1966年(昭和41年)4月からの『おはなはん』から、いまに続く「女の半生記」としての朝ドラが始まっている。主演は樫山文枝。1941年(昭和16年)生まれの24歳。大ヒット作品だった。よく覚えている。
タイトル曲もよく覚えていて、のちに『ひよっこ』でヒロインが鼻歌で歌っていたのを聞いて、ひとり、おおお、そうか『おはなはん』とビートルズ来日は同年かと、しびれるように納得していた(ドラマ内でおはなはんの歌であるという説明はなかった)。
翌年の『旅路』ヒロインの日色ともゑも同じ1941年(昭和16年)生まれである。
1968年(昭和43年)の『あしたこそ』の藤田弓子は1945年9月生まれなので、つまり戦後生まれである。おそらく「戦後生まれのヒロイン」というのはとても当時は若々しく感じられたのではないだろうか。
そしてその翌年にはもう1950年代生まれの大谷直子の主演である。
大谷直子といえば、この『信子とおばあちゃん』での大学生(ぐらいの)お姉さん、というイメージがいまでもある。
昭和のころは昭和何年代生まれかというのがみんなでチェックするポイントだった。「昭和ヒトケタ生まれと、昭和フタケタ生まれの違い」というのがしきりに言われていた時代がある。
昭和ヒトケタ生まれ(昭和元年から9年生まれ)は、戦争中のことを少年少女としてよく覚えている世代であり、昭和フタケタ生まれは戦争のことをあまりよく覚えてない世代として区別されていた。
全世代が戦争に駆り立てられた大正生まれから、この区別はどんな気分で眺められていたのだろうといまとなればおもうが(私が大正生まれだとすると、この区別を鼻で笑うとおもう)1960年代ころにはしきりに話題になっていた。
昭和の時代はまだ年号で時代を区切ることが多かった。西暦の区切りとはまた違う観点があったからだ。
平成に変わったあとは西暦との換算が面倒だし(88を引くというのが暗算しにくい)とくに2000年を越えてから、ほぼ西暦使用がふつうになった。2000年代と2010年代についての違いは語られるが、平成10年代と20年代の違いはあまり語られない。
昭和の時代はまだ昭和年号で区切るのがふつうだった。