290話 事件の前には…
ペイスが龍の卵を父親のもとに持ち込んでより一週間。
ことが事だけに、絶対に信用できる口の堅い人間のみに働きかけ、ようやく王宮への登城許可が出た。
勿論、馬鹿正直に龍の卵のことなど表に出さず、名目は別にある。
日頃領地に居る、前カドレチェク公爵が宮廷に出仕して色々と国王へ報告を行うにあたり、先の大龍討伐についての話を証人として改めて話す、という建前になっていた。
前カドレチェク公爵は詳細を知らない。ただ、どうしても国王陛下に内密に話しておかねばならないことがあるので協力してほしいと要請しただけである。
こういう時に、コネというのが活きるわけで、快く引き受けてくれたのだ。
尤も、まだまだ貴重なチョコレートを暗にねだられたというのは有ったが、ことの重要性を鑑みれば安い出費であろう。
「それじゃあ行ってくる」
新米の子爵として体裁を整えるよう、急遽誂えられた正装。
どこもかしこも刺繍やら飾りやらがふんだんに使われていて、実に派手である。
色合いは黒に近い藍色の上着と、黒のズボンがベースであり、ズボンはスラックスに近いストレートなもの。変に裾が膨らんでいたりすると動きにくいからと、軍人が好む形だ。上着は前ボタン式。子爵の位が分かるように、大きいボタンが並んでいる。勿論これも手の込んだ装飾品であり、純銀を削り込んで作った特注品だ。藍色の服装に銀の渋い光が輝く様子は、まさに動く英雄そのもの。
肩には飾緒が付いていて、勲章代わりに幾つかの略章もぶら下げてある。最近、また一つ増えているのだが、それも勿論一番端につけてある。
髪型は日頃と違いきっちりと油で固められていて、どこの映画俳優かと言いたくなるほどに様になっていた。
どこから見ても渋いイケオジ。歩く罪作りである。側室募集などやらかした日には、王都別邸は美女の行列が出来るに違いない。
背筋に一本筋が通ったような奇麗な姿勢で息子を見やる父親の姿は、一家の主として頼もしさを覚えるものだった。
「お気をつけて」
「家のことは頼むぞ、ペイス」
「任せてください!!」
元気よく答える息子に一抹の不安を覚えつつ、カセロールは王宮に向かった。
魔法で【瞬間移動】するようなことはしない。礼儀として、表通りから堂々と馬車で向かうのだ。
好奇の眼に晒されながらの登城は、王都の民の良い娯楽である。
「さて、父様が行ったところで、結果待ちですね」
ふうと一息をつくペイス。
面の皮の分厚さは人一倍のペイスであるが、やはりこの国の最高権力者に対して特大の問題事を押し付けるとなれば多少は肩に力が入る。
根回しにはペイスも動いたわけで、一区切りがついたことへの安堵があった。
「お疲れ様です若様」
「コアンも色々とありがとう」
今回の登城に際し、カセロールの傍に付いて行ったのは従士長シイツだ。
流石に、今回のような重大事の報告について、情報漏れや報告忘れが有ってはいけない。その為、問題が起きた時に領地に居て、起こりから全ての情報を知っているシイツが帯同し、カセロールを補佐することになっている。
また、貴族が城に上がるにあたり、護衛として腕利きを傍に置くのは実に自然なことであるため、腕っぷしに関しては折り紙付きのシイツを傍に付けておく方が不自然に思われないというのも理由だ。ことが事だけに、疑われる要素は少しでも少ない方が良い。
本来、【瞬間移動】を使いこなして一騎当千を地で行く、首狩り騎士とも恐れられるカセロールに護衛など、あっても無くても大して変わらない。あくまで、護衛として傍に居るのは建前である。
ちなみに、何故ペイスを連れて行かないのかというなら、護衛として傍に居ることが不自然であるという点が一つ。子供を傍に連れていては、どっちが護衛か分かったものではない。
もう一つは、今回の説明に際してペイスを連れて行くと、他のことで色々と厄介ごとに巻き込まれかねないという事情があるからだ。
というのも、今モルテールン家は人材を募集している。この総責任者はカセロールだが、実務担当はペイスである。カセロールから、文武両道の優秀な人物を採用するようにという贅沢な注文を受けており、何とか人を採用しようと動いている真っ最中。
そんな人間がのこのこ王城にいけば、宮廷雀の良いカモ。とみる人間は多い。
人を欲しがっているところの実務責任者が、良い職がないか、良い出向先が無いかと目を血走らせている有閑貴族やその子弟のうじゃうじゃいる場所に出向く。それはもう、生肉を持ってサファリパーク内を闊歩するようなものだ。十を数える間もなく取り囲まれてしまうことだろう。
何せ今はモルテールン家が大金持ちになったことが周知されているのだ。ペイスの外見を侮って近づく連中は腐るほど居るだろう。
だからこそペイスは屋敷に留めおき、剣呑な雰囲気で近寄りがたい、武闘派二人で出向くこととなったのだ。
