夏空のシリウス

橘田(kizta)

第1話 捥がれた翼

2019年 12月14日

石川県沖 航空自衛隊G訓練空域上空 高度4200m


明かり一つなく、星すらも見えない嵐の夜。

暴風吹き荒れる雲の峰を縫うようにして、一羽の鳥が音の速さで突き抜ける。

純白の翼に、深紅の日の丸を纏った、機械仕掛けの鳥。


―飛行開発実験団所属 LT-1 高等練習機 93-8139号機

コールサイン「Mambo-Sirius139」―


 LT-1は因幡重工により開発された単発のジェット機だ。

鋭く尖った小柄な機体に大出力のエンジンを備え、良好な運動性能を誇る。

しかし元設計は60年代の物であり、旧式化は否めない。

従って、近代化改修のためにこうして飛実での試験が繰り返されている。


大粒の雨と氷片がキャノピーを容赦なく叩く。

データリンク画面によって薄緑色に照らし出されたコクピット内。

前席に座る二等空尉、天田翔と後席の一等空尉、衣笠簾は必死に機を安定させるべく奮闘していた。

その二人に、管制塔から通信が入る。

「こちら岐阜タワー。マンボ・シリウス・ワンスリーナイナー、天候の悪化が想定以上だ。予定していた装備試験は全て中止。直ちに帰投せよ。繰り返す。直ちに帰投せよ」

「マンボ・シリウス・ワンスリーナイナーより岐阜タワー。了解。予定されていた試験をキャンセル。RTB(帰投)」

後席の衣笠が応えた。

「衣笠1尉、この状況下で手動での着陸誘導は困難です。オートパイロットに切り替えましょう」

前席で機を操る天田が意見具申した。

「ネガティブ。オートよりもマニュアルの方が緊急時の対応速度が早い。いざとなれば私がオーバーライドする」

「…わかりました。何とか自力で帰投して見せます」

「ヤバそうなら早めに俺に投げろ。…岐阜は無理だ。小松に連絡する」

「了解しました。 あと40マイルで小松PAR(着陸誘導レーダー)の誘導圏に入ります」

天田はこの非常時においても着々と着陸準備を進めてゆく。

機はもう少しで小松基地のレーダー管制を受けられる距離まで帰ってきた。

小松タワーからの着陸誘導が開始され、衣笠は僅かに安堵した。


しかし、その一瞬が命取りとなった。


地面に向け、叩き付けるような突風が機を煽った。

それまで保たれていた機体の安定は脆く崩れ去り、海面が眼前に迫る。

同時に機内をアラート音が占拠した。

MFD(多用途ディスプレイ)に目をやると、真っ赤な警告表示に埋め尽くされている。

すさまじい速さで減って行くHUD(ヘッドアップディスプレイ)の高度表示を睨みながら、天田が応えた。


「高度が足りません。脱出しましょう」

「わかった。小松タワー。こちらマンボ・シリウス・ワンスリーナイナー。ベイルアウト」

「待ってください」

天田が叫んだ。反射的に衣笠は彼の目線を追う。

そこには、宝石箱をひっくり返したような、小松市街の夜景がすぐそこに迫っていた。

「あそこに落とすわけには」

天田はMFDを叩いた。

アラートと共に射出座席のステータスが変更される。

「人口密集地を避け、せめて滑走路に落とします」

衣笠は目の前の表示を見て青ざめた。

―FWD EJECTION SEAT :INACTIVE REAR EJECTION SEAT :ACTIVE―

「待て! お前…」

その言葉は天田の声に遮られた。

「1尉、どうか、ご無事で」

ロケットモータの爆発的な推力によって、衣笠は遥か上空へと打ち出される。

朦朧とする意識の中、世界が何度もひっくり返った後ようやくパラシュートが開くのが見えた。


そして次の瞬間。

小松基地の滑走路に巨大な爆炎が迸った。

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