日本学術会議の新会長に選ばれた梶田隆章氏(中央)(c)朝日新聞社 © AERA dot. 提供 日本学術会議の新会長に選ばれた梶田隆章氏(中央)(c)朝日新聞社

 菅義偉首相は、日本学術会議(以下、学術会議)の新しい会員について、学術会議が推薦した候補者(おもに大学教員)105人のうち6人を除外して任命した。これまで推薦した候補者が任命されなかったのは、2004年度の法改正で新しい選考方式が採用されてから初めてのことだった。それゆえ、大学教員など研究者のあいだに激震が走った。

 学術会議は首相のもと、政府から独立して政策の提言などを行う学者の機関であり、「学者の国会」とも呼ばれている。3年に1度、会員の半数が新たに任命される。その際、学術会議が推薦し、首相が任命する方式をとっている。

 今回任命されなかったのは、次の6人だ。

宇野重規・東京大教授(政治思想史)

岡田正則・早稲田大教授(行政法学)

小沢隆一・東京慈恵会医科大教授(憲法学)

加藤陽子・東京大教授(日本近代史)

松宮孝明・立命館大教授(刑事法学)

芦名定道・京都大教授(宗教学)

 東京大の加藤教授は次のようなコメントを発表している。

「学術会議内での推薦は早くから準備され、内閣府から首相官邸にも8月末には名簿があがっていたはずだ。それを、新組織が発足する直前に抜き打ち的に連絡してくるというのは、多くの分科会を抱え、国際会議も主催すべき学術会議会員の任務の円滑な遂行を妨害することにほかならない。欠員が生じた部会の運営が甚だしく阻害されている。(略)学問の自由という観点のみならず、学術会議の担うべき任務について、首相官邸が軽んじた点も問題視している」(「朝日新聞デジタル」2020年10月2日)

 学術会議は1949(昭和24)年、「科学が文化国家の基礎であるという確信の下、行政、産業及び国民生活に科学を反映、浸透させることを目的」として設立された。その役割は、(1)政府に対する政策提言、(2)国際的な活動、(3)科学者間ネットワークの構築、(4)科学の役割についての世論啓発、となっている。学術会議のウェブサイトには、こう書かれている。

「我が国の人文・社会科学、生命科学、理学・工学の全分野の約87万人の科学者を内外に代表する機関であり、210人の会員と約2000人の連携会員によって職務が担われています」(同会議のウェブサイトから)

 学術会議会員の所属大学ランキングを表にまとめた(2019年)。

 学術会議は時の政権に対して提言や声明を発信してきた。だが、これらをめぐって学術会議と政府が衝突することが何度かあった。

 1963年、学術会議(当時の会長は朝永振一郎)は、アメリカ原子力潜水艦日本寄港の反対声明を出した。これが、総理府総務長官(当時、以下同)を怒らせてしまう。こんなやりとりがあった。

「『行政機関のひとつである同会議がこのような反対声明を出すことは遺憾である』と反省を促したが、これに対し朝永会長は『この声明は政府への勧告を一歩すすめた形のものである』として政府の主張をいれなかったため意見の一致をみず“物別れ”の形に終った」(朝日新聞1963年5月3日)

 1974年、小坂徳三郎・総理府総務長官は「学術会議はホットな政治的問題に巻き込まれることのないよう慎んだ方がいい」と発言し、学術会議側を挑発する。野村平爾・学術会議副会長はこう述べている。

「政府の気に入った人が選ばれるのでは現在すでにいくつもある審議会と同じになってしまう。学術会議は、研究者の選挙によって選ばれ、時の政治勢力に左右されず、科学的判断に基づいて発言するところに存在意義がある」(朝日新聞1974年6月27日)

 学術会議は「左翼の集まり」という見方は政府のみならず、大学教員からもあがっていた。東京教育大、筑波大で学長を務めた三輪知雄氏はこう言い切っている。

「大学自治と称するカーテンによって閉鎖された特殊社会であり、そこを職場とする教師たちにはお坊ちゃん的な甘さがあり、独りよがりの色合いが濃く、またおしなべて反権力的である。このような環境は進歩的左翼の育つ絶好の場であって、学術会議はおもにこのようなところから送り出された人たちから成り立っている」(『赤い巨塔「学者の国会」日本学術会議の内幕』時事問題研究所 1970年)

 1980年代前半、学術会議は「核戦争の危機と核兵器廃絶」に関する声明を発表している。政府からは、相変わらず特定のイデオロギーに支配された学術会議を改革せよという意見が出ていた。

 たとえば、中山太郎・総理府総務長官はこう激しく批判している。

「学術会議の現状を病気に例えればがんだ。国権の最高機関である国会に改革案を提出して手術しなくてはならない」(朝日新聞1981年11月18日)

 1990年代以降、学術会議の声明や提言、政権との関係に関する報道が少なくなった。

 2010年代、学術会議は「学術と軍事が接近」と認識し、懸念を示している。

 たとえば、2015年に防衛装備庁が「安全保障技術研究推進制度」をスタートしたことについて、大学と“軍”の共同研究になるのでは、と大いに警戒した。

 一方で、学術会議会員からは、軍学共同を許容する意見も出始めている。大学の財政が厳しく研究費を十分に確保できないなどの理由からだが、以前ならば考えられないことである。それだけさまざまな考え方の会員が増えたということだ。

 2017年、学術会議は軍事目的のための研究を行わない旨の声明を出した。

「1950年に『戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない』旨の声明を、また1967年には同じ文言を含む『軍事目的のための科学研究を行わない声明』を発した背景には、科学者コミュニティの戦争協力への反省と、再び同様の事態が生じることへの懸念があった。近年、再び学術と軍事が接近しつつある中、われわれは、大学等の研究機関における軍事的安全保障研究、すなわち、軍事的な手段による国家の安全保障にかかわる研究が、学問の自由及び学術の健全な発展と緊張関係にあることをここに確認し、上記2つの声明を継承する」

 日本の国防を充実させたいと考える政府関係者は、当然、この声明をこころよく思っていない。

 学術会議は政権の言うことをちっとも聞かない。両者の関係の歴史を振り返ると、政権が学術会議を嫌う理由はこれに尽きよう。

 そして、2020年の任命除外問題である。

 菅政権はなぜアカデミズムに手を突っ込むようなことをしたのだろうか。

 大学教員から、学問の自由が脅かされると強く反発されるのはわかっていたはずだ。アカデミズムが権力の監視機能を持てなくなる恐れもある。学術会議と政権が常に緊張関係にあったほうが、その国の成熟度を見ることができよう。教養知、専門知を軽視する国家が発展するとは思えない。

 今回の件で、学術会議の存在を初めて知った方も多いだろう。これまで多くの声明、提言を発信してきたが、残念ながら、最近ではかつてほど話題にならなくなった。

 日本の学者は何を考えているのか、政権に対してどのような意見を持っているのかを知るためにも、学術会議の動向に注目したい。

(文/教育ジャーナリスト・小林哲夫)

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