ついでながら、ペイスが王城に行って更に妙な事件に巻き込まれては敵わないという本音も、カセロールには有った。冗談半分ではあったが、本気も半分である。ペイスが王城に出向き、トラブルが起きないと確信できるわけもない。気を抜けばすぐに問題を発生させるトラブルメーカーを、伏魔殿ともいえる王宮に連れて行けば、どんな化学反応が起きるか分かったものではない。少なくとも今は大人しくしていて欲しいと、カセロールは真に願っている。
当主と従士長が仕事で外出。王都の別邸を預かるのは、コアントローとペイスという組み合わせ。いささか珍しい組み合わせである。
「それで、これが卵…ですか」
「中々の大きさでしょう?」
「そうですね」
いざとなれば即座に王城へ運べるよう、龍の卵はペイスの手元にある。
中々に大きい上にゴツゴツしていて、ぱっと見た目は岩だ。
大き目の箱に入れられているそれを、ペイスはかなり雑に机の上に置いた。執務机はカセロールのお気に入りで、高級品だ。龍の卵を置いておく格としては問題なかろうが、それにしても不用心に過ぎる。
落としてしまわないかと不安なコアンは、ペイスに尋ねた。
「こんなところに置いておいて、大丈夫ですか? 落として割ったりすると、私の首が飛びますよ?」
散々に苦労を重ねて各所へ根回しをしたのだ。ここに来て龍の卵が割れましたとなれば、大問題である。最悪、誰かが責任を取る必要が出てくるだろうし、そうなればコアンが目に見える形で罰せられるかもしれない。
勿論、股肱の臣に辛い思いをさせるようなカセロールではないが、今ここに居るのはペイスとコアントローの二人だ。次期領主の経歴に拭い難い傷をつけるぐらいなら、自分から身代わりになるぐらいの気持ちでコアンは龍の卵を見つめる。
「大丈夫です。存外に頑丈なようですから。落としたぐらいでは割れませんよ」
少年は、重臣の懸念を無用と切って捨てた。
龍の卵を床に落とした程度であれば、何の問題も無いと請け負う。自信満々に割れないと言ってのけるペイスの言葉に、コアンは一応得心した。
「それなら安心……ん?」
しかし、そこでペイスの言葉に隠された違和感に気付く。
よく考えてもらいたい。卵というのは、生物の雛が生まれてくるものだ。力のないであろう赤ちゃんが、中から壊せないといつまでたっても生まれることがない。
つまり、卵というものはどんな種類の卵であれ、ある程度の衝撃で割れるように出来てる。理屈の上でもそうだし、一般常識的にもそうだろう。
原則割れるものであるにもかかわらず、割れないことを請け負うペイスの言葉。
おかしいではないか。
「どうかしましたか?」
「今、落としたぐらいでは割れないと言いましたよね?」
「ええ」
「そんなことを何で知ってるんです?」
ペイスは、いたずらがバレたといった感じでおどけて見せる。テヘペロとお茶らけたところで、コアンが絆されるはずもない。
「あはは……割れたことにして食べてしまえば、そのまま証拠隠滅になるかと思いましてね。こう、ガツンと」
「割ろうとしたんですか!!」
割れるかもしれないと冷や冷やしているコアンの前で、ペイスがとんでもないことを言ってのける。
割れる割れないではなく、意図的に割ろうとしたというのだ。何を考えているのかと、驚くのも当然のことだろう。
「未遂ですよ、未遂。割ろうとして金づちで叩いたり、床に叩きつけたりしたんですが、流石は龍の卵。罅すら入らない」
金づちで叩く
実際、今現在割れずに有るし、落としたぐらいでは割れることも無いと確信することが出来ているだけ意味があったと開き直る始末だ。
悪童の名も高きペイスは、いつまでたっても悪童のままである。
「聞いてませんが」
「言ってませんので。領内で内々に処理できれば最善でしたから、“見つかった時には既に割れていた”ということに出来ればよかったと。シイツには小言を貰いましたが」
大龍の卵が発見された時。
研究所長が卵であると断定するまでは、正体不明という扱いだった。見た目は丸きり鉱物であるため、多少金づちで叩いてみるぐらいなら調査の範囲内でも言い訳が効く。
所長が断定したとしても、その意見をどう判断するかはトップの仕事である。ほぼ間違いなく龍の卵であると分かっていたとして、信じる信じないは人に寄るだろう。
という言い訳を用意して、卵を割ろうとしていたのがペイスだ。
“卵だとは思わず鉱物だと判断し、調査の為に叩いてみました”というのは、一見すると合理的な判断にも見える。少なくとも、同じ立場に立った時に、そのように行動する人間は少なからず居るはず。
問題は、ペイスが龍の卵と信じていながら、尚も割ろうとしていたことだ。
当然、従士長からはこっぴどく小言を貰った。当たり前だろう。何が起こるか分からないから王家に献上してしまおうと相談していた矢先に、余計なことをやらかそうとしていたのだから。
