,自らの「客観的」優越性と相手の劣等性を強調する傾向が顕著になるだろう。歴史の中でのヨーロッパによる(特定の時代の)オリエンタリズムの言説の特殊性を明らかにするには,他の文化による「異文化表象」の言説と比較研究する必要があるのではないか。」(168頁)

私自身は,やや酷薄なことに,こんな感想をもっていた。
ニーチェの言うように,私たちの知,認識,表象というものが詰まるところは「力への意志」(そのひとつの形態が支配への意欲)だとすれば,オリエンタリズムという特定の言説形態も,それを批判する言説形態も,結局は同じ構造の中に陥っているのではないか,ということだ。そんなことを言い出したら,何も言えなくなってしまうのかもしれないが。
著者も同じように(本当に同じかどうかは深く検討しなければならないが)指摘する。

「さらにそれより以上に重大なのは,オリエンタリズム批判の言説自体がほとんど必然的に含んでしまうある種「差別的」なトーンである。ここでは一つの例だけを挙げよう。これは磯田光一氏による竹内好批判の文章である。
竹内好のアジア観が,竹内の良心の所産であることは認めるとしても,そのアジア認識の水位は,オリエンタリズムの枠をほとんど破っていないのである。」
……どんな思想や事象であれ,「オリエンタリズムの枠をほとんど破っていない」と表されれば,それはその一言で「一刀両断」のもとに片づけられ…まさに批判にも値しないものとされてしまうのではないだろうか。」(169頁)

オリエンタリズム批判が,「オリエンタリズム」の一言で思想を片づけることの問題性を,著者は以上のように述べる。
先にも述べたニーチェの論理にしたがえば,オリエンタリズム批判もまた,批判的対象(オリエンタリズム)が有する表象の問題そのものから抜けきることができない,だから,同じような水準でものを言い合うだけのような構図に陥る,ということではないだろうか。
もちろん,現実の圧倒的な力関係の不均衡が,このような対抗図式を正当化するかもしれない。現実の問題を少しでも改善できるような言葉は,何もできない言葉よりも大切だと思う。ただ,完全無欠な言説などはないということを,つまり言説の限界を自覚しておくことも重要だと思う。


著者は本書において,サイード的なオリエンタリズム批判とは異なって,「東洋/西洋」世界観の思想史的な分析に従事するのだが,その出発点に関連して次のように述べる。

「そもそも「ヨーロッパ製」のものである「東洋/西洋」という世界の二分法にのっとりながら,あたかも「西洋」を凌駕するかのような「東洋」観念を振り回すことの[八〇年代の日本における]滑稽さが,「幻想の東洋」というモティーフを探求する最初の出発点(の一つ)だった。そのうえで…「自分の中にある,自分自身を形成しているヨーロッパ」(その「自分自身」はもちろん「極東」日本に生まれた自分でもある)を腑分けし,その起源をたずね,それを明るみに出すこと,できるかぎり白日に曝すことが,ぼくにとっての「オリエンタリズム」問題,あるいはむしろ「東洋/西洋」世界観についての問題設定だった。」(171-172頁)

実際,ヨーロッパの精神史において「「東洋/西洋」世界観」(「世界を西洋と東洋に分けて考える考え方」)は相当に根が深い。著者によればそれは,(現実の「東洋」世界を「発見」するよりもかなり前の)帝政時代のローマである。したがってその世界観は,当初より「幻想の体系」であるほかはなかったが,それはキリスト教の時間意識と結びつくことによって,「神の計画」の一環に組み入れられ,途方もない実践と結びついていくことになる。

「…「東洋/西洋」世界観には,ヨーロッパ文化──それは基本的に「ギリシア哲学とキリスト教」の混合から生まれたと言って間違いないだろう──に特有のいくつかの特徴がある。その最たるものは,空間的「遠方」が時間的過去,または未来と密接に組み合わされていることだと言うことができる。…「東洋/西洋」世界観にとって「極東」は世界の始原,または(場合によっては)世界の終末に対応する。この「始原」や「終末」の価値は場合によって逆転しうる。つまり,歴史が進歩するものであるとするなら,「始原」は「野蛮」であり,「終末」は「文明の極致」であるだろうが,逆に退歩的歴史観によるならば,「始原」は「原初の真理」に対応し,「終末」は「終末の混乱」に対応することになる。」(178頁)

ヨーロッパは,自らの時間を「今」=「どちらかと言うと終末に近い現在」として理解し,東洋を,多くは「始原」として理解する。(なぜなら,太陽は東から西へと進むから。)

「しかし,この太陽シンボリズムによる世界史の暗喩は,必ずしも最後まで一貫するわけではない。たとえば,このようにして世界史の中心が「西方」に移った今,永く忘れ去られていた「東方」が「西方」によって再び発見される時が近づいている。そして「東方」があらためて発見されたあかつきには…「世界の円環」が完成し,その時,世界は絶対的な終わりに至るのである……」(180頁)

このような「東洋/西洋」世界観に伴う終末観は,当然のことながら,キリスト教の産物である。コロンブスが航海に乗り出したのも,このようなキリスト教的「東洋/西洋」世界観による。彼らは,世界の終末に備えて大冒険の危険を冒し,そして,新大陸での大量虐殺やアジアの植民地支配へとつながる,近代の歴史の扉を開く。(その詳細は,本書の各章に記述されている。)
問題はそこにとどまらない。「東洋/西洋」世界観は,歴史の一コマにとどまるようなものではなく,その後も世界史の解釈枠組みとして残り,その影響は,遠く離れた日本人キリスト教内村鑑三や,戦中日本の「近代の超克」論にまで及ぶ。(この付論には「ヘーゲル内村鑑三・「近代の超克」思想を中心として」という副題がつけられている。)
アメリカ合衆国前大統領G.W.ブッシュの,「ならず者国家」に対する「世界の警察」アメリカという世界観に,その反映を見いだすことも容易なことだろう。
そして,今また日本はアメリカに,アフガニスタンへの関わりをめぐって,「テロとの戦い」に更に深く参画するか否かを問われている。私たちは今なお「歴史の牢獄」(2月15日)の中にあるのである。


追記:研究室の引越,ようやく完了いたしました。まだ節々の筋肉痛で悩まされておりますが,お近くの方は,是非お立ち寄りください。