今月は多くの作品がウェブ上で無料公開された。こんな時こそ読み比べてみたい「役者マンガ」を紹介する。
文 / 飯田一史
◆一人では生きていかれない、一緒に生きていくこともできない役者を描く
■『ダブル』(作:野田彩子)
本作は第23回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞した「役者マンガ」だ。
演技の世界を題材にした傑作といえば、美内すずえ『ガラスの仮面』や松浦だるま『累-かさね-』などがある。
ひとりの人間が幾つもの別人になり、周囲の演者や観客、演出家や監督との呼応によって組み立てられていく演技の世界は奥深いが、マンガで描く難しさもある。
役者が「別人」になったというスイッチが入ったこと、それにまわりが引き込まれているという説得力を、絵で表現しなければいけないからだ。
ただマンガに向いている部分もある。
どんな役にも椅子は限られており、奪い合いが生じる……つまり、勝負が発生する。
また、師弟関係やライバル、共演者など、多様な関係性を軸に話が作れる。しかも老若男女幅広く登場させることができ、ドラマが作れる。
そして、マンガで演技の世界を描くことが本当の演劇や映画での演技と決定的に異なるのは、「時間を止められる」ということだ。舞台にしろ映像にしろ、実際のそれは時間とともに流れ、観客が体験した一瞬は二度と返ってこない。しかしある演技が観客を圧倒させた瞬間を、マンガでは切り取ることができる。
そういう意味では、「役者マンガ」は実際の映画・演劇とはまったく異なる魅力を持ったジャンルだと言える。
『ダブル』の主役はともに30歳の役者である宝田多家良と鴨島友仁。同じ小さな劇団に所属して7年。鴨島は自身が「世界一の役者になる」と信じる宝田のために生活をともにしし、役に「入り込む」タイプの彼が演技に集中できるように尽くす。
ひょんなことからある事務所に所属することになった宝田は、初めてのTVドラマ出演の機会を得る。ところが宝田は理屈屋の鴨島と共に練り込んだ演技プランとは異なる演出を監督に強いられて混乱し、現場からバックレようとしてしまう……。
『ダブル』がフォーカスするのは役に「入り込む」ために鴨島という決定的なパートナーを必要とする、宝田という「不器用な天才」の姿である。一方、鴨島には「天才を自分のもとで腐らせておくわけにはいかない」という思いがある。
鴨島が望むことを叶えるなら、宝田は彼から離れなければならない……こうしたジレンマが際立たせるふたりのつながりが『ダブル』の読みどころだ。
◆誰にでもなれるが、自分が何者なのかを知らない不器用な天才女優の成長物語
■『アクタージュ act-age』(原作:マツキタツヤ、漫画:宇佐崎しろ)
『アクタージュ act-age』は今後、演技ものを描きたいと思う人間がまず参照すべき作品である。
演技法の違い、師弟関係、ライバル、仲間、家族、演目と役者の相性/重ね合わせなどを巧みに組み合わせて物語を紡ぐ。
父に捨てられ、母を亡くし、幼い弟と妹のために生活費を稼がなければならない女子高生・夜凪 景は、悲しみから逃避するために膨大な量の映画に没頭するなかで「その感情と呼応する自らの過去を追体験すれば、どんな役でも演じられる」という特技を会得していた。
カンヌ・ベルリン・ヴェネツィア、世界三大映画祭すべてに入賞している気鋭の日本人映画監督・黒山墨字に発見された景。自分が何者なのか? 彼女は芝居を通じてそれを探していく。『アクタージュ』はアイデンティティ探求の物語である。
景は無人島でデスゲームを強いられた少年少女を描いた映画のオーディションを受ける。不自然な状況を簡単には受け入れずに、「本当にその場にいたら何を感じ、どう振る舞う?」ということから考える。ここは『ダブル』の宝田と似ているが、宝田は鴨島にサジェストされないと役に「入りこめない」のに対して、景は自分で「入る」。ただし「入り込みすぎる」あまり、全体を俯瞰する力がない。
そんな景のライバルとなるのが、彼女とは対照的に、ずば抜けた俯瞰能力に基づき「自分がどう見えるか」「どう見せればもっとも映えるか」を察して演じられる有名事務所所属の人気女優・百城千世子である。
黒山や、黒山に送り込まれた演劇界の重鎮・巌を師とし、時にライバル、時に仲間となる共演者たちからもさまざまなことを吸収し、景は成長していく。自分がひとりではないことに気づいていくのだ。社会性ゼロだった人間が、周囲と関係を深めていく。その少年マンガ的な部分が『アクタージュ act-age』の魅力のひとつである。
そしてもうひとつ大きな魅力は、絵の説得力である。ある人間が「別人」になりかわる瞬間、役に感情を重ね合わせて身体から発したときの迫力が、これでもかというくらい伝わってくる「瞬間の絵」の魅力。実際の演劇にも映像にもできない、「役者マンガ」のお手本のような作品である。
◆2.5次元演劇における「解釈違い」問題を俳優はいったいどうクリアするか?
■『マチネとソワレ』(作:大須賀めぐみ)
本作は一組の「役者兄弟」を軸に描く。
超人気俳優だった兄・御幸の死後、弟の誠は兄の「2号くん」としていつも比べられてきた。そんな誠が兄が死んでおらず、自分と同姓同名の人間が亡くなった並行世界に迷い込む。
「この世界では兄に勝って認められたい」という一心で、誠は映画監督志望だったヤクザを魅了してマネージャーにさせ、まっさらな謎の新人俳優として、道を突き進む。
誠の演技スタイルは、役の価値観を自分の価値観として演じられるように「自己洗脳」するというもの。言いかえると、役の価値観と自分の価値観が合わないとハマらない。ハマらないときは身近な人間の経験から、そのときの感情を獲得するしかない。ここは『アクタージュ』の景と似ている。
『マチネとソワレ』がおもしろいのは、演技ものでは定番のシェイクスピアのような古典だけでなく、2.5次元舞台の世界を描いていることだ。しかも誠がチャレンジするのは、原作の本編ではほとんど出番がないにも関わらず、二次創作で人気が出たキャラクターである。
受け手が百花繚乱の解釈を深めているなか、公式は人気が出たあとも「触らぬ神に祟りなし」と判断してか放置状態。基準となるものがない以上、誠はどう演じたとしても「解釈違い」とキャラクターのファンから叩かれかねない状況にある。これをどう乗り切るか? 演技ものでは新境地のテーマだろう。
ネタバレをギリギリ回避して言うと、誠が選んだ道はいわば「ファンの気持ちになりきる」「観客の想像の余地を残す」というものだ。これを当初のスタイルである「役と自分の価値観を重ねる」と組み合わせることで、役者として一皮むけることになる。
ちなみに、誠が目標とする兄・御幸の演技スタイルは、そのシチュエーションに入り込み、徹底的に共演者と向き合う――客をほとんど見ていない――というものだ。これは『アクタージュ』では「ダメ」と言われている方法論だが、果たして御幸の演技が今後どう評価されるのかは、この先の物語の展開次第である。
このように、「役者マンガ」はまとめて読むと、どんな演技法をよしとするのか、どんな役者をめざすのか、主人公の演技はいったい何でスイッチが入るのか、人間関係をどう絡ませていくのかの違いと類似点が浮かび上がってきて、より味わい深い。ぜひこの機会にまとめてチェックしてみてもらいたい。
いま「役者マンガ」が熱い! 読み比べるとより味わい深い、作品ごとのアプローチの違いに迫るは、WHAT's IN? tokyoへ。