「シイツさんはよく我慢してますね」
「新しい卵があるなら、どんな味か知りたくなるのは
「はあ」
ペイスが龍の卵を割ろうとしていた理由は幾つかある。
というより、大きな主目的と、それを正当化する言い訳が複数あるというべきか。
主目的とは、勿論卵を食べること。
ペイスの人生の目標は最高のスイーツを作ることにある。ならば、龍の卵などと言うものはその材料となり得る可能性が高い。
どんな味なのか。どんな色なのか。どんな調理が適するのか。パティシエとしての好奇心が疼いて疼いて仕方が無かったのだ。
これが一つの理由。
他にも、面倒ごとを“最初から無かったことにする”ということを目論んでいた。
ペイスは所長の見識の高さを信じている。故にこそ龍の卵と喝破した眼力を信じることにしたわけだが、他所の土地ならそんな非常識を、と信じないトップも居るだろう。
つまり、ペイスがそんな“普通のトップ”であったなら、ついうっかり割ってしまっても不思議ではないわけだ。
そして、割ってしまって食べてしまえば、物が無くなる。龍の素材が溢れている現状、殻も含めて証拠隠滅は楽勝だ。あとくされも無く、更に証拠隠滅が可能ならば、これはもう問題など最初から存在しなったとしても何ら問題がなかろう。
龍の卵がそもそも存在しなかったことになれば、カセロールには事後報告でも良い。何なら、報告も軽くで済むかもしれない。トラブルの芽は事前に摘めていたことだろう。
仮に証拠隠滅が完璧でなかったとしても大丈夫。他所のスパイにしても、まさか龍の卵を美味しく頂いてましたという報告をして、まともに受け取る人間も居まい。
食べてしまって証拠隠滅。これが一番穏便に済んでいたはずの解決法だったのにと、ペイスが溜息をついた。
割れなかったのだから、渋々報告せざるをえなかった。ペイスにしてみれば、不本意な結果である。
「そうだコアン、例の部屋に卵を仕舞っておく箱を用意しています。持ってきてもらえますか?」
「はい」
ああそういえば、と思い出したようにペイスがコアンに指示を出す。
極秘とするために、モルテールン領内の信頼できる人間に作らせた手提げ金庫のようなもの。
卵を保管しておくための、大事なものである。これを持ってきているのだ。
部屋を出ていくコアンを、ペイスは見送った。
例の部屋とペイスが言ったのは、王都別邸にある防諜対策が入念にされた部屋のこと。
龍金を使えるようになったからと、ふんだんに龍金を使って魔法対策もされており、この部屋を覗くのはシイツの魔法でも出来ない。
悪だくみをするための部屋である。
そこにこっそり隠しておいてあった手提げ金庫を、コアンが秘密裡に卵のところまで運んできた。
部屋に戻ってくるなり、コアンはペイスの不審な動きを目にする。
「若様、今何か変な動きしませんでしたか?」
「え? 何のことですか?」
ペイスは何故か、コアンが部屋に入った途端、壁際であろう場所から飛びのくように椅子に戻った。
あからさまに挙動不審なのだが、コアンはじっとペイスを見つめる。
とは言っても、ペイスが妙なことをするのは今に始まったことでは無いので、流石にこれ以上、馬鹿な真似はしないだろうと視線を外した。
「……気のせいなら良いんですが。卵は箱ごと封印して保管しておきますんで」
「ええ、お願いします」
龍の卵は王都で保管することになる。
王城に行っているカセロールたちが帰ってくるまで、コアンが責任をもって預かることになっているのだ。
仕舞う為に卵を手に取るコアン。
「あれ?」
「どうかしましたか?」
「龍の卵ってこんな色してましたか?」
「それは勿論、龍の卵です。普通の卵とは模様からして違いますよ。龍金と同じで、複雑な色合いで移り変わるようですね」
龍の卵の色が先ほどと若干違う気がしたコアンだったが、彼とて別に龍の卵に詳しいわけでは無い。
龍の卵の色は、適当に変わるものだとペイスに言われれば、そうなのかと首を傾げる。
「……そんな話は聞いてないんですけど」
「まあまあ。とりあえず大事にしまっておいてください」
誤魔化されているような気分になりつつ、龍の卵を預かったコアン。
大事に大事に、手提げ金庫に、箱で梱包された卵を仕舞う。
そして、そのまま慎重に運び出し、防諜対策をしてある部屋に運び込む。
これで、後はカセロールたちの帰りを待つだけ。
そう思っていた矢先のことだった。
「大変です!! 龍の卵が盗まれました!!」
「……すぐに父様に連絡!! 各所に連絡し、すぐに王都周辺の関所を封鎖するよう要請しなさい」
騒動に愛された少年は、今日も今日とて騒がしかった。